• エッセイ・ノンフィクション

言葉の役割

言葉の役割については、知識の伝達もありますが、最終的な自分の認識のために使うという部分もあると思います。

多くの人々に共有される知識は、共通のカテゴリーによって分類され、そのために言葉が使われています。

しかしプライベートな認識の段階では、それぞれの個人が独特の言葉を使って、感じ・感じ方を分類して、頭の中・心の中に格納しているという部分もあるでしょう。

プライベートな認識の仕方のためにある言葉は、それが独特であるほど、その言葉を使って思考した結果に出てくる発想も独特となる可能性が高くなると思われます。

科学や知識を共有するための言葉は、より標準化されることが必要です。しかし最終的なプライベートな認識とその記憶の仕方としての言葉は、より多様で個人ごとに独特であるべきです。それはぷらーべーとな推論の仕方にも影響を与えるでしょう。

ただそういった言葉は、科学はもちろんWebにも見当たりません。期待していた文学と呼ばれる領域にも、自分が探していたものは見つかりませんでした。

そこで「~とは何か?」という問いを繰り返すことで、今までに見たことのない、自分の中にもなかった言葉の組み合わせにより、独特の認識をするためのカテゴリーを生成する訓練をしてみようと思ったのです。

何か独特の認識のためのカテゴリーという言葉の集まりが、固定した形で存在するわけではなく、常に知識や環境を感じて認識するたびに、「~とは何か?」という問いを繰り返し、意識的に、常識外のカテゴリーを生成しながら認識を格納していくのが楽しいのだと思います。

そう、私は何を読んでも学んでも楽しくないと感じ始めた時期に、「~とは何か?」という問いを繰り返すことで、意識的に新しい、おかしなカテゴリーを作って、その知識や認識をそれに結び付けることで、楽しむようにしようと考えたのです。

わざと意識的におかしな言葉の組み合わせを用意しておいて、目の前の常識的な言葉と結びつける。くだらないとおもいつつ、なにか発見した気持にもなれます。

ただそのおかしな言葉の組み合わせも、ある程度構造があり、体系的であることが必要なので、しばらく似た言葉の組み合わせを考えつづけたりもします。

「~とは何か?」という問いを繰り返すことは、自分にとって、人間として言葉を楽しむためのツールという役割を果たしています。

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