正義ってねぇ、悪よりも残虐なんですよ。自分のやってる事が「悪だ」と分かっているのなら良心によるブレーキがかかります。
でも「自分は正しい、正義だ」って思うとどこまでも突き進んでしまって止まらないんですよ。
「正義」のためなら人はどこまでも残虐になれますし、それで良心が痛むことは一切無いんですよ。
「自分は正しい側にいる」と思っていたら人間どこまでも残虐かつ非道になれます。
実際、ヒトラーのユダヤ人迫害もポル・ポトの原始共産主義革命も「何百万人」単位で人が死んだわけですけど「それが正しいから」行われていたわけでして。
正義のためなら何百万人殺しても良心は痛まないんですよ。だってそれが正義なんですから。
過去に宗教戦争でどれだけの人が死んだことか、そして令和の現代でも現在進行形で死に続けていることか。これだけ見ても「正義って危なっかしい」とは思えるはずです。
現在でもハマスなんかは「イスラエルをぶっ壊す」事を行動理念として活動しているそうですし、
奇襲して民間人を殺しまくって人質にとっても「それがイスラエルを潰すためには正しい事だから」と、いくらでも正当化できるんですよ。
「悪を破滅させて何が悪いんだ? 相手は悪だぞ? 悪は情けも容赦もかけずに、完膚(かんぷ)なきまでに滅ぼしていい、いや滅ぼさなくてはいけない相手なんだぞ?」
って話になる。その「相手を滅亡させなくては、と思う程の『悪』は誰がそう決めたのだ?」という理由も語ることなく、だ。
宗教戦争では「相手が俺たちの神を信仰しないからだ」っていう「真っ当な」理由があるので止まらなくなるんですよ。
「法治国家」っていうのは「人類の文明4000年の中で育った膨大な量の集合知」である法律を治政の基盤にしているんですが、
それの最も大きなメリットは「正義の暴走」を極力起こさないためなんですよ。
人ってのは「正義がもたらす快楽」にはとてつもなく弱くて、すぐ暴走するんですよ。それを防ぐために「法治」があるんです。
実際、WEB小説界隈では追放ものが流行りに流行った時期があったんですが、
あれも「理不尽に追い出した相手が破滅する」のと「理不尽な理由で追放した相手に復讐できる」事が「本能にぶっ刺さる快楽」だったから流行ったわけで(諸説あり)。
憎い悪である追放勇者様をぶっ潰すのは正義なんですから止まるわけがない。
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