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言語の破れ、/『異世界転生したけど日本語が通じなかった』を評する文

 Fafs F. Sashimiによりカクヨムで連載され、無事第一部最終節「#64 国家の犠牲」が公開された『異世界転生したけど日本語が通じなかった』、先日やたらめったらバズりもしたので名前だけでも耳にした方は多いだろう、作者が年来作り続けてきた人工言語・リパライン語を話す人々の住まう異世界に飛ばされた主人公八ヶ崎翠が「異世界チーレム」目指し、「ひとまずは」現地の言葉を学習しながらシャリヤを筆頭とする異世界人たちと交流を深めていく言語学的異世界ファンタジーlinguistic fantasyである。平明に書かれる言語学的知識と共に導かれていく異世界言語の文法や世界設定のみならず、各節の章題や作中にネットスラングや当世の流行を取り入れているある種のハイコンテクスト性も注目に値するだろう(「止まるんじゃねえぞ」、「任意の北ソト語が読めないのでア」、「観光客(ルビ:ガチプロtourist)」)。


 バリケードで守られた集落(かなり広いが、都市と呼んでいいものか不安である)レトラでストーリーは展開される。労働施設や、しっかりとした宗教関係の建築物があり、急ごしらえでつい最近できたばかりというほどの出来でもなさそうだが、それにしても戦時中であることは確からしい。ヒロインのシャリヤは機械的な拳銃・火器の扱いを習得しており、翠もこれに倣って終盤では一人でこれらを扱うまでになっている(21世紀とそう変わらない技術水準の火器が出回っている「異世界」というのは大変珍しいのではないだろうか)。
 八ヶ崎が何者であるかというのはいろいろと考えうるところがある。ただ少なくとも、今の《八ヶ崎翠》が、いかなる方法かはわからないが、彼の人格部分と無意識を含めた記憶の部分で何らかの混合様の変化を被っているだろうことはいえる。ありていに言えば、《八ヶ崎翠》はもとになった何ものかとインド先輩が(どういうわけか)融合した存在なのである……少なくともここではそう考える。平素は心の中で「異世界転生してチートで英雄してハーレムを築く!」などと息巻いている翠も、異世界言語を前にするとその意識は一気に明晰になり、知恵熱を起こしそうになりながらも解読の糸口をつかみ意味を手繰り寄せていく。その集中力は並々ならぬものがある。「#13 無意識の英雄」では「全であり個」である「私」の存在が語られているほか、その「私」に語り掛ける何ものかは「無意識の英雄に従え、うわべだけの目的にとらわれるな」と諭す。『異世界転生したけど日本語が通じなかった』は2018年3月3日現在未だ第二部の中途であり、翠をめぐる語りはこれからも積み重ねられていく。その語りの向こうにいかなる景色が見えるのかは我々にはすぐにはわからないが、レトラで当面暮らしを云々するとか、チーレムを築くとかいった短期的・軽薄である目的とは一風違った何かが現れるだろうことは想像に難くない。「無意識の英雄」、言語の解析に秀でた翠の無意識的な動きは、何か強い志向性のある力をその向こうに見出しうる。
 そしてことあるごとに「インド先輩、インド先輩、インド先輩……」だ。すると種々様々な知識が湧いてくる。あたかも翠の求めに応えて内なるインド先輩が耳元で知識をうちささやき伝えるように。そもそも序盤からしてさも自分の考えのように言/語学に関する知識を披歴してから「……とインド先輩が」と補足する手口を乱用しているし、夢の中で彼は日本のいち女子学生だったではないか。インド先輩の幻影を見たという翠自身の証言さえも怪しい。幻覚とは夢と同様に無意識の現前であるともいうし、それにそのインド先輩は翠自身の変種のドッペルゲンガーではないか?


