なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそきけ
(なよたけの かぜにまかする みながらも たわまぬふしは ありとこそきけ)
※文献によっては、結びが「ありとこそ知れ」とされている場合もある。
背景:西郷一族の集団自刃
1868年(慶応4年)8月23日、戊辰戦争(会津戦争)において新政府軍が会津若松の城下に侵攻した。家老職の妻であった千重子は、「足手まといとなって軍の行動を妨げてはならない」「敵の捕虜となり、家名の恥を晒してはならない」と判断した。
千重子は、西郷邸に残っていた自身の子供(幼い娘たち)や親族らと共に自刃を決意。まだ幼く状況を理解できない4歳や2歳の娘たちをその手で手にかけた後、自身も自害した。享年34。この際、西郷邸では一族の婦女子ら21人が集団自刃を遂げている。
句の解釈と表現の構造
この句は、古典的な和歌の修辞技法を用いながら、当時の会津武家の女性が持っていた強固な精神性と覚悟を表現している。
なよ竹(柔軟な竹)
「しなやかで柔らかい竹」を指す。伝統的に、力を持たず社会の情勢に翻弄されやすい「女性」の象徴(比喩)として用いられる。
風にまかする身ながらも
新政府軍の圧倒的な武力や、時代の大きな動乱(風)に抗う術を持たず、それに従うほかない非力な身分(女性という立場)であることを受け入れている。
たわまぬ節(折れない強さ)
竹には「節(ふし)」があるため、強風に吹かれて激しく曲がっても、決して折れる(たわむ)ことはない。
ありとこそきけ(あると聞いている / 確かに存在する)
「外見や立場は弱々しい女性であっても、武家としての誇りや節義、決して折れない信念(節)は厳然として存在している」という強い自己主張と決意を示している。
後世への影響
千重子が詠んだこの句は、会津戦争における婦女子の悲劇と武徳を象徴する歌として広く知られるようになった。
現在、福島県会津若松市の善龍寺には、西郷家一族の墓とともに、この句にちなんで名付けられた「奈與竹(なよたけ)の碑」が建立されている。この碑には、戊辰の戦火に殉じた会津の婦女子たちの精神を慰めるため、名前の判明している233名の霊が合祀されている。