https://kakuyomu.jp/works/16817139557949256526/episodes/16817330668723230558https://kakuyomu.jp/works/16817139557949256526/episodes/16817330668723710017 このお話は姉と妹の対立と対話のお話であり、私も今読んでも割と良いなって自画自賛しています。修羅の道を行く覚悟の景治と、なんの相談もなしに自分を置いて行った光音。
慕っていた相手が、自分の三分の一を構成する存在が突然にいなくなったのです。それは愛が憎しみに変わってしまうのでしょう。
彼女の自己肯定感の低さは、幼い頃に家族の大半と別れねばならなかった事からあり、それを光隆で埋めているのかもしれません。愛情込めて育てられた子供でも、昨今は何かこう自己肯定感の低さが出てしまうものの、本質は同じなのかもしれません。
満ち足りる事を知らない、恐らくそれが…その双方に言える事であり、満ち足りていると気づかないのが大変な事になると言えるのかもしれません。
不自由を常と思えば不足なし、そう言われるかもしれませんが…社会のそう言うのに成熟してない子供が向かうのは、やはり傷つくのかもしれません。
そう言うのに、光音は無意識的に向き合わされたのでしょう。そして、その傷は光隆が絆創膏となり、三分の一が半分になったのでしょう。そんな彼が、大切な人と一緒に話せる内は話しておけと諭したのは彼女の本意か否か。
好きの反対は無関心であり、彼女は裏切った様に思えていた景治には関心があった。聡いのは光隆かLA15だったのか。
そこから、光隆とLA15だけでもレトキシラーデの薩摩硫黄島での拠点(執筆当時は名称が決まっていなかった、所謂「クランプス」)は潰せたが、光音はそれを分かっていて自分も乗った。
つまりは、対話を決断したのは光音であったのでしょう。
3枚連続の近況ノートですが、失礼致しました。