※Caution!
「エジカ・クロニカ さだめの王と名もなき王笏」お祭り番外編を近況ノートに再録します。
以前バレンタインの時期限定で公開した学園パロディです。
本編よりもさらにおばかなやりとりが多く、死んでいるはずの人が生き返っています。
コメディに振りつつも、ネタバレすると最終的には夢落ち、本編完結後の時間軸に戻ってくる話です。
なんでもゆるせる方向けの、セルフ二次創作みたいなノリのコメディ成分多めのラブコメです。
よろしければどうぞ。
(1/3)※2月14日~2月16日近況ノートにて更新予定。なお、更新できない場合は翌日更新となります。
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バレンタインデー。
それは、家族や友人のみならず、とくべつな相手に贈りものをする祭日。ちょっぴりそわそわうきうき気分が湧きたって、朝からスキップして歌い踊りだしたくなる、年にいちどの愛の日だ。
全寮制の教育機関クロニカ学院に通う学生たちにとってもそれは、例外ではない。
「……はあ」
イニーツィオ・アダマスはこの日何度目になるかも分からない大きなため息をついた。
学生鞄ももたずに、巨大なトートバッグを抱えて、巨大な学び舎クロニカ城の中庭に面した渡り廊下の片隅で体育座りをしている。
傾いた西日が闇色の髪を朱く染め、向かいの石柱に向かって長い影が伸びていた。もう今日というとくべつな日が、過ぎ去ろうとしていることに哀愁さえおぼえる。
「俺の授業をサボって、一丁前に黄昏モードとは、いい度胸だなぁ。新米“陛下”?」
車輪が回る音と今日も今日とてよく回る品のない舌に、顔を上げずともその正体が知れる。
「クラヴィス――せんせー」
敬称をつけるかつけないかのところで脳天に凄まじい衝撃がきた。ばさ、と音を立ててそれは膝の上に落下する。見れば、人を撲殺できそうな修辞学の分厚い本だった。
クラヴィスはこのクロニカ学院の修辞学と語学を兼ねる教師であり、ローデンシア寮の寮監である。
「いってー」
後頭部を押さえながら涙目でクラヴィスを見上げて、イニーツィオは半笑いになる。
「どしたの、それ」
「聞くな。ちょっと今世紀最大の嫌がらせに遭っただけだ」
死んだ魚の目をしてクラヴィスが言う。
車椅子に腰掛けたクラヴィスの無い脚の上には、百本はあろうかという白いばらの花束が横たわっていた。今から人生を賭けたプロポーズにでも出陣しそうな風情である。
「これ抱えて授業してきたの?」
「どっかの誰かさんが、朝イチで渡してくれやがったもんだからな」
ローデンシア語圏には、バレンタインデーに大切な相手に花を贈る風習がある。
とはいえ、本気で怒らせると相手が学生だろうが容赦はしないこの大人げない教師相手に、百本のばらの花束なんて気合いの入った贈りものができる人物はそういない。相当のキザ野郎か、もしくはクラヴィスの言うとおりの腹黒い人物。あるいはその両方を兼ねる――。
「グリエルモ先生、今年も絶好調だね」
図星だったのかクラヴィスは一瞬押し黙ったが、すぐに反撃に出た。
「んで、お前は? その中身のパンパンに詰まった袋を抱えてめそめそぐすぐすなにをやってやがるんだ?」
その中身の詰まった袋とは、イニーツィオの抱えたトートバッグのことである。
バッグからは、とある相手のために用意したとある花束が顔を覗かせていた。
「……俺もバレンタインデーあげようと思ったんだけど、渡したかった相手に渡せなくなっちゃったんだもん」
「小娘か」
イニーツィオにも一握りのプライドとか羞恥心はある。だからちょっとぼかしてみたものの、クラヴィスにはあっさりすっかりバレていた。
「 “王”と“王笏”なんだから好きに贈り合えばいいだろうが。思春期のかゆ~い空気に俺を巻き込むな」
学パロなのになんで王と王笏が出てくるんだよ、とすかさずツッコミを入れてくださった諸氏のために説明しよう!
