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「八重姫様御大変」おまけ・登場人物のその後

豊太郎=豊千代=徳川家斉(いえなり)
 十五歳にして第十一代将軍に就任した後、徳川家十四代の中でも最長の五十年に渡る治世を誇る。当初は松平定信の補佐を得たものの、定信の失脚後および彼の意思を継いだ「寛政の遺老」らの退任後は水野忠成を重用する。五十人以上の子女を儲け、その(養子)縁組のために幕府の財政を圧迫させた一方、統治下では文化・化政年間を始めとして町人文化が爛熟を極めた。

水野忠友
 天明八年(一七七八年)に老中罷免後、還暦目前にして初めて参勤交代して所領の駿河藩に入る。それまで幕政に注力していた分、武家屋敷の整備など国元の統治に励む。寛政八年(一七九六年)西の丸付老中に復帰。享和二年(一八〇二年)死去。享年七十二歳。

吉太郎=水野忠成(ただあきら)
 義父忠友の死後、沼津藩および出羽守を継ぐ。奏者番、寺社奉行、若年寄を経て文政元年(一八一八年)老中に就任。将軍家斉の信任のもと、意次の再来とも囁かれるほどの権勢を奮う。天保五年(一八三四年)在職のまま死去。享年七十三歳。

金弥=水野忠徳(ただのり)=田沼意正(おきまさ)
 離縁後、名を意正と改めて母の実家田代家に身を寄せる。田沼家を継いだ意明(おきあき=龍助)およびその兄弟、養子が相次いで早逝したため、文化元年(一八〇四年)、田沼家を継ぐ。文政六年(一八二三年)、父意次の旧領である相良藩に帰封。その裏には忠成の推挙があったともいう。若年寄を経て西の丸側用人まで昇進。天保七年(一八三六年)死去。享年七十八歳。

八重
忠成との間に嫡子忠義(ただよし)を始めとする二男三女を儲けた。夫や前夫の死後も健在で、義理の曾孫にあたる忠良(ただなが)の代まで水野家を見守った。弘化二年(一八四五年)、八十九歳で死去。

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