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そして〈エクソシスト -信じる者-〉

この心温まるホリデーシーズンになんちゅーものを公開してるんだ…(笑)。
もちろん観に行きました。

2010年にハイチのポルトープランスで起こった大地震から13年。
地震で妻を失い、彼女の命と引換えに遺された一人娘を育てるシングルファーザー。
その娘と親友の少女が、亡くなった母親の霊と話したいと行った降霊術をきっかけに悪魔に憑りつかれ、それを祓おうと苦闘する、ふたりの少女の家族とその隣人たち…(+聖職者)

という話なのですが、
徹頭徹尾キリスト教的映画でした(当たり前だ)。

が、所々時勢を反映しているのが微妙に可笑しい上、いかにもアメリカ的、というかアメリカでしか作れねえだろうなあ、と思わせるものがありました。

まず、オープニングがハイチで、臨月の妊婦が呪術師にお腹の赤ちゃんの加護を祈ってもらう、というシーンにドキドキ。
よりによってハイチ!(ヴードゥーのお膝元)
なので、この呪術師がどういう信仰に属しているのか背景から探ろうとしてみましたが、(パンフレット買っていないので裏話含め)残念ながらよくわからず。

また、今作は作中にスラスラと聖書の表現が出てくるのも瞠目ポイント。
というのもある意味当然で、少女の片方は熱心なプロテスタントの家庭育ちだから。そのため悪魔祓いに所属教会の牧師が参加(笑)。

娘の様子がおかしくなったことについて、
「洗礼前だから悪い霊が憑りついたのよ」「うちの宗派は幼児洗礼を認めていなくて…」という会話が交わされるのにはビックリ。
(へぇ~…そういう考え方するんだ…(そしてそれを何の疑いもなくお隣さんの前で口にするんだ…))

エクソシズムの専門家となった、前作のシングルマザー、女優のクリス・マクニールが、
「なぜ悪魔祓いの立ち合いを許されなかったのか」と少女の父親に聞かれ、
「理由はわからないけど、わたしが女だからでしょ」
と答えるところ(カトリックは女性の司祭職を認めていない)、
カトリックの司教たちが悪魔祓いを許可せずに神父が不参加になるところ(基本、上意下達で権威主義的。なので神父本人は参加したくても、ダメと言われて悩むのはある意味正しい)は、「これ絶対カトリックへのあてつけだろう!」と思っていました(笑)。アメリカにおけるカトリックの位置づけってなぁ…。

一口にキリスト教といっても宗派は様々、中にはちょっぴり怪しげな民間信仰もあり、それでも「神様を信じてる!」と言い切ってしまえるのが、アメリカ的というか、なんというか…。

とはいえ、クリス・マクニールの「あらゆる文化・宗教に悪魔祓いの儀式はある」の言葉通り、牧師、元修道女志願の看護師、アフリカの民間信仰を奉ずる女性にまで協力を求める本作ですが、クライマックスにさしかかり女呪医が唱えるのもやはり聖書、イエスの救けを求める祈り。
…ま、そうじゃないとね。

前作の、「神はなぜ悪に対して沈黙しておられるのか?」という神学的なテーマから、「現代における信仰とは?」みたいに変わってきたように感じたのは私だけでしょうかね。

個人的には、この映画(というか、エクソシスト系列映画)で一番怖いのは、悪魔憑きの演技でも、神父の首が360°回って殺されるシーンでもなく、「それぞれの登場人物の隠していたことが暴かれる」シーン(大体、悪魔は司祭に憑りつけないって言われてるんじゃなかったのか…)。
自分の中の暗い部分が明るみに出てもなお、人は前に進み続けることができるのか?

その答えは、クリス・マクニールが繰り返し「希望は最後まで残る」と口にする裏にあるのではないかと密かに思っています。
 なぜ、タイトルが「BELIEVER-信じる者-」なのにクリスが「信仰」ではなく「希望」と言い、ある意味利己的な選択をした者がどういう目に遭うかが示されるのを見るに及び――

『このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』
(『コリント人への第一の手紙』第12章13節)

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