全寮制クロニカ学院は、五つの異なる言語を母語とする学生たちが集い、入学とともに母語に応じた寮に振り分けられるという謎のシステムをもつ超マンモス校だ。
そして、その寮の監督生は寮生の推薦によって候補が立てられ、学院の年齢不詳のカリスマ占い師エジカちゃんのお告げによって最終的にひとりの監督生が選出される。そして選ばれた監督生は通称“王”と呼ばれるのだ!
イニーツィオは昨秋、異母兄とデッドヒートを繰り広げ、エジカちゃんの「黒髪赤眼が吉☆ てかあたしの好み♡」というふざけたお告げによって望まぬまま“王”に選ばれてしまったのだ!
ついでに言うと、“王笏”というのは、副監督生のようなものである。
共通言語ハラ語を媒介として共同生活を送る学院には、語学に秀でた学生に言梯師の資格が与えられ、これと決めた相手の通訳として活動できるという言梯師制度がある。監督生が選んだ言梯師が“王笏”なのである!
イニーツィオの言梯師こそ、小娘もとい本編の主人公アル・スブ=ロサなのであった!
「アルは、俺の王笏になんかほんとはなりたくなかったのかも」
イニーツィオは床の隅に溜まった砂利を指でいじいじしながら、つぶやいた。
「これ、俺が最後まで聞かなきゃならんやつか? それとも俺のクソ親父あたりにバトンタッチしてもいいやつか?」
「教師で寮監なんだから、大事な寮生のたまのお悩み相談くらい親身になって聞いてくれたっていいでしょ」
「ハンッ、小憎らしいクソガキの間違いだろ」
「そう、あれは三週間前の、放課後のことだった……」
「――このクソガキ、聞いちゃいねえ」
クラヴィスの徒労の滲む声を置き去りに、イニーツィオの回想がはじまった。
*
冬休みが明けて間もない学院の大広間は、ざわめきと高揚感で満ちていた。
正面の席では夕食を食べ終わったアルが、語学と法学の教師を務めるグリエルモが出した超難解な課題についての見解を述べている。
イニーツィオとしては、どう考えても学生のバケーション気分をぶち壊すために嫌がらせで出したとしか思えないグリエルモの課題の内容などどうでもよかった。
それよりもクリスマスとハロウィンに次いで学生たちを熱狂させる大イベント、来たるバレンタインデーのほうがよほど重要だった。
すでにアルに贈る花は年明け早々手配済みである。おまけにアルが最近無くしたと嘆いていた栞を手づくりで用意までした。
いい男たるもの、いかなる不測の事態にも耐えうるよう、準備に余念がないものなのだ。
学院のモテ男ランキングで毎年五位以内に食い込むグリエルモの超人気高額有料講座『トップオブ紳士 ~バレンタイン対策編~』を受講済みのイニーツィオに抜かりなどなかった。
とはいえ、いくら贈る側が準備万端でいようが、受け取る側がそうではない場合だってある。
贈り主がやたらと重い愛を捧げた結果、それまで良好な関係を築いていた相手との関係性がなんだか可笑しな方向にひん曲がり、永久にこじれてしまった。
そんなそれはそれは恐ろしい怪談話を、イニーツィオは『トップオブ紳士』の常連組の男子学生から聞いて震えあがっていた。
アルとそんなことになったら、この先どうやって生きていけばいいのか分からない。廃人人生まっしぐらだ。
そこで、卑屈な小心者もとい慎重な行動派であるイニーツィオは、アルにまず探りを入れてみることにしたのだった。
「そ、そういえばもうすぐバレンタインだね」
不自然な話の切り出し方をしてしまったが、アルはうれしそうにはにかんだ。
「冬は一大イベント目白押しですね。監督生のお仕事、また忙しくなるんじゃありませんか」
これである。
アルときたら、一に仕事、二に仕事、三に仕事なのである。バレンタインやクリスマスくらい、仕事は脇に置いて、学生気分を謳歌すればいいものを。
クリスマスのダンスパーティだって結局、イニーツィオが運営側で忙しくしていたせいもあるけれど、あんなにおめかししていたくせに一曲だって踊らなかった。
まあ、自分以外の誰かとそのへんで踊られても、イニーツィオの気分は地底の底まで落ちて行ったにちがいなかったが。
