※Caution!
「エジカ・クロニカ さだめの王と名もなき王笏」お祭り番外編を近況ノートに再録します。
以前バレンタインの時期限定で公開した学園パロディです。
本編よりもさらにおばかなやりとりが多く、死んでいるはずの人が生き返っています。
コメディに振りつつも、ネタバレすると最終的には夢落ち、本編完結後の時間軸に戻ってくる話です。
なんでもゆるせる方向けの、セルフ二次創作みたいなノリのコメディ成分多めのラブコメです。
よろしければどうぞ。
(2/3)※2月14日~2月16日近況ノートにて更新予定。なお、更新できない場合は翌日更新となります。
***
「で、さっきのご立派な決意はどこ行ったんだ」
呆れたようなクラヴィスの物言いに、イニーツィオはしーっと唇の前に人差し指をやった。
イニーツィオの視線の先では、アルが階段の踊り場でジュストと談笑している。
イニーツィオは階段の影に身を潜めて階上の様子をじっと窺っていた。
「ジュスト、これ。バレンタインのお花です」
そう言って、アルはジュストにミスミソウの鉢植えを差しだした。青い小さな花々が群れて咲くようすはとても愛らしい。
ジュストはしばらく放心した様子で固まっていた。
それもそのはず、彼はつい先ごろまでアルに嫌がらせをしていたグループの主犯格なのである。
「――僕に?」
擦れた声に、アルははっとしたようすで抱えていた鉢を自分の胸に引き寄せた。
「あ、ごめんなさい。ジュストは学業と剣術のお稽古で忙しいのに、こういう消えものじゃない系って迷惑ですよね」
「迷惑じゃない」
ジュストはそう言って、アルの方に手を差しだした。
「……くれるんだろ?」
明後日の方向を向いたあげくに頬を染めるという分かりやすいにも程があるツンデレムーブを炸裂させて、ジュストが言った。
なんだか学生らしい初々しさ満点の、甘酸っぱい空気がジュストとアルのあいだに漂っている。
爛れていると悪評を立てられがちなイニーツィオには決して醸しだせない雰囲気だ。
あとコンマ一秒でもこのムードを持続させてはならない。断固阻止だ。
ジュストがまごまごと自分からのプレゼントを渡せないでいるうちに、イニーツィオは立ち上がった。
だが、その横を颯爽とひとつの影が横切っていく。
「これはこれは」
その含みのある渋いイイ声に、ジュストの肩が跳ね上がった。
「奇遇ですね、アル」
「グリエルモ様」
イニーツィオの役をまんまと掠めとったグリエルモはにこにことアルを見下ろしている。
階下でそれを目撃していたクラヴィスが、「うわあ、あのジイさん、奇遇ですねって今のタイミングが偶然なわけないだろ」と小声でドン引きしている。大人って汚い。
イニーツィオも考え直してその場にふたたび身を潜めた。触らぬグリエルモに祟りなし、だ。
「今日はバレンタインですから、私の大事なアルに、心ばかりの贈りものをと思いまして。今日は授業もかぶらない日でしたし、どこで会えるかと気を揉んでいたところだったんです」
ジュストが取りだしかけていた花束が見えていないはずがないだろうに、グリエルモはそう言ってのけた。
「わたしもお探ししていました。毎年同じで飽きちゃうかもしれませんけど」
「あなたから頂くもので、飽きるなんてことがあるはずがありません。アルとお花をやりとりさせていただくのも、たしかもう……七回目、でしょうか」
七回目、という部分をやたらと強調してグリエルモが言った。
いまだ花を渡すに渡せないでいるジュストはもとより、そもそもアルから花をもらえないのでは疑惑が浮上しているイニーツィオに大ダメージが入った。もうほとんど瀕死の状態である。
毎年同じものだってなんだっていい。
アルとキャッキャうふふをしながら七度も花をもらったりあげたりできるのなら。
瞬く間に屍を二体拵えたグリエルモを仰いで、クラヴィスが「あのジジイえげつないな」と真顔でつぶやく。
アルから受けとった紫花菜の花束をそっと撫でてから、グリエルモは彼女の髪に赤い花のようなものを挿しいれた。
「サザンカの花を加工してつくりました。ますます輝くようにうつくしくなるあなたへ」
歯の浮くような台詞にも鳥肌すら立たせてもらえないのは、卑怯だと思う。
その辺をほっつき歩いている一般人が言おうものならドン引き案件な言葉の数々も、グリエルモが言うとなぜか様になってしまうのだ。
世のなか、不公平にも程がある。
案の定、アルは耳まで赤く染めて、俯いて口をぱくぱくさせていた。
