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  • エッセイ・ノンフィクション

「26.まず足もとから」のノート

生きものを細胞やそれより細かな視野で観察する仕事をしている。

細胞を構成する成分や細胞が形作る組織には生物の営みに驚くほど似通ったところがある。とりわけ、ヒトの社会に著しい。「分業」は最もよく知られているもののひとつだろう。

なぜそれほど似通っているのだろうか。

近年では、自然にヒントを得た技術やデザインも増えてきた。カワセミの体の流線型やミツバチの巣の強度、ハスの葉の撥水力など、検索すると案外身近にも実用化されているものがある。これらはヒトによる積極的な模倣だ。

しかし、そのように意図していないのに、結果的に似通ったと考えられるものの方が多い。ヒトはおそらく、長い人類史の中で、個々が役割分担をする方が社会をうまく回ることを経験的に会得したのだろう。その分業の様が、あたかも、体内で器官や組織、それらを構成する細胞のあり方と酷似していたのだ。

この例が「ヒト」の分業だと、その完成には思考による方向性があったと期待したくなるが、初期には、むしろ機械的な試行錯誤の要素の方が強く働いたのではないかと思う。なぜなら、ヒトほど言語やコミュニケーションが豊富ではないと思える他の生物にも社会性や分業制が見られるからだ。

短期である程度の進歩をするには思考力の影響力は大きいと思う。しかし、とてつもなく長期間をかけた篩い分けの中では、思考よりも合う合わないといった自然選択的な試行錯誤の方が、結果的に優れた完成形に辿り着けるのではないだろうか。

日常生活でなにかの判断に困ったとき、「そんな気がする」という曖昧な選択基準が脳裏に浮かんだとしたら、それは案外、細胞レベルでの本能的な合理性があるのかもしれない。


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カメラ:Miranda TM
レンズ:SuperTakumar 55mm F1.8
フィルム:Fujicolor 100
絞り値、シャッタースピード、内蔵露出計の指示値:f/2.8, 1/1000, +0
撮影日:2019.01.27

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