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常闇更新!

https://kakuyomu.jp/works/16818093079986830814/episodes/16818093085254583252

 このお話はエピソードというか、うちの子たちの力を借りて思考整理をした感じの日記です。
 第四の壁を超えているような部分がありますが、社務所日誌ではわりかしメタ的なネタも取り入れるので、まあいいかなと。


 勧善懲悪的にざまあをして、それで終わるのはちょっと違うんじゃないか、もっと相手にも何か事情や過去があるんじゃないか、というご意見を斑猫さんとお話したことがあって、そのときは「確かに敵にもバックボーンはあるんだよなあ……でも、バトルだしそこは単純な方が俺の作風に合ってるかな」と言い訳してたんですが、最近ようやくこの言葉の意味がわかってきたんですよ。

 とはいえ、本当に伝えたい意味とは違った解釈をしているかもしれないんですが……。

2件のコメント

  •  私は単に、勧善懲悪よりも因果応報の方が好きなだけなんですよね……なので初期の九尾シリーズも、源吾郎君でさえも「イキった後に相応のしっぺ返しを受ける」と言った因果応報に巻き込まれています。
     それどころか、玉藻御前の末裔たちが「子供」絡みの呪いを背負っている(※)のも、先祖たる金毛九尾が遊び半分に妊婦を殺した報いとなっていますし。

     ざまぁ系というのは本当に難しいと思いますよ。あんまり悪役を叩きすぎると、主人公サイドの品位を落とす事もありますからね。
     そして悪人や敵についてもバックボーンがあると言うのはその通りです。ですが……「だからと言ってそれで仕方ないと許容されるか否か」というボーダーラインもあると感じています。
     例えば雪羽君は準主役になる事が出来ましたが、彼の悪事が割と(?)大した事が無かったからこそなのですよね。それこそ、人を喰い殺していたとか、無辜の妖怪を遊び半分で殺していたみたいな洒落にならない悪事をやっていたなら、源吾郎君も赦してはいなかったと思われますし。
     加えて雪羽君は、相応の悪事に対する罰も早々に受けています。なので一層、仲間サイドになった事への違和感も薄かったのかなと思っています(私個人、雪羽君の境遇について書いた時に「だからって可哀想だと思うのは如何なものか」と言われるのではないかと思っていました)

     悪いやつが仲間として受け入れられる・和解するシーンに関しては、何故そうするに至ったかという描写にも力を入れるのは大切だろうなと個人的には思っています。
     もしかすると、神使たちと影法師が停戦した前後の事とかも、いつか語られる形になるのでしょうか。

     取り留めもない形で長文失礼いたします。
  •  書き忘れていたので追記です。
    ※玉藻御前の末裔は源吾郎君の祖母である「白銀御前」の系統の他に二系統あります。一方は「一定以上の強さを持つ末裔は若くして事故や発狂などで生命を落とす」呪いが、他方には「他種族と交わり、妖狐の血が濃くならない」呪いが掛かっているみたいです。
     この辺は第五部で触れますが……子孫への呪いがえぐすぎますね。
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