異世界辺境経営記、べつにバッドエンドだとは思ってはいないんですが、十中八九そう受け取られるでしょうね。
ある種の因果応報として、蹴りがついた、そう言う感じですね。作者としては。
そもそも異世界召喚というのは拉致誘拐であるわけで、召喚された当人にとっても、残された家族にとっても悲劇であるわけです。そこのところが異世界転移物では常々引っかかっていました。
気持ちを切り替えて、じゃあ、魔王を倒そうだとは私だったらなかなか思えないです。まして、いくらお願いされても加害者のためには指一本も動かしたくないですね。
世界を救うために召喚されたのであれば、その拉致責任は世界の人々全体が負うべきです。
本筋はもともとそういう考えで書かれた作品です。
特に幼い子供を残して召喚されたり、母一人子一人で、老親を残して召喚されたりしたら、「ま、いっか」で済むはずが無いんです。
そしてそこから生じる結果も。
どちらが良いか、の選択にすらならないのです。どちらが、まだしも悪くはないかの選択に持ち込むのがせいぜいであって。
そう言う意味ではフェリックスとハヤトの、どちらが正義だとは言いきれません。ハヤトは意図的にその世界に愛する者を作らないよう用心していたのに対して、フェリックスはそうではなかった、それだけの違いだと思います。
そういう意味ではその世界では人々は「原罪」を抱えています。罪と言うのは絶対的に存在するものではなくて、誰かに対しての罪、しかしその罪を利用することで、ハヤトもまた、罪を負います。その清算を要求するフェリックスもまた罪を負います。それを糾弾する人たちも、誰かの犠牲の上に生きているという意味では罪を負っているのです。
これはまあ、罪の清算の話であるかも知れません。
そして罪は清算された、だからハッピーエンドなのです。