 小説の形式をとっているだけあって、『異世界転生したけど日本語が通じなかった』内でこの異世界のすべてが見通せるわけではない。その見出しえない世界の一端を読者に垣間見させ、そして第一部中「言語学的異世界ファンタジー」の描写としてはまったき白眉であると褒めそやしたい一節をここに引用することとする。

"Jazgasaki.cen(八ヶ崎翠は) es fentexoler(フェンテショレーです). Si es ceg fon(彼は……) dznojuli'o(……です)."
 裁判長が翠をじっと睨め付ける。
"Jazgasaki.cenesti(八ヶ崎翠よ), Co es fentexoler(あなたはフェンテショレーですか)?"
"まや むんそんしっしすく うぬぬむ?"
 裁判長の質問の直後に即座に被せてきたのは、自分の真横に立っていた人だった。通訳か何かなんだろうか?日本語のような発音だが、何を言っているのかさっぱり分からない。リネパーイネ語とも関連があまりなさそうだし、どう伝えるべきかさっぱりだ。
 そんなことを考えているうちに通訳さんは返答が来ないことに焦っている様子になっていた。
"あ……のや たかんせんき せまるむ?"
"Nace(ごめんなさい), pa cene niv(でも、何を言っているか) mi firlex lkurferl(分からないんです)."
 分からないということはすぐに伝わったらしい。通訳さんは自分の仕事がなくなってしまったことに気付いたのかきょろきょろと周囲が助け舟を出してくれないかと見ていたが、裁判長が見苦しそうに出ていけと手で指したので、そそくさと法廷から出て行ってしまった。どうでもいいが、せっかく助けになろうとしていたのに可哀想な人であった。同時に自分を弁護なりなんなりしてくれる人もいなくなったことになる。

 やや面白みも含んだコメディリリーフ的な描写。しかし通訳が翻訳した先にあるは、翠も知らないどこか遠い場所の、しかしシャリヤやフィシャの住む世界の言語だ。翠は知らないし、また読者も全然この文章から意味を拾うことはできないが、それでもこのような意味不明の音の羅列……初めてリパライン語を聞いたときの翠を思い出してほしい……として提示されうる言葉で成立する「世界」が、レトラと同じ世界のどこかに存在している。それを思うだけでどれほど心が沸き立つことだろう。「蝶・蛾」と”papillon”の差異ような各言語における語と意味内容の差異は、異なる格子の網の目として形容される。音韻の分節がかろうじてわかるという状態から崩れた網の目を縫い直すような地道な作業でリパライン語を習得してきた翠の前に、再び音韻の破れた網の目が突き出されたのだ。それも、裁判の席における異邦人の被告付の通訳という、いかにも自然な形で。そしてこの言葉が翠に全く通じなかったという事実は、通訳の話す言葉はレトラから相当に地理的距離の隔たった土地で話される(ex.英語⇔日本語)か、系統的に極めて大きな断絶のあるか(ex.カタルーニャ語⇔バスク語)のどちらかであることを示している。無論この描写はハイデガー流に言えばnaiv und rohであって、また話の本筋でもない(絶望した翠がそれでも自分の力で卓上のメモを読み解くくだりこそ本道であろう)。しかしながら、そうだとしてもaber dann zwar、このたった二行分の言語には、驚くほど瑞々しく豊饒な世界への扉が備え付けられている。
 この後シャリヤと別れたった一人で戦火のレトラを駆けることになる翠の面目躍如については、わざわざ言うこともない。こんな文章を読む人間はもう本編も読んでいるだろうし、もし読んでいない人がいるならぜひ読んでほしい。

 ただ一点惜しむらくは、「国家の犠牲」という最終節の章題に反して、フィシャを殺したとされるフェンテショレーが国家であると明確には示されなかったことである。全64章ある第一部を読んでも、日本語部分を読むだけでは作中世界についてそう多くを知ることはできない。おそらくはリパラインとリネパーイネという二つの言語があり、その言語圏ごとに国家なり何らかの集団が形成されているらしいことは、たとえば「#52 ジュリザード」「#53 止まるんじゃねえぞ」等で描かれているが、ではそれがただちに国家であるのかという点については、作中では言明が避けられている。そのためにフェンテショレーもまた、単にテロリストの組織であるのか、国と国との抗争を可能とするほどの一大勢力であるのかわかりづらい。そのためにフィシャの最期に関しても、どちらかといえば、何らかの卑劣な暴力組織であるフェンテショレーの末端であった彼女が刺客の工作によって口封じ目的で殺害されたかのような印象を受けてしまった。国家の犠牲とするよりは、組織の犠牲、暴力の犠牲である。あるいはこう考えてしまうのも、私自身冷戦終結後のテロリズムについて曲がりなりにも一種の関心を持ち合わせている故かもわからない。脱線するのでこの話題はこれ以上続けない。
 Fafs氏は2018年に入って以降も精力的に執筆をつづけており3月3日現在第88節まで更新されている。

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