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死顔

今日も金木犀の甘い香がする。匂いのする方へと視線で追えば金木犀はぽつんとある。
深緑の中で星のように散らばる小さな花から遠くにいる人に匂いが届くのだからすごいものだと思う。

さて、タイトル「死顔」は吉村昭の小説である。
読み終えた私はしばらくの間、ぼうっとしていた。
そして、「ああ、この人の書かれる文章が好きだなぁ」と思ったのだ。

そしてあとがきを読んだ時、私は泣きそうになった。この感情をなんとしたらいいか分からないけれど、私はこの人のようなお話が書けるだろうか、と思ったのだ。

正確には、この人のような姿勢で物語を書けるだろうか、に近いかもしれない。
何故なら私は、好きな作家様そのものになりたいわけではないからだ。
何故ならその物語は当然ながらその作家様のもので、そのものになろうとするのは違うと思っている。
作家の物語はその作家のものだ。積み重ねてきた月日の重さと文章と、そして思考がある。
真似したとして根幹の揺らがぬ作家には敵うことがない。
そう思っている。

なので基本的に私の作家様のようでありたい、というのは物語に対する姿勢だ。
人を見つめる姿勢。読者に対する姿勢。物語に向き合う姿勢。何を書いて、何を書かないか。
物語はフィクションだ。だからこそ、世に出す以上、物語に対する姿勢は真摯でありたい。
フィクションだからこそ、何を書いても良いとは思わない。
ただ、これは私の姿勢の話なので、他人に押し付けるものではないことをご留意いただきたい。
何故なら私には私の創作があり、人には人の創作がある。
先程の話もそうだ。
これはあくまで私が決めた私の姿勢で、人に強要するものではない。

そもそもであるが、私は私の物語を書きたい。だからこそ文章に魅せられて小説を書き始めた。
私は私の世界観を書きたい。それが私の物語の姿勢だ。

小説にはそれぞれの世界がある。
それぞれの世界に踏み込むのは野暮なものと思う。
だからここで語ったものはあくまで「私は」だ。

吉村昭の「死顔」を拝読して思ったのは、ああ、書きたい。だった。
私の読みたい物語を、それでも決して独り善がりではない物語を。
読んで良かったと思っていただけるような物語を。
贅沢なことを言っているかもしれない。
それでも私は書きたいと思ったのだ。

書きたい!は他意のない書きたい!だ。
人の世界に触れて創作の意欲が湧き上がるもの。
文章に触れて私の中から湧き上がるもの。

ああ、読めて良かった、と閉じた本の、白い表紙にある「死顔」を見て物語を振り返る。

情景が浮かぶ。
人が浮かぶ。
生と死を見つめた作家の物語をもっと読みたかったというのは読者の我儘だろう。

夏の暑さの中で金木犀は香る。
小さな星が風に揺れる様を横目に歩き去る。
いつまでこの匂いを堪能出来るだろうか。

いくつになっても新しい本との出会いは嬉しい。
好きな本に出会えた喜びを噛み締めながら私は私の物語を書いていこうと思う。

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