唯一、クラヴィスだけがカァ~~~~ペッとおっさんじみた痰を吐きだす真似をして応戦している。
こうなっては、イニーツィオが勝手に対抗意識を燃やしまくっていたジュストが気の毒になってくる。
この後にアルになにかを渡すのはハードルが高すぎた。
だがジュストはこの日、並々ならぬ根性を見せた。
「アル・スブ=ロサ」
呼び声に、アルがふわりと制服の膝下丈のフレアスカートを揺らして、ジュストに向きなおる。
ジュストの腕には、向日葵の花束が抱えられていた。
「お前はきっと、似たような花を山ほどもらっているんだろうが」
どこか諦念の滲む笑みを浮かべて、ジュストがアルが肩から提げていた今にもこぼれ落ちそうなほど花で溢れたバッグに花束を押し込める。
アルは他の花たちに埋もれたジュストの花束を取りだすと、「大切にします」と囁いた。それでも足りないと思ったのか、アルは言葉をかさねる。
「もとより、わたしが辿ってきたのはあなたなしでは潰えていた道です。もうわたしからは手放したりしてあげませんから、覚悟しておいてくださいね」
ジュストは掌で片目を覆うと、こもった息を吐きだした。
細く白い息が棚引く。
それからしばらく立ち尽くしていたかと思えば、ジュストは思いだしたように鞄からなにやら薄くて細長い布製のなにかを取りだして、アルの手に握らせた。
繊細な刺繍で向日葵のようなものがかたどられているのがかろうじて見える。
「これは……?」
「栞だ。その……花のついでだ。無くしたって何日も騒いでただろ」
その言葉に、ぱあああっと効果音がつきそうな勢いでアルの顔に満面の笑みが広がる。
「ありがとうございます! これ、ジュストの手づくりですよね。……かわいい」
そう言って、アルはよくよく見れば絆創膏だらけのジュストの手をとった。
今日見たなかでいちばんのアルの笑顔とは対照的に、イニーツィオは声にならない悲鳴をあげた。
かぶった。まさかの栞かぶりである。いや、ジュストが栞を選んだ思考回路は手にとるように理解できる。
アルは基本的に装飾品をあまり身につけない。おそらく出自が関係しているのだろうが、目立つのを避けている節がある。
だから、本の虫であるアルにいちばん傍近くに置いて使ってもらえそうなものといったらどう考えても読書関係の品なのだ。
おまけに近頃大切にしていた栞をなくしてアルは落ち込んでいたから、栞を贈ればほぼ確実に喜んでもらえる。
同じことをイニーツィオも考えたからこそ、学業と監督生業の合間にせっせと夜なべをして栞を作ったのだ。
己の浅はかさに、頭をその辺の柱にガンガン打ちつけたい衝動に駆られる。
ジュストはいい。もう渡してしまってアルにあんなに喜んでもらえたのだから。
でも、イニーツィオはアルの「え、また栞?」というがっかり感を凌駕するだけの一品でこの世紀の栞対決に挑まなければならない。
正直、自分の作った栞はなかなかイケている。『トップオブ紳士』の同志たちにも太鼓判をもらったから間違いない。
イニーツィオは元々器用なほうだ。
だが、相手はあのランベルティ家の身体組成が八割がたプライドでできていそうなボンボンだ。
この大一番に生半可な代物で勝負をかけてくるとは思えない。
アルがジュストの栞のほうを気に入って、この先ずっと彼の栞ばかり使っているさまを目の当たりにしたりしたらショックで寝込む自信がある。
ここはもう、栞のことは綺麗さっぱり忘れて花束だけ渡すべきだろうか。
「……なに唸ってんだ?」
若干引きぎみに、クラヴィスが声を掛けてくる。
「ほっといて」
いじけてめそめそしはじめたところで、階上から「おやおや」と声が上がった。
「“陛下”ではありませんか。今日は授業もおサボりになったと他の先生方から聞いていますが、こんなところで奇遇ですね」
またもや最悪のタイミングでお得意の『奇遇』攻撃をしかけてきたのは、グリエルモだった。
口元に手をやって、グリエルモが優美に微笑む。
背後で、クラヴィスが「がんばれ」と無責任な励ましの言葉を掛けてくるが、もうイニーツィオの豆腐メンタルは風前の灯火だった。
「イオ。心配したんですよ。どこほっつき歩いてたんですか!」
アルが腰に手を当てて、眉を跳ね上げる。
今のイニーツィオは監督生のくせに授業をサボったあげく、アルをストーキングしてその会話を盗み聞きし、勝手に不貞腐れているという有様で、今この瞬間この世でもっとも情けない男にちがいなかった。
だが、恥と外聞の悪さに関してイニーツィオの右に出るものはいない。
