「老人と海」の登場人物
主人公はサンチャゴという老人。若い頃は腕のいい漁師だったが,84日間も不漁が続き,漁師仲間からは馬鹿にされている。
サンチャゴ老人の船にはマノーリンという少年が同乗し,老人とともに漁をしていたが,不漁続きになったので,マノーリン両親は別の親方の船に乗るように命じた。今では少年は別の親方の船に乗っているが,食事の差し入れなどをしてサンチャゴを気づかっている。
サンチャゴ老人は,海で出会うマカジキやトビウオに対して人間のように話しかける。その魚たちも自然の中で生きる登場人物として小説の重要な要素になっている。
「老人と海」には興味深い解釈もある。サンチャゴ老人はキリストの象徴なのではないか」というものだ。「老人と海」の冒頭で,サンチャゴ老人の住む小屋にはマリアの絵と色刷りのイエスが飾ってあり,キリスト教的なモチーフが使われているからだ。海でマカジキと戦うときにも,サンチャゴ老人は「我らの父」と「アヴェ・マリア」の祈りを口にしている。このようにところどころにキリスト教のモチーフが使われ,帰港した後,マストを背負って坂道を歩くサンチャゴの姿に,十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうキリストの姿を重ねるとうわけだ。
「老人と海』は、不漁続きだったサンチャゴが久しぶりに大きな獲物を捕まえる話だが,ヘミングウェイはその姿にキリストの復活を重ねたともいわれる。
『老人と海』最大の見どころは、サンチャゴがマカジキと戦う場面だ。
3日間にわたる戦いは、どんな結末をむかえるのでか。
一人で漁に出たサンチャゴは、大きさが18フィート(約5.5メートル)もあるカジキと出会う。カジキは釣り糸につながり、船を引っぱっていきます。なんとしてもしとめたいサンチャゴは、3日の間死闘をくり広げる。
船には食料がなく、肝油や釣り上げた小魚の刺し身を食べながら、老人はカジキと戦う。最後にはカジキにとどめをさすことができたが、彼の本当の戦いはここからがはじまりだった、
「老人と海」は,外面描写にこだわった作風なので,人物の内面の感情や思想についてはあまり説明的な文章が書かれていない。そのため,小説にどんな意味があるのか,なぜ名作なのかが分りづらいとか,この作品を通して,ヘミングウェイは何がいいたかったのだろうかと議論する向きもあるが,畢竟,それは無意味というものだ。結論のある小説は読むに値しない。小説は映画ではない。ただし,その議論自体には大きな意味がある。
サンチャゴ老人は,84日間もの不漁が続き,漁師仲間から老いぼれと笑い者にされ,失意の中にいる。彼の心の支えは少年だけだ。
少年はサンチャゴ老人を親方として船に乗っていた時期があり,老人を慕っている。少年は別の親方の船で釣果を上げており,漁師として成長している。サンチャゴ老人にとって,少年は,心の支えであり,希望といえる存在だ。「まだまだ若いもんには負けんぞ」というところだ。
サンチャゴ老人がマカジキと出会うのは,漁師としての名誉をとりもどすチャンスだった。しかし,捕まえたマカジキは港に戻る途中失ってしまう。メーテルリンクの「青い鳥」のようだ。それは,決して人生の残酷さを象徴しているのではない。人は幸せを追い求める生き物だ。たとえそんな理想郷は存在しないとわかっていても。
結局,何も手に入れられなかったサンチャゴ老人は,疲れはてて眠りにつく。しかし,少年はサンチャゴ老人から教えてもらった技術や経験を活かして,漁師として成長していく。老人は何も残すことはできなかったが,少年に技術と希望を伝えることができた。
次の世代に生きる術を伝えられただけでも,サンチャゴ老人の人生も報われたのかもしれないが,それいつの世も同じだ。
「きっと今日こそは。とにかく毎日が新しい日なんだ。」
不漁が続く毎日にもめげず漁に出るサンチャゴ老人が船をこぎ出すときのセリフだ。逆境にも負けない力強さが感じられるが,それだけではあるまい。「今を生きる」「今だけを生きる」それによってしか人は生きることはできない。
「けれど,人間は負けるように造られてはいないんだ。」
3日間の死闘の末捕まえたマカジキは,ある存在によって無残な姿になってしまう。それを見たサンチャゴ老人の言葉だ。戦っているうちにマカジキを「兄弟」と呼ぶほど親近感を抱いていたサンチャゴ老人にとって,マカジキが変わり果てた姿になってしまったのはつらかったはずだ。それでも前を向く姿に,敗北に屈しない意志を感じる読者もいるだろう。
3日間の戦いの末にマカジキを捕まえた老人だが,港に帰る途中でカジキはある出来事によって,見るも無残な姿になってしまう。骨だけになったマカジキを連れて,サンチャゴ老人は帰宅し,眠りにつく。
研究者の中には,「夢オチだったのでは」という意見もある。その根拠は,序盤で投網や混ぜごはんのやりとりがあるが,それらはすべて老人と少年の演技であること,最後の場面で,給仕が「ティブロン……いえ,サメです」ということなどだ。サンチャゴ老人は最初から夢を見ているだけで,漁になど出ていないという可能性が指摘されている。
サンチャゴ老人の船に横付けにされている釣った魚の骨を見て,給仕は「ティブロン(スペイン語でサメのこと)」だと言う。マカジキと戦っていたというのは,夢に過ぎなかったのではないかという意見だ。
エンドイングは,「老人はライオンの夢を見ていた」というもの。「ライオン」というモチーフはところどころで出てくる。それはサンチャゴ老人が若いころに見た姿で,サンチャゴ老人がもっとも活躍していた時代を象徴し,不漁つづきで失意の底にいたため,自分の黄金時代を夢に見ていただけなのかもしれない。
あなたは実際に作品を読んだ時,どう感じるでしょうか?