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小説の表現について「宇佐美りん」さんの衝撃

いまごろ、なんですが、『推し、燃ゆ』(宇佐美りん 河出書房新社)を、ちょっとずつ、本当に少しずつ、読み進めています。

たいてい小説というものは、一気に読んでしまう事が多いのですが、

あまりに衝撃的すぎて、先に進めないのです。

例えば、引用させて頂きますと、

―――成美は、リアルでもデジタルでも同じようにしゃべる。ふたつの大きな目と困り眉に豊かに悲しみをたたえる成美の顔を見て、あたしはよく似た絵文字があるなと思いながら「駄目そう」と言う。「そうか
」「そうよ」制服のワイシャツのボタンを二個はずした成美が隣に腰を下ろすと、柑橘系の制汗剤が冷たく匂った。(4ページ)

こんなの、おそらく、じじぃは百年かかっても、書けない。作者、当時21歳です。

なんていう表現力、描写力。

打ちのめされるというか。

同じ日本人として、同じ日本語を使いこなすニンゲンとして、

ここまで、言語運用能力に、格差が出るものか、と、彼女の言葉の操り方に、衝撃を受け続け、なかなか先に読み続けられず、

そして更に、自分が書いているいまの小説の、あまりにも拙すぎて、

なんだか、もう穴があったら入りたいとはこのことだな、と。

まって

ガチの本物の小説家と、アマチュアの自分とを比べたらいかんか。

国文学科卒業といっても、

創作技術

でいえば、赤ちゃんレベルなじぶんと、

本気でプロ目指して努力してきた一流の作家を

比較している時点で失礼か。

それにしても

彼女が、年齢と経験を重ね

これから、どんな作家に成長するのか

楽しみで楽しみで

とかなんとか言いながら、まだ読み始めたばかりで。

読み進めるのがとても困難。

1文、1文のすごさに圧倒されて、

何度も何度も読み返してしまって。

本気でプロの小説家を目指している方で、まだ読んでいない、という方。

もしかしたら、読まない方がいいかもしれないです。もう自信無くしちゃうかも。

いやそれでも、今、日本語を操るニンゲンの中で、間違いなく、最高峰であり、

いつの日か、国語の教科書で、夏目漱石や、与謝野晶子と、同列に語られるであろう、と、じじぃは勝手に予測しています。やっぱり読むべきですよ。

え?

みなさんもう、読んでる?

今さら何を言っているのかこのジジィはですって?

え?そうなの?

ごめんなさい(´;ω;`)

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