それだけは誇ることができる。アルが聞いたらそんなもん誇ってどうするんですかとお説教が始まるにちがいなかったが、今さら落ち込んだところで後の祭りなのである。
イニーツィオは無駄に後ろ向きかつ斜め上に前向きな男だった。
「来て」
イニーツィオはアルの手をとって、階段を駆け上がる。ちょっと、とアルが抗議の声をあげたが、イニーツィオの手を振りほどくことはない。
学院を一望できる露台には、幸運にも先客はいなかった。
凍れる夜の澄みきった息吹に、ぶるりと肌が粟立つ。
イニーツィオは外套を脱いでアルの肩に着せかけると、彼女の寒々しいむきだしの首をマフラーでぐるぐる巻きにした。
意気がしぼまないうちに間髪入れず、花束を突きつける。
慣れ親しんだほのかな花の香が薫り、月明かりに照らされた艶やかな青が色めいた。
イニーツィオにとってそれは、アルとの関係のはじまりの花だった。
アルもこの花にはただならぬ思い入れがあるようだったが、イニーツィオがこの花になにを見てなにを祈り冀ったのか、彼女は知らない。
「……かぶっちゃいました」
自分の言葉かと思ったが、それはアルの声だった。
少し罰が悪そうに、けれどちょっとうれしそうにアルは鞄からイニーツィオと同じ、青い緋衣草(サルビア)の花を取りだした。
「君も……?」
それで、なんだか先ほどまでひとりでから回って百面相していたことがすべてどうでもよくなった。
アルも、この花にイニーツィオとのよすがを見たのだろうか。
なにもかも手放した暗やみで、消えぬ焔のように彼女が道を照らしだしてくれたのと同じように。
花の香がただようだけで、彼女が瞼の裏に描かれて、それでどこへだって歩いていける気がしたように。
アルとイニーツィオは別々の人間で、決してひとつに融け合うことなどできやしない。
けれど、互いが夢見る限りなく近い色をした未来を手繰り寄せるために、ともに同じ道を往くことはできる。
この先、イニーツィオは何度だってこの花が導いてくれた出逢いを思い返すだろう。何度挫けそうになっても、この花を胸にふたたび歩きだすだろう。
イニーツィオにとって、この花はそのような花だった。
そこまで思ったところで、ずき、と頭の奥が痛んだ。
それほどまでにイニーツィオにとって思い入れのある花であるはずなのに、肝心のアルとの出逢いの場面が思い出せない。
そもそも、一介の学生に過ぎない自分がどうしてそんな悲壮な道を往くことになったんだっけ?
「イオ?」
ガンガンと頭が痛んできたところで、アルの呼び声がイニーツィオを引き戻した。なにか大事なことを考えていたはずだが、すぐに頭のなかに霞がかかる。
ぼんやりとした頭でそれでもアルがくれた花束を大事に鞄にしまってから、イニーツィオは「そういえば」と少し膨れて声をあげた。
「先月、アルってばバレンタインひとりにしかあげないって言ってたよね。おかげで俺、ずーっとやきもきしてたんだよ」
アルはまるでなにを言われているのか分からないようすでぽかんとしていたが、やがて茹でダコのように赤くなった。
「ちがっ――あれは……その、サダクビアから教えてもらったバレンタインのチョコレートの話をしているときに聞かれたから」
「チョコレート?」
そういえばそんな話もしていた気がする。たしか、手作りチョコレートがどうのこうの。
アルのひとつだけ宣言があまりに衝撃的すぎて頭から吹っ飛んでいたが。
「わ、わたしも色々考えたんです! イオに緋衣草のお花をあげるんじゃ、ちょっと新鮮味に欠けるかなとか。だけどわたし、お菓子作りってしたことなかったですし、上手くできるか分からなくて、だから――」
そう言って、アルは困り果てた顔で、鞄のなかに手を入れたり抜いたりを繰りかえす。
そこまでお膳立てされて事の次第を察せないほど、イニーツィオは昼行燈ではない。
うっかり頬がゆるんで、にまにまと笑みが漏れてしまう。
目ざとくそれを見とめたアルが、羞恥が限界を超えたのか眸に涙をためてそっぽを向いた。
「わたし、イオにあげるなんて一言も言ってませんからね!」
アルは鞄の持ち手をぎゅっと掴んで、そう言い張った。
イニーツィオは思わず口元を両手で押さえた。
どうしよう。アルが涙まじりの顔をしているのにこんなことを思うのは健全ではないし、道徳的ではないかもしれないが、物凄く――かわいい。
そんなことを言おうものなら、するりとイニーツィオの手を逃れて地の果てまで逃げていってしまいそうで、絶対に口にすることはできないけれど。
