※Caution!
「エジカ・クロニカ さだめの王と名もなき王笏」お祭り番外編を近況ノートに再録します。
以前バレンタインの時期限定で公開した学園パロディです。
本編よりもさらにおばかなやりとりが多く、死んでいるはずの人が生き返っています。
コメディに振りつつも、ネタバレすると最終的には夢落ち、本編完結後の時間軸に戻ってくる話です。
なんでもゆるせる方向けの、セルフ二次創作みたいなノリのコメディ成分多めのラブコメです。
よろしければどうぞ。
(2/3)
***
クロニカ城の一角にある金剛の間には、バルトロに近しい学院の関係者や学生たちが一堂に介していた。金剛の間は普段はスポーツや演劇などで使用されている部屋で、会場となったフロアの上階をぐるりと観客席が囲んでいる。
今宵はビュッフェスタイルでドレスコードもないため、カジュアルな雰囲気だ。
父バルトロの姿はなかった。まだ開始時刻を過ぎて間もないというのに、社交嫌いの父は役目は終えたとばかりにもうどこかに引っ込んでしまったらしい。
「イオ、あそこ」
アルの指差すほうに目を凝らせば、階上に向かう昇降機のあたりにクラヴィスの姿が見えた。
それを追いかけてきたらしいグリエルモが、邪険にされながらも車椅子の押手を掴む。押手には、依然として中身の詰まった袋が提げられていた。
普段どおりのくたびれたスーツに袖を通しているクラヴィスとは対照的に、グリエルモは白の優美なタキシード姿で、誰にもらったのだか胸元に黒いばらの花を挿している。
どうやらふたりは二階席へ向かおうとしているところらしい。
階上をよくよく見渡せば、バルトロが柱の陰になった一角でひとりゴブレットを乾していた。
やがてグリエルモの介助を得てクラヴィスがやってくると、バルトロが立ち上がって、スロープが設けられた通路の傍へと移動する。照明のもとに、鍛えられた抜身の剣のような身体が照らしだされた。
ただでさえ口数の少ない父のことだ。
言葉にすることこそなかったが、いつもそのように黙してみずからの言梯師を待っていたのを、イニーツィオは知っている。
クラヴィスはなにごとかを口走って、片腕いっぱいに抱えた鉢植えを主に向かってぶん投げた。
手本を見せてやるとか豪語していたわりに、イニーツィオと目くそ鼻くその醜態である。
とはいえ、父も大人しく撲殺されてくれるようなたまではない。
悠々と鉢植えを片手で掴むと、動じたようすもなくその花を眺める。
クラヴィスが決してバルトロの顔を見ようとしないあたり、よほど小恥ずかしい思いが花に託されているようだ。
ここからでは花の貌(かたち)はよく見えなかったが、昼間にクラヴィスの袋から覗いていたのを見たのでその名は分かる。
エキザカムの花だった。
バルトロは、うんともすんとも言わずにもう片方の手で懐をまさぐった。
ピンのようなものが現れて、クラヴィスの右の掌にそれが落とされる。
クラヴィスは呆けたようすでしばし時をとどめた。それも意に介さず、バルトロは背を向けて観客席を下りていく。
グリエルモがクラヴィスの代わりに心得たようすで彼の胸元にピンを挿してやるのが見えた。
やがて、グリエルモに車椅子を押されて、クラヴィスも観客席の最前列にやってくる。
それでイニーツィオにも、父がクラヴィスに差しだした花の名が知れた。
ヒナソウだ。
その花の意を頭のなかの事典から引っぱりだしてきて、イニーツィオは我が父ながらなかなかにくい花を選んだものだと思う。
とくに、エキザカムを差しだしたみずからのかつての“王笏”たる男に贈るには。
「あっ」
アルの声がまろびでて、意識が階下へと戻ってくる。
視線を走らせれば、黒の正装に身を包んだナザリオがこちらを見つめて佇んでいた。
「久しいな」
躊躇いに揺れてこそいたが、懐かしいやわらかな低い声音は膚に融けいるようだった。
異母弟に向けるものとも思えない、淡い笑みが口の端に浮かぶ。
イニーツィオは一歩も動けずに、そのさまを見つめていた。
「――あにうえ」
いつぶりに口にしたかも分からないその名がこぼれ落ちると、ナザリオは少し呆れたような、困ったような顔をした。
「私はそろそろ暇する。お前は楽しめ」
それきり、ナザリオは背を向けて立ち去ろうとしてしまう。なにか言葉を掛けなければと思うのに、舌先がはりついたように動かなかった。
「待ってください」
すぐ隣で、アルの声がした。
驚いて目をやれば、どこまでもやわらかな春の日射しのような眸にかち合う。
アルは振り向いたナザリオに会釈をして、イニーツィオの手にそっと触れた。まるで、体温を分け与えるようなしぐさだった。
イニーツィオが頷けば、アルは心得たようすで、するりと背後に下がる。
暫くぶりに真正面から見つめたバルトロ譲りの榛色の双眸は、一切の感情を覗かせないほどに凪いでいた。
