よく「占いなんて信じているヤツは」みたいな話を聞きますが、そんなことは気にせずに「占い大好き」と意思表明をしています。
占いを信じて行動に移すことは、聖書を信じて行動に移すことと同じ。言い換えるならば聖書と同様、占いは行動規範の一つなのです。
「占いを信じているんですよ」というのに対し、「エビデンス(根拠)は?」と問われることがありますが、これは聖書の書いてある内容に「それが正しいと言える根拠は?」と問いていることと似ていると考えます。
まあ、物事の切り取り方で変わるんですけどね。「盲信しなければ信じたい物を信じていいよね」と思うのです。
聖書のストーリーにはメッセージ性があります。それで自分の作っている作品に「自分の持っている主義主張、哲学など」のメッセージを入れ込むと現代ドラマなどと違って「異世界ファンタジーでは話が詰まってしまう」と感じています。実力があればできるのでしょうけれど、まあいいでしょう。
昨晩は「学園――美少女を買う」の第三章の出だしのエピソードを書いていました。その前に一度書いたのですが「うーん。これだと次のエピソードで目標提示(ミッション)になるな。続き読まなくなるだろ」と出だしのエピソードに第三章の目標提示を入れ、書き直した感じです。
イベントをいくつか考えていて、入れ替えたりしてパズルが嵌るか。ジグソーパズルでいうピースが欠けているかどうか。試行錯誤している感じですかね。
昨日はその他として、以前設定を考えたラブコメを横になり妄想していました。「短編なら行けるか?」と思いましたが、もともとラブコメ作品は1万字以内のものしか作っていないな……。占い師が出てくるラブコメを考えたら中編作品になるかな……。どうだろう。
てか「大学生なの? 和十尊君」1万5千字いっていたのね。こつこつ作るのが大事か。うーん。