イニーツィオは慎重に、頑なに背を向けたままでいるアルの片方の掌に指を絡めた。
アルの華奢で、だけど働き者の指先がぴくりとふるえる。
「欲しいな、俺は。君の、たったひとつのチョコレート」
アルがそろりとこちらを向いて、恨みがましげにイニーツィオを見上げる。
「……イオは、ずるい」
まなじりに、夜を写しとったしずくが月のひかりを弾いている。
それを親指の腹でそっとぬぐって、イニーツィオは微笑った。
「いくらでもずるくなるよ。君がくれるものは、なんだって欲しい」
アルはまた目のふちを融かして、きゅっと唇を引き結んでいたが、観念したように綺麗にラッピングされた包みを取りだした。
「味は保証しかねますからね」
まだそんなことを言っているアルの手を引いて、イニーツィオはすぐ傍にしつらえられたアイアン製のテーブルセットに彼女をいざなった。
「開けていい?」
「どーぞ」
ちょっとぶっきらぼうに響く声さえも、自分だけに向けられたものだと思うといとおしかった。
丁寧に結われたリボンの結び目をほどいて、ちいさな箱を取りだす。
ふたを開けると、トリュフのチョコレートが六つならんでいた。形は同じだが、どれも色がちがったり、パウダーがまぶしてあったり、ラインが引かれていたりと手が込んでいる。
「今食べていい?」
「…………! どうぞっっ!!」
ほとんどヤケになって、アルが応える。
どれから食べようかしばらく指をさまよわせてから、イニーツィオはホワイトチョコレートのトリュフを手にとった。今は、胸やけするような甘さに溺れたい気分だった。
アルはハラハラと固唾を呑んでイニーツィオの一挙手一投足を見守っている。
舌先に乗せると、濃厚なまるみのある甘さが溶けおちていった。なかにはベリー系のクリームが包まれていて、甘酸っぱさが後をひく。
「……おいしい」
「ほ、ほんとですか? わたし一応、お腹の薬ももってきたんです」
至極真面目な顔をして、アルがピルケースを取りだす。それがおかしくて、思わず噴きだしてしまった。
「笑いごとじゃないですよ! うちの大切な“王さま”を医務室送りにしたのが“王笏”だなんてことになったら、シャレにならないんですからね!」
アルがぷりぷり怒っているようすを頬杖をついて眺めていると、なんだかやっぱり栞を渡したい気分になってきた。
「あのね」
ちょっと緊張した面持ちで切りだせば、アルが「やっぱりお腹が痛いんですね!?」と椅子から飛び上がった。
「ちがうってば。俺ね、もう一個かぶっちゃったんだけど」
そう言って、イニーツィオはいそいそと鞄から一枚の栞を取りだした。
アルが目を見開いて、それからそっと糸でできた花弁に触れた。
「緋衣草ですね」
「うん、でもまさかかぶるとは思わなくて、」
肩を落とせば、アルがくすりと笑った。
「笑いごとじゃないよ、もう」
「本好きには栞はいくつあっても足りませんし、どちらももったいないくらい素敵な品です。両方、大切にします」
そのいらえに、ふくざつな思いがないではなかったけれど、アルが心底うれしそうに栞を胸に抱きしめているので、まあいいかと思う。
「あーあ、俺、今日が人生最後の日でもいいや」
思わず、そんな戯れを口にする。
こんなに幸福な日はたぶん今までの人生でなかった。
そして、この先一生訪れない気がする。叶うのならば、ここで永遠に時をとどめてしまいたい。
だけど、アルのまなざしがそれをゆるさなかった。
「……死にたがりはやめると仰いました」
「物の譬えだよ」
苦笑しても、アルはまだ眸につよいひかりを宿して、イニーツィオを見つめ続けた。
「それに、まだ今日は終わっていません」
「え?」
「鞄のなか。まだ、お花が入っていますよね」
その言葉に、心臓がどくんと大きな音を立てる。
アルは立ち上がると、イニーツィオに手を差しだした。
「ねえ、イオ。わたしはあなたの言梯師なんです」
そう言って、アルは月光を浴びてほの笑う。
「あなたが誰かに伝えたい言葉を届けられずにいるのなら、そしてそれをわたしが運ぶことをゆるしてくれるのなら、わたしはわたしの仕事をします」
アルの言葉はいつだってまっすぐで、目の前の人間に誠実だ。
その響きに、思わず手を伸ばしてしまう。
彼女の冷えた指先に手が触れるやいなや、立ち上がらせられた。
「お父さま――バルトロ理事の晩餐会、わたしも出席していいんですよね?」
「え、あ、うん」
ほとんど反射で頷けば、ぐいと手を引っ張られる。
それからふたり揃って、夜のクロニカ城を駆けだした。