深夜、ビートたけしさんが教授設定、所ジョージさんが助手設定、客員教授として志村けんさんが設定された、漫才・コントなどについて考察する動画を見つけました。ロマン(長編小説)に対しコント(短編小説・短い演劇)という捉え方をし、その中で「ベタねたは間とタイミングが大切」という話がありました。「みんなが話の流れを知っているベタねたを面白いと思わせるには腕が必要だ」と話し合っているのが印象的でした。落語で考えると「観客の想像力を引き出す力」いろいろな配役を一人でやり、コントと違って着ているものはどんな役柄でも一緒。ビートたけしさんはそんなことを考え、落語もやり始めたようです。
「プロはすごいなぁ」
ベタねたをどう定義するか、web小説のシンデレラストーリー構成である悪役令嬢もの? 裏切れられるが主人公が見返したりする浮気系ラブコメやパーティー追放もの? そのような話をベタねたとすれば、実力が問われる。そんなことを思いました。
コメディを作って人を笑わせたい。そのことを意識して作品を書くことがほとんどですが、笑いについて考察する上の動画を見て「オチの作り方について自身があったけど、思い上がっていたわ」とテレビで見る演者さん達の凄さを改めて思いました。
「全部オチを狙いに行っちゃダメなんだよね。観客が見たい流れを、知っている安心して見れる部分がないと、観客の想定を全部裏切ったらダメなんだよね」と志村けんさんが述べていたことも印象的でした。
文字だけで笑いをつくる。絵が使えず、衣装も使えない。難しいことにチャレンジをしているつもりでしたが、ラジオで聞く落語など、もっと難しいことにチャレンジしている人達がいる。そんなことを思いながら眠りに落ちました。