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期間限定かもしれない日記

白いチューリップを描いてみた。意外と可愛く出来たのではないだろうか、と自己満足な私はTwitterのアイコンにしてみた。もしかしたら明日には万年筆に戻っているかもしれないし、そのまま白いチューリップのままかもしれない。

Twitterは変わらずに色々な話題で溢れる。溢れる言葉を見る度に口に出したくなる気持ちがありつつも大抵は口にすることの程でもないと呟かないまま終わる。
Twitterは新しいことを知ることが出来る一方で過激な言葉に呑まれて気づいたら心がすり減りかけている時がある。
言葉というのは良くも悪くも鋭利で、知って欲しい為に連ねた言葉が更に引用で連ねられる時、形を変えて歪んでとげとげしくなっていることがある。
それがおすすめに流れる為に対処しようもなく気付いたら「まずい」となる。
読まなければいいのに、軽度の活字中毒の気のある私はついつい流れる文字を読んでしまう。

なので意図してえいや、と離れた。当たり前のことだけど、疲れている時ほどSNSを見てしまう不思議。そういえばそんな本があったなと思いながら、こうして文章を打っている。

好きのパワーは強いけれど、嫌いのパワーも強い。
嫌いを誰かに読ませる形で届けられる人を心からすごいと思う。笑いに変え共感に変え納得させられる文章には嫌いを語っているはずなのに温かみに溢れている。

嫌いなものはどうしようもない。私も嫌いはある。でも語ろうと思わないのは下手したら不快にさせかねないからだ。嫌いは誰かの好きで、私の嫌いも誰かの好き。無理に好きになる必要も理解する必要もないけれど、嫌いを語る時は本当に心から気をつけたいと思う。
と書きながら、多分、私が嫌いを語る日は来ないと思う。私が単に書きたくないからだ。お仕舞い。

例えば嫌いを語る時に害虫みたいな、なんて表現をする人がいるのだけど、害虫と表現したそれは他の誰かにとっては宝石のようにキラキラとした愛おしいものであることを忘れてはいけないと思う。例え自分がどんなに理解出来ないものであろうと嫌いなものであろうとそれは貶めていい理由にはなり得ないしそうあって欲しくない、なんて独善的なことを考えてしまう。
ここで例えに害虫みたいな、と書いたのだけど、最初は虫だった。
でも虫が好きな人がいる。じゃあ別の言葉を、と思ったらあまりにも下品すぎて悩みに悩んだ挙句、害虫にした。本当はあの言葉を書こうと思ったけれど、文字だけでも駄目な人がいるから敢えての害虫だ。でも害虫が好きな人がいたら申し訳ないと思いながらいつの間にか文章が長くなってしまった。

Twitterから離れて、好きに溢れた物語と言葉に触れてじわじわと回復した土曜日。ああ、SNS向いていないと何度も繰り返している。そう言いながら結局SNSに戻るのだから、本当に救いようがないな、と自分を見る。

だから今日は落ち着く為の白いチューリップを描いた。
線だけの簡単なチューリップ。真っ白な白いチューリップだ。

もしかしたら期間限定の日記、いつか消えるかもしれないけど、どこか別のところに日記のようなものを載せたいな、と思う。
その時はTwitterでお知らせしたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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