イニーツィオ・アダマスとはそのように、繊細で度しがたく面倒くさい男なのである。
イニーツィオは少し膨れて、頬杖をついた。
「バレンタインは監督生主催のイベントもないし、気楽なもんだよ。みんなの悲喜こもごもを眺めてるだけ」
「そうはいっても、イオはいつも寮生のみんなのために無茶をしますから。あ、バレンタインといえば、イシュハ寮生の伝統では、バレンタインはお花を贈るんじゃないんだそうですよ。なんでもチョコレートを贈るとか。手作りすることもあるみたいです。素敵な文化ですよね。わたし、今度サダクビアに〈ほんめいチョコ〉の作り方を教えてもらうことにしたんですっ」
こがねの眸をきらきらと輝かせて、アルがぐっとこぶしを握る。イシュハ語まじりなせいで、イニーツィオにはなにを言っているのかよく分からない。
アルときたら、最近仲良くなったイシュハ寮生との異文化交流に夢中なのだ。彼女を束縛するつもりはないけれど、イニーツィオとしてはちょっぴり面白くない。
このクロニカ学院は寮ごとの閉じられたコミュニティで交友関係が完結していることが大半だというのに、アルのような才媛は寮の垣根を飛び出して、あっちでもこっちでも引っ張りだこになっている。
「ふーん。で、アルはもう誰に贈るか決めてるの?」
「えっっっ!??????」
とたん、アルの陶器のような頬が林檎のように色づく。
「わ、わたしはひとりだけって決めているんです」
「ひ、ひとり? たったひとりだけ?」
「……はい」
蚊の鳴くような声で、アルが頷く。
ご丁寧に一本一本染められた黒橡色の長い睫毛が伏せられて、アルの綺麗で嘘のつけないこがねの眸が見えなくなる。
ひとりだけ。つまり他の誰にもあげないということだ。
期待が頭をもたげたのはほんの一瞬。
すぐにイニーツィオは、終わった……と脳内で打ちひしがれた。
アルのとくべつなど数えだせば切りがない。
育ての親たるグリエルモはその筆頭だ。アルとはほぼ毎日一緒に過ごしているが、「グリエルモ様」の名を聞かない日は一日だってない。
とはいえ、あくまでもグリエルモはアルの保護者的存在だ。
イニーツィオの王笏になる前は、アルは異母兄であるナザリオといい感じだった。正直、なんでアルがナザリオではなく自分の王笏になってくれたのか今でもさっぱり分からない。寮内では、アルとナザリオは「あのふたりって付き合ってるんじゃない?」なんて噂される仲だった。誰に贈るかとイニーツィオに問われて赤面しているあたり、異母兄である可能性が頭ひとつ抜けている。
だが、この頃アルと急接近したボンボン息子のジュスト・ランベルティも怪しい。なにしろあんなに性格最悪の傍若無人大魔王だったくせに、最近は忠犬よろしくアルの周囲にぴったりと張りついている。
いやでも、最近のことを言うのならば先ほどアルの口を突いて出たサダクビアだって十二分に可能性がある。
先ごろまでゆえあって男装していたアルは、なかなか女子生徒の友達をもてずにいたが、どうもサダクビアとは長期休暇にウィンドウショッピングも食べ放題スイーツ店も一緒に行くような仲なのである。
そんなの、イニーツィオだって一緒に行ったことはなかった。
そんなこんなでイニーツィオの思考は、バレンタインデー当日まで堂々巡りを続けることになる。
そして悲壮な決意とともに迎えた、来たるバレンタイン当日の朝。
イニーツィオは起きて早々、ローデンシア寮の談話室で崩れ落ちる羽目になった。
「おはようございます。ナザリオ様。これ、バレンタインのお花です」
そう言ってアルは巨大なバッグから取りだした一輪の花をナザリオに差しだした。
灯りを反射して、薄紅色の花弁が宝石のように光りかがやく。ダイヤモンドリリーの花だった。
ナザリオの榛色の眸が熱をもち、さざ波だつ。一瞬、ナザリオはなにかを言いかけて口を噤んだ。
「……私からはこれを」
気を取りなおしたようにナザリオは淡い笑みを形づくると、アルの制服の襟にそっと針を刺した。シルクを染めてつくった、百日草とカンパニュラが群れ咲く造花のコサージュだ。
