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古歌を典拠とすれば本歌取り。では、古句の場合は?

典拠としたうたは本歌とよばれるが、「本句」なることばは辞書に存在しないようである。
「本句」がない以上「本句取り」とするのも苦しいように思える。
また、俳句において古歌を典拠ととすることをを本歌取りとするのかも判然としない。
俳諧(≒ 俳句 )においては、和歌のように古歌や古句を典拠とする手法が積極的に論じられなかったのだろうか。

和歌においては、万葉集や各勅撰集や小倉百人一首のようなアンソロジーが充実している。
それと比較すると、俳句においてはせいぜい「元禄百人一句」なる句集くらいしか思い当たらない。
俳句やその前身たる連歌の発句の歴史を概観できるようなアンソロジーが待たれるように思う。

2件のコメント

  • 執筆お疲れ様です。

    和歌(=伝統)に対して俳諧(=革新)が生まれたという部分があるのでしょうか。
    革新であるから古い作品を振り返らないという頑なさ(?)があったのかも。

    クラシック音楽に対するジャズのようなものか。即興性・ライブ感を重視する気風があったかもしれません。

    連歌など、セッションみたいなものですね。
  • お疲れ様です。
    コメントありがとうございます。

    和歌(や無印の連歌)に対して俳諧が生まれたのは間違いないと思います。
    わたしは連歌の知識がまるでないのですが、勅撰集はなくてアンソロジーもあまり編まれなかったかと想像します。
    おっしゃるように、連歌は即興性を楽しむセッションのようなものだと思います。

    松尾芭蕉は「不易流行」なる概念を唱えていて、むかしから変わらないものに対するリスペクトも持っていたようにみえます。
    しかるに芭蕉自身はアンソロジーを編まなかったと見受けます。
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