習合異式です。
PIC SISTER!の45話まで投稿しました。
以降45話までのネタバレありのため未読の方はご注意ください。
最近の近況ノートは「こういう風に決めて作品を書きました」という内容で続けていましたが、今回は意図しなかった部分について書こうと思います。
プロフィールにもあるとおり、私はアメコミ好きですが、同時に「アメコミ映画好き」でもあります。
そんなアメコミ映画の中でも、以下の二つのセリフが特に気に入ってます。
『スーツなしでダメなら、スーツを着る資格はない』
『マスクをかぶれ、強くなれる』
前者は「スパイダーマン・ホームカミング」。後者は「アメイジングスパイダーマン」にて語られたセリフです。
それぞれのセリフが使われた状況が違うので、単純な比較はできませんが、これらは「ヒーローとしての条件」を表した、しかも真逆の基準を示したセリフと私は考えます。
私は今作で、この相反する「ヒーローとしての条件」を両方とも肯定したく、無意識のうちに登場人物を描いたんだろうな、と読み返して気づきました。
主人公ライナはアナキストや芸術家として見た場合、行動も主張もけっこうブレブレです。
ですが、彼女が行動を起こすときというのは決まって「誰かが傷ついたとき」「誰かが悲しんだとき」「誰かが助けを求めているとき」で、それは物語冒頭のヒオリの手紙から、現在まで変わっていません。
その間、ライナは
アナキストのワナビー→国家権力の手先→本物の反逆者
と立場が大きく変わっています。言わばライナは「身にまとうもの(立場)が変わっても、信念や行動が揺るがないヒーロー」です。
では、逆にヒオリはというと、彼はお調子者の楽天家。表面上は全てをうまくやってるように見えます。
ですがその実、臆病で、嘘つきで、正義のためには戦わない男です(出自のため致し方ないところはありますが)。
でも、そんな人間でもマスクをかぶり、愛する人のために勇気を奮い立たせ、痛みや恐怖に耐えながら戦うのであれば、それは立派なヒーローではないのかな、と私は考えます。
そんな作者の信条が入ってしまった作品は次回で最終回になります。
最後までお付き合いいただければ幸いです。