アルはその贈りものに、ほんの少し目を瞠って、それから眦をやわらかく下げた。
ナザリオは、そんなアルの耳元に唇を寄せて囁く。
「――私の異母弟を選んでくれて、ありがとう」
その言葉は、暖炉の柱の陰に隠れてふたりを盗み見ていたイニーツィオの耳には届くはずもなかった。
どう考えても恋人同士の逢瀬にしか見えない光景に、愛し合うふたりの仲を引き裂く物語の悪役にでもなった気分になってしまったイニーツィオは、その日の授業もサボって日がな一日黄昏ていたのだった。
*
「んなもん、欲しいもんは奪い取るしかないだろうが」
文句を垂れ流していたわりに結局イニーツィオの話を全部聞いてくれたクラヴィスが、大儀そうに右の腕で頬杖をつきながらつぶやく。
「どっちに嫉妬してるか分かんないふたりから、どっちかを奪うなんて無理だよ。俺がお呼びじゃないんだろうし」
イニーツィオはなおも廊下の砂利をいじいじしながらひたすらうじうじ泣き言を繰り返していた。
その様に盛大なため息をついて、クラヴィスは薄情にも「めんどくせ!」と吐き捨てた。
「つーか、そもそも小娘、昼にルスキニアに花を渡しにきてたぞ」
「えっ!?」
ルスキニアはこの学院の校医だ。
どんな大怪我をした生徒を前にしても彼女の手に掛かれば、たちどころに治してしまう。
女子生徒からのバレンタインの贈りものをもっとも多く手にしているのは、実は彼女なのではないかとまことしやかに噂される、中性的な美女である。
「それに――あー……実は俺ももう貰ってる」
そう言って、クラヴィスはストロベリーキャンドルのミニブーケをひらひらと振ってみせた。
「な、なんで? クラヴィスより俺のほうがアルと仲いいでしょ。狡くない?????」
「それはお前の思いちがいだったりしてな」
クラヴィスは新たにイニーツィオをいじるネタができたとばかりにブーケを見せびらかしてくる。
このおっさん、教師のくせして精神年齢が生徒たちより絶対に低い。
「アル、ひとりだけって言ってたのに。俺、アルにもてあそばれてる?」
「お前じゃあるまいし、小娘がんな面倒な真似するわけないだろうが。そもそもできるとも思えん。どうせお前がアホなこと考えてて聞き間違えたんだろ」
「ひっど。ひどくない? 俺って最近わりと信頼できるやつなんだからね。そこまで言うなら、アルの様子確かめに行くのついてきてよ」
「はあ? なんで俺がお前の保護者よろしくお前の粘着ストーキングを見守らにゃならんのだ。そういうアホなことはひとりでやれ、ひとりで」
シッシッとコバエを追い払うみたいに手を振られても、イニーツィオはめげなかった。
「ふーん。なら今日、父上の晩餐会にクラヴィスも呼んであげようかと思ってたけど、やっぱりやめよっかなー」
ちら、と横目でクラヴィスを窺えば、彼は押し黙った。
息子たちと親子仲が決裂している父バルトロはこのクロニカ学院の理事のひとりだが、多忙なせいでクラヴィスですら滅多に会えない。
クラヴィスは苦虫を噛み潰したような顔をして、「このクソガキ、奥歯ガタガタ言わせんぞ」とかなんとか言っているがまったく怖くなかった。
クラヴィスの車椅子の押手にかかった袋のなかに、誰のための花がおさめられているかなど、わざわざ聞かずとも手に取るように分かる。
クラヴィスにイニーツィオの弱点は筒抜けであったが、その逆もまたしかりなのである。
「決めた。結果はどうあれ、俺はアルに花を贈るから」
イニーツィオの宣言にクラヴィスは目を剥いた。
「へたれのぴよぴよ坊主が突然どうしたんだ」
「おじさんとちがって若人は成長するんですよーだ」
ふふん、と笑ってみせると、クラヴィスが青筋を浮かべて一滴も飲んでいないのに据わった目をした。
「舐めるなよこの小童が。四十路だって成長街道驀進中なんだよ。見てろ、俺様が手本というものを見せてやる」
ふんぞり返ってそう言うと、クラヴィスは車椅子の車輪に手を掛けた。
果たして、イニーツィオとクラヴィスのヤケッパチバレンタイン大作戦がはじまった。