だが、ゆらりゆらりと奥底からひかりが揺らめくのを、イニーツィオは見とめた気がした。
「異母兄上、お渡ししたいものがあったんです。その、今日はバレンタインなので」
そう言って、イニーツィオは鞄のなかから取りだした花束を半ば無理やり押しつけた。
異母兄に贈る花は、さんざん悩んだあげく、白いカーネーションを選んだ。その花にまぎれるように、大小さまざまな透明な金剛石風のビーズフラワーが顔を覗かせている。
イニーツィオはアルの信じる言葉を信じている。
けれど異母兄に関しては言葉にできない、してはならない思いが数多くあった。
だから今日という日に力を借りて、思いを託す。
ナザリオは顔色ひとつ変えずにただ立ち尽くしているだけで、なにを考えているのかまるで分からない。
異母兄は、イニーツィオを毛嫌いしている。
そんな相手から渡された花など捨てられても仕方ないとは思っていたが、さすがにその現場を見たら心が折れてしまいそうな気がして、花を渡すだけ渡すと早々に踵を返した。
「イニーツィオ」
だから異母兄の声が自分の名を呼んだことがまるで信じられなかった。
「お前に、これを」
手渡されたそれは、今日という日にふさわしい花だった。
枝先に青い花をつけた数本のローズマリーが、細いリボンでくくられている。リボンの結び目の下には、金剛石を模した透明なビーズが涼やかに揺れていた。
イニーツィオになにかもらったから仕方なしになにか代わりのものを返した、というのではないだろう。
自惚れでなければこれは、イニーツィオひとりのために用意されたものだ。
花のすがたがぼやけて、目頭が熱くなる。
「“王”がそう易々と泣くな」
その叱責も、言葉とは裏腹に弱々しい。
刹那、影が落ちる。背中になにかが触れかける感触があった。しかしそれはすぐに幻のようにさっと離れる。
ナザリオは引っ込めた手を握り込んで、自嘲するように鼻を鳴らした。
かつては両の手では数えきれぬほど、その手に引かれて、頭を撫でられ、抱き上げられてきた。
けれども今は、指先ひとつ触れあうことすら躊躇う。イニーツィオもその手がほしいとただ泣きわめいて乞うことはできなくなった。
もはやただの兄弟に戻れないことは、互いに分かっていた。
なんだか頭に靄がかかって、こうまで兄弟仲が拗れることになったきっかけを思い出すことができなかったが、もうなにひとつ取り返しがつかないことだけははっきりしていた。
そこに、ひとひら。はらりと、花びらが落ちてきた。
橙色のそれは、一枚では飽き足らず、ひらりひらりと舞い落ちてくる。ぽとりと手のひらのなかに落ちてきたものは花びらだけになっておらず、花の貌を残していた。それで花の名が知れる。カランコエだ。
白や赤や黄や薄紅色に色づいた花びらたちは、どれも同じカランコエの花のようだった。
会場のそこここから、思わぬサプライズにわっと声が上がる。
ふたり揃って頭上を見上げれば、階上で巨大な籠を抱えて、グリエルモとクラヴィスがフラワーシャワーを降らせていた。
そのふたりの奥で、頬杖をついてバルトロが階下を見下ろしていた。
イニーツィオとナザリオの視線に気づくと、あからさまに厭そうな顔をして明後日の方を向く。実行部隊こそグリエルモとクラヴィスだったが、その指示を出したのは誰か、火を見るよりも明らかだった。
ナザリオと目が合う。らしくもない父の振る舞いに、思わずどちらからともなく笑みがこぼれた。
兄が笑うとき、目元にくしゃりと笑い皺ができるのがすきだった。
もう見ることはないと思っていた皺をつくって、ナザリオが忍び笑いを漏らす。
するとますます、父は機嫌を損ねたようすでそっぽを向いた。
ナザリオの切れ長の眸が弓張り月のように弧を描いてイニーツィオを見やる。こらえきれないといったようすで肩に体重がかかった。
異母兄の重みを感じながら、イニーツィオは背を丸めて声をあげて笑った。
兄弟のように笑い合うのは、幾百年ぶりのような気がした。
そうしてひとしきり笑って、気がついた。
――こんな幸せは、この身にはありえない。
* * *
深く沈んでいた意識が、浮上する。
目覚めると、四人も五人も寝そべることができそうな立派な寝台の上だった。
「お寝坊さんですよ」
耳に馴染んだ声に導かれるように目をやれば、アルが花瓶に生けられた緋衣草の水を変えているところだった。
「……おはよう、俺の言梯師さん」
「おはようございます、わたしの王。どうかされましたか?」
イニーツィオの優秀な王笏は、寝起きの取るに足りないぼんやりとした声にもなにか普段とちがう色を嗅ぎとって、忙しなく動いていた手を休めた。
「ううん、ただ、夢を見てた」
「どんな夢か、聞いても?」
「……幸せな夢だよ。自分が自分に見せた、都合のいい嘘」
