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センシティブなものを中和的に触れることで、逆に腫れ物になってる事を知って欲しいこの頃

今年の最終週にしてヤマ場の6連勤を終える。
楽しみと言えば仕事の帰りにスーパーに寄るくらいで。
少しはメリクリ感のある総菜を食べて、ゆるりと晩酌。


ということで、懲りずにジョン・レノンのクリスマスソング聴いてます。

「だからハッピークリスマス、白人も黒人も黄色人種も赤い人も、争いをやめよう」ってね。


さて、クリスマスに観ると良い物のひとつに、また某・出銭ぃランドのエレクトリカルパレードを挙げますが。
あれの冒頭のナレーション「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls. Tokyo D****Land Proudly Presents…」っていうのが、代わってましたね。
ちょっと私はまだ聞き取れないんですけど。

オーストラリアの出銭ぃのミニーちゃんが、スカートからツナギになったというニュースを夏頃に見た記憶があります。

そしてここ最近の出銭さんの映画を拝見してはいませんが、なにやら主人公やその周囲のキャラが、人種・肌の色、性別やそのLGBTq的な配慮に染められているとも。


そういうの平和的でいいですよね。
みんな違ってみんないい。
みんなが幸せで平等である社会。
でも私はそういうの大嫌いです。厳密に言うとそういう感覚の押しつけが嫌いです。


昔の職場の同僚に、元・女性の男の子が居ました。
『彼』はとてもいい奴で、よく飲み歩きました。
ベロベロに酔って肩を組んだり抱き合ったりもしましたが、僕は同性である『彼』が友達として心底好きで、『彼』も人懐こくて距離が近いから、よく遊んだものです。
もちろん下情報としての『元・女性』というものは永遠に付いて回りますが、僕は今は男であるそいつが大好きでした。

他にもいわゆるオネェのママが居る店に飲みに連れて行かれたり。
淡い恋心を寄せていた女性が実は同性好きだったりもしましたけど。


根っこにあるのは、みんな個人として素晴らしい人達ばっかりなんですよ。
LGBTqとか、逆にそういう分類や区別が失礼に感じるくらい、みんな良い人達だったし、僕も良い付き合いをしてきた訳です。

そりゃ最初は話を聞かされて度肝を抜かれたり驚いた部分もありますが、それでも彼らは付き合うに足りる、信頼の置ける人物だったので、その前後も付き合いは変わりません。


過分な配慮は逆に相手に腫れ物だと気づかせてしまうのだと、そんな心遣いも必要だと思うんですけどね。そういう配慮で納得する人達ってごく一部だと思うし、むしろ当事者じゃない可能性も高いし。

だもんで、右派の元首相が暗殺されて「天誅だ」とか、左派の論客が襲撃されて「自業自得だ」とか言い合うのも、正直ウンザリです。
メリークリスマス。ラヴ&ピース。

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