「いらっしゃいませ。あなたが見たいモノはなんですか?」
ドアベルの余韻が漂う中、カウンターの向こうから甘いテノールが訪ねてくる。
客が2人も入ればいっぱいになるであろうという小さな店だった。
壁も床も天井もすべて落ち着いた白で統一され、商品であるはずの眼鏡はどこにも置いていない。
大通りから一本入った路地にあり、表に小さなプレートしか掛かっていないことからも、常連客だけで回している店なのだろうと想像できた。
「あの、眼鏡を探していて。」
どうぞおかけください、と勧められるままに私はカウンター前の小さな椅子に腰かけた。
顔を上げ、どきりとしたことを覚えている。
若い店員だった。私より5つほど下、大学生くらいに見えるその青年の瞳が、とても印象に残っている。
「どのような眼鏡をお探しですか?」
「夜用の眼鏡です。運転中の。」
青年の深黒の瞳が、一瞬虚を突かれたように揺らいだ。
「え、運転中の眼鏡ですか?」
「ええ、そうです。最近どうも夕方から夜にかけて視界がぼやけまして。眼科では問題ないと言われたんですが、今まで視力が良かったからですかね。どうにも気持ち悪くて。ここならどんな眼鏡も作ってくれると聞いたので、夜用の眼鏡を、と。」
ここまで言ってしまったと言葉を止めた。説明不足への不安からまくし立ててしまうのは私の悪い癖だった。
青年は数秒圧倒されたようにきょとんとした表情をしていたが、口角がひくひくと動き出したかと思うと、ぷっと噴き出した。
あははとひとしきり笑った後、青年は目じりをぬぐいながら話し出す。
「いやあ、すみません。まさか普通の眼鏡をお探しとは。」
状況が掴めない私に、こちらの話です、と青年が続けた。
尚もくすくすとこぼしながら調整用の器材を一式揃えると、こほんと咳ばらいをひとつして、青年はようやく入って来た時の店員の顔に戻った。
「それでは調整を始めさせていただきます。見たい世界が見えるまで、とことんお付き合いいたしましょう。」
青年の声と共に店内が静かに明るさを落としていった。