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  • エッセイ・ノンフィクション

「20.暖かい痕跡」のノート


僕が住んでいる街には複数の路線が乗り入れる駅があり、そこを中心に急激に再開発が進んでいる。

そのせいで、市街地のあちこちにある生産緑地がマンションや戸建て住宅に変わりつつある。


マンションになる場合、開放された遊歩道や小さな公園が敷地内に併設されることが多い。

このような空間を提供すると、建築物全体の高さや隣接地へ影を投げかける構造物の高さが少し緩和されるらしい。建築基準法に定められたこれらの遊歩道や公園などを「公開空地」と呼ぶのだそうだ。

売る側にすればマンションの部屋数はひとつでも多い方が良い。だから、公開空地を提供して階数を増やすということだろう。


主要駅周辺は街ぐるみで開発されるものだ。駅近の大型マンションが規模の大きな公開空地を提供すれば、「開発」の見栄えも良い。空地を提供する側とされる側の利益がいかにも一致し、実質を伴った公園なり遊歩道ができる。

一方、住宅街の奥まったところに建つマンションでは、猫の額のような公園であることが多い。隣近所も、提供される空地に合わせてこちらも整備しましょう、とはならない。必然的に、公園は狭い上に「ぽつん」としたものになる。そうなることが分かっているからなのか、それとも、本来の目的の「一部屋」を優先するからなのか、そうした公園ではダメ押しのように陽当たりまで悪い。

周囲に安全な遊び場がなければ利用も多くなるだろうが、少なくとも僕が普段見る公園には遊ぶ子どもの姿はない。だから、遊具も寂しげだ。


ところが、そういう遊具の方が写真を撮るのには面白かったりする。遊具のそばに子どもがいるのは当たり前だからつまらないのだ。

子どもが主役の公園を前にして、撮る側まで大人の事情で眺めている。皮肉な話だ。


とはいうものの、その寂しげな遊具にもよく見れば、過去に誰かと遊んだ痕跡があった、というのが今日の話だ。

残念ながら、その遊び相手が子どもとは限らないのだが…。



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Miranda TM, SuperTakumar 55mm F1.8, Fujicolor100, f/2, 1/60, +2
Date 2018.12.15 16:05

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