• エッセイ・ノンフィクション

自分の中で育つのを待つ言葉

自分の心の中には、いつも言葉が足りない。自分の今の状況を説明する言葉は、いつも見つからない。この苦しさはいったいどう言えばいいんんだ。この苦しさを解決する方法はどこに書いてあるんだ、どこにも書いてない、自分で考えるしかないのか。いつ思いつくんだ。

用意されている言葉はいつも物足りない。親切に誰かが書いた言葉があったとしても、今の自分を全然説明しきれてない。書き換えたり書き足したりすれば役に立つかもしれない、と思いながら眺めても、それをいつになったら思いつくのか分からない。

世の中には新しいテクノロジーなんかの言葉がどんどん増えて行く。解説を読んでもよく分からない。「~とは何か?」を繰り返して自分で説明できる段階まで説明を繰り返していくと、どこかで納得できる自分の言葉が見つかる。

どれだけ長く生きても、自分のことも外界のことも分からないことが増えて行く。自分の言葉がどれだけあっても、十分に説明できないことだらけだ。新しい言葉が自分の中に見つかるのを待つしかない。

自分の中で成長しているのは言葉だけだ。自分はいつも、自分の中の言葉が必要なだけ成長してくれるのを待ち続けている。ああそういうことか、と自分の中に見つけた新しい言葉に納得すると、少しだけ自分の中の言葉が成長したのが分かる。

人間は生きていれば、ただ生きているだけだ。成長しているのは人間の中にある言葉だけだ。人間はただ大きくなったり老けたりするだけで、何も増えていない。増えて欲しいのは自分の中にある言葉。「~と何か?」と疑問を持った時に、それを説明してくれる言葉が無い状態を解消して欲しいのだ。

この悲しさは何なんだ、と他人に聞いてもしょうがない。自分の中でくだらない説明をして納得するしかないけれど、そのくだらない説明もない状態ではしょうがない。ただ生きているだけの人間だ。

「~と何か?」と意識的に問い続けることは、自分の中の言葉を無駄に成長させる。ただそれがしたいだけの人間です。

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