ニイハオ。
みなのおともだち。
橘風儀ね。
今日は、歴史作家と言うモノに。
ついて述べていくね。
みな、ついてくるね
まず、歴史作家と言われて。
思いつく人あげるね。
ふむ、ふむ、ふむ。
誰も思いつかないあるか。
仕方がないアルネ。
なら、まずは。
中国の偉大なる歴史作家。
をお教えするね。
中国では。
司馬遷(しばせん)と言う。
人物が有名ね。
この人物。
親友を庇ったが為に。
王の機嫌を損ね。
処刑か宮刑の二択を狭まれたね。
宮刑とは、あそこが斬られる刑ね。
あそこって、おち〇ちんね。
〇には、んが入るね。
で、おちんこを斬られる刑である。
宮刑は恥ずべき刑とされていてね。
普通なら、処刑を受け入れるのが。
仕来りだったね。
でも、司馬遷は、父から受け継いだ。
歴史書を纏める使命を帯びていてね。
ペニスを斬られても。
生き延びて。
中国の歴史書を完成させる。
道を選んだね。
で、なんやかんやで。
完成した。
歴史書である。
史記。
何処まで、真実味があるのかと。
言うと。
古代に遡るほど。
胡散臭いね
そもそも。
始まりの王朝。
夏王朝ですら。
司馬遷が生きた時代から。
1600年前の話ね。
そんなの。
正確に描けるはずないね。
だから、司馬遷、悩んだね。
悩むにつれて。
色んな葛藤が生まれたね。
何故、カスな奴らばかり。
上手いこと天寿を全うして。
清廉な人ほど残酷な目にあるのか。
すっごく思いつめるほど。
悩み。
苦悩し。
そして。
一つの結論を下したね。
歴史から正義を見つけ出してやるとね。
だから、古すぎて曖昧な時代には。
聖人が大陸を治めており。
争いすらなかったと描き。
王朝が崩壊するときは。
最後の王が馬鹿だったと。
そう描いたね。
その結果。
古来の王朝である。
夏王朝、殷王朝、周王朝の創始者は。
みな、聖人のように描かれ。
最後の代の王は。
みな、馬鹿に描かれたね。
こうして。
虚構の正義と悪が描かれ。
後の歴史家や書物を開く人は。
古代には聖人がいて。
徳のない馬鹿王が国を滅ぼしたと。
納得するように変わったのね。
でも、事実は違うね。
古代の国を興したものは。
みな、聖王ではなく。
覇王ね。
どの王朝を開いた王も。
戦いばかり明け暮れ。
強引に大陸を支配しようとしたね。
また、国を滅ぼした王も。
馬鹿王でもなく。
最後まで国を守るために。
必死だったね。
ただ、天候不順や。
臣下が力を持ち始め。
国を乗っ取られたのね。
司馬遷は自身の。
親友、親族の不幸から。
歴史の中から。
正義を発掘しようとしたね。
古来には正義があると。
そう信じて。
でも、古来にも。
正義はなかったね。
正しいものは報われるべき。
悪人は裁かれるべき。
こんな考えは。
全て、幻想だったね。
だからこそ。
司馬遷は。
古来の王朝の内容を。
都合よく改変し。
偽りの聖王と。
偽りの暗君を造り上げたね。
もし、自分の書物を読む。
その時代に生きる人々が。
自分が偽り造り上げた。
古来の聖王を見て。
その聖王に感化され。
偽りの正義の時代から。
本物の正義の時代が。
生まれると。
そう、信じて。
ちょっと長くなってしまったけど。
以上が、司馬遷の罪ね。
史記でも。
古代の部分は。
あまりあてにならない。
ことを言いたかったのね。
それじゃあ。
休憩時間も終わる。
みたいなので。
また、ツアィチェンね。
次は、司馬遼太郎について。
語るアルネ。