こんばんわっす。
晩ごはん、買ってきたお弁当。
お茶と漬物はだしたよ。えらいわたし。
そんな、まいにち頑張ってる壱単位が、いま練習をしておるのです。
中編、書いてます。
ふろたき女と、鬼の姫
https://kakuyomu.jp/works/16817330654519738733練習とは、なんぞや。
わたしな、短編得意なんや(わたしは関西弁に詳しい。友人が、大阪がすきなにんげんだったから。教えてもらった。その子、道民だけど。とても詳しい。だからわたしも詳しいのだ。な。詳しいだろ?)。
得意というのはちょっとちがって、それしか書けんというか、かいたことないというか。
わたしは自分がぞくっとしたおはなししか、かけんのです。お題を与えられて、うんうん考えて、ぞくっとする場面が思い浮かんだら、書く。たいていはラストシーン。プロローグのこともある。
こんかいのKACのは、ぜんぶそれ。本屋さんは、転生。鉄血鬼女とユーリアと陰陽師と七つ薔薇は、最後の決め台詞。龍神さんは、ひとをやめて、龍になる、それで自由になる、青空で飛翔する、というイメージ。カトリナさんだけは、ラストじゃなくて、荘厳な、花降る聖堂での祈りのイメージ。そこからのギャップ、で考えた。でも、ぞくっとした場面があることにはかわりない。
ぞくっとするということは、惚れている、ということ。場面に惚れないとかけない。
したがって、長編では、くるしむ。というより、長編は、わたしの思考が誤作動する。すきなものを書くべきなのに、かくべきものを書かなきゃ、っておもっちゃう。
あそこでこれを書いたから、つぎはこうなるべきだ。ここでこの展開だったから、次はこんな展開であるべきだ。べきだ。べきだ。
過去(といってもとおい時空)、なんどか長編臨んだけど、ぜんぶそれでしくじったもんなあ。で、短編の山。
だから、いま、中編で練習中。
こんかいの「ふろたき女」も、きっちり、ぞくっとしてます。
だから、わたしのおはなし、特にKACのときのユーリアさんとか陰陽師とか、龍神さんを好んでくださった方には、たぶん馴染むエンディングになるとおもいます。
だからこそ、こんどこそ、そのぞくっを最後まで持っていく。
何話にもわたって、ぞくっ、をつづけてゆく。
その練習を、してるのです。