それは、覚めてしまえば虚しいだけの虚構に過ぎない。
父がまだ生きていて、異母兄が牢に幽閉などされておらず、エジカが絶対ではない世界。
笑ってしまうくらい、ありえない。
己が往くのは呪われた道で、あのようなやさしい世界にはもはや手は届かない。
そんなことは、こんなふうに思い知らされずとも分かっていた。なのに性懲りもなく、幸福な夢を描いてしまったことが腹立たしかった。
アルはイニーツィオの着替えを抱えたままその場に跪くと、こちらを見上げてきた。
「これは、外つ国の言い伝えですが」
つとめて穏やかな声でそう言って、アルはふわりと笑みをまとった。
「夢には、他者や死者の思いの介入する余地があるのだそうです。夢枕に立つ、なんてことわざもあるとか。……だから、いいんじゃないでしょうか。たとえば、ほかの誰かが見せてくれた夢だと思っていたって」
アルは、いつだって欲しい言葉をくれる。
そのどこまでも甘やかな言葉に一瞬飛びつきそうになって、イニーツィオは頭を振った。
「俺は、分不相応な望みはもたない」
「――あなたが望みをもつことの、なにがいけないの」
斬りつけてくるようでいて、ほとんど懇願じみたまなざしに息が詰まった。
アルは気づいているだろうか。
彼女が憤りをそのこがねの眸に宿すときいつも、泣きだしそうな顔をしていることに。
「わたしは、あなたの王笏です。あなたの望みを叶えるために、わたしはいるの。なのに最初からあなたが諦めていたら、わたしは一体、どうしたらいいんです」
アルは焦れたように、イニーツィオの手に指を絡めた。
「ねえイオ。あなたが描く未来(あす)にかぎりなく近い景色を、わたしも夢見ていたい」
指先に力がこもる。そのたしかな体温に、まなじりが融けていくのを感じた。
「だからどうか、それを分け合うことをわたしにゆるして」
ねだるように、こいねがうように、アルがみずからの手のひら越しにイニーツィオの指先に口づけを落とす。
イニーツィオが往くのは、あの豪気な父すらも虚ろな深い淵に沈めた呪われた道だ。
父とその王笏が描いたうつくしい夢はすべて無残に打ち棄てられた。
それを知ってなお、アルはイニーツィオが抱く大望も、見果てぬ夢も、分かち合いたいなどと酔狂なことを言う。けれどその酔狂こそが、イニーツィオに歩きつづける力をくれる。
そろりと頷けば、アルがパン、と手を叩いた。
「さあ、そのためにもじゃんじゃんお仕事しますよ。二刻後から議会、昼過ぎからは陳情聴取、夜はカルディア公との会食が控えています」
「げぇっ」
「げぇっじゃありません! その調子じゃグリエルモ様とクラヴィス公にまたガミガミお説教されますよっ。はい、起きて身支度してさっさと朝食を召し上がってください!」
アルの声に急かされるように足元の靴に手を伸ばして、イニーツィオは目を見開く。
すぐ傍に、ひとひら、橙色の花びらが落ちていた。
「カランコエ――? どうしたんでしょう。最近イオのお部屋に飾ったりしていなかったはずですが」
きょとん、とした顔でアルがつぶやく。
それは、奇しくも夢のなかで父がイニーツィオとナザリオに降らせた花と同じだった。
偶然かもしれない。意味なんてなにひとつないのかもしれない。
相手は死者で、尋ねることなんてできやしない。でも。
イニーツィオは花びらを拾い上げると、握りつぶさないようにそっと握りこんだ。
瑞々しく肌に吸いつくそれは、夢幻ではなくたしかにそこにある。
イニーツィオは夢の残滓を傍の脇机にしまい込むと、朝陽を浴びてぐんと伸びをした。
そうして今日も、一日がはじまる。
* * *
【蛇足の花言葉紹介(季節感についてはスルーしています)】
白ばら【グリエルモ→クラヴィス】:深い尊敬、私はあなたにふさわしい
ダイヤモンドリリー【アル→ナザリオ】:また会う日を楽しみに
百日草【ナザリオ→アル】:遠い友を思う
カンパニュラ【ナザリオ→アル】:後悔、感謝
ストロベリーキャンドル【アル→クラヴィス】:胸に灯をともす
ミスミソウ【アル→ジュスト】:信頼
紫花菜【アル→グリエルモ】:知恵の泉、叡智、仁愛
サザンカ【グリエルモ→アル】:困難に打ち克つ、ひたむきさ
向日葵【ジュスト→アル】:光輝、あなただけを見つめる、愛慕
青の緋衣草(サルビア)【アル⇔イオ】:尊敬、知恵、永遠にあなたのもの
黒ばら【クラヴィス→グリエルモ】:あなたはあくまで私のもの
エキザカム【クラヴィス→バルトロ】:あなたの夢はうつくしい
ヒナソウ【バルトロ→クラヴィス】:おとぎの国の夢
白いカーネーション【イオ→ナザリオ】:あなたへの愛は生きている
ローズマリー【ナザリオ→イオ】:あなたは私を蘇らせる、変わらぬ愛、追憶
カランコエ【バルトロ→イオ・ナザリオ】:幸福を告げる、たくさんの小さな思い出、あなたを守る