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ラフ

 東雲嶺慈の外法の妖術「雫天言霊(だてんことだま)」を書こうと思いまして。

 この技は声帯を再生能力の応用で手や腹に作り出し口を生成、言霊を同時多発的に併用すると言うものです。
 損なう声帯機能を不死身の力で補うのですが、無論最悪の不調と激痛が伴う荒技。喧嘩に勝つためなら「多少の」自傷はなんでもない嶺慈ニキでした。

4件のコメント

  •  そう言えば嶺慈って手下を抱えておりますが、仲間思いという表現が度々使われる所からして、手下を「利用できる手駒」と思っている訳ではない感じなのでしょうか。
     というか手下の経歴とか諸々覚えているんだったら、彼らが殉職した時とかやっぱり悲しいんですかね。


     いやまぁここからは自分語りになりますが、前もお話した通り、私が悪の親玉を書く場合、自分以外は手駒か塵芥と考えている・実の息子でも洗脳して利用するようなサイコパスとか、猜疑心で凝り固まった専制君主とかになりがちなので……
     他人を利用するという所に、何がしかのこだわりが、私の場合は強いのかもです。
  •  そうですね、嶺慈ニキは手下を利用できる手駒として淡々と使うことはないです。末端に至るまで死んだ時はそれなりに悲しんでます。顔や態度には出にくいですし、いっそ笑って見送るくらいなんですが、そうした反応が出ている時点で無感情で淡々と送ることは出来なさそうです。

     私はおそらくですが少年漫画の影響で、単に部下を手駒としてみない悪玉をたくさん見てきたのが理由かもしれません。
     一見冷酷な男でも唯一仲間の死にだけは涙を見せるとか、そういうのをいっぱい見てきたので……。
  •  私は仔猫の頃に少年漫画よりもむしろ青年誌(しかもビックコミックオリジナルとか渋いやつ)を読んでいたので、何かこう生々しい悪玉のイメージが強いのかもしれません。
     後何と言いますか、私の作品って良いやつも悪いやつも前向きかつ享楽的で自己中心的な所があるので、悪いやつは特に「他人を利用して目的を果たす」という側面が出がちなのかもしれません。
     

     後話が変わりますが、もしかして幽世の妖怪や呪術師たちが攻撃に特化しているのは、前頭葉に妖術が刻まれている影響では……と昨日の朝ふと思いました。
     実際問題、前頭葉が攻撃の抑制を担っている側面がありますので。そこで腑に落ちて「おおおっ!」と密かになりました。
  •  なるほどなあ。青年誌は最近ようやく少しずつ読むようになってきたので(なんならいまだに少年漫画を読んでいる)、やはり環境の違いが作品に出たんですね。
     そういう意味ではうちの子たちもいい意味でも悪い意味でも自分の信じた方向に一直線なんですよね。ただ手段として他者の利用があがりにくいというだけですが。

     実は前頭葉に術式が刻まれる設定は運動能力と精神機能を司る部位だから、というだけで決めていたので攻撃抑制については考えてませんでした……。
     むしろ私がたった今「その設定ありやな!!!!」ってなったくらいです。
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