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孤独な父へ

私が生まれたきっかけは父による母への夫婦間の不同意による暴力でした。三人姉妹の1番下。我が家の呪いの始まりでした。母は私を産んだ後、上二人と平等に私を育ててくれました。幼い頃の姉妹仲はよかったです。父も優しかったです。10歳までは他の家族と変わらないくらい、賑やかで仲睦まじい家庭でした。私は上二人よりも少し早熟でした。初経も早かったし、体つきもわずかながら大人っぽく、そして何よりも、顔立ちが母にそっくりでした。母は私の生まれた件から完全に父を拒絶していました。そこへ母に似た顔で発育のいい子供がいたのです。もうやることは決まっていました。しかし、父も理性があるので決定的なことまではしませんでした。だからか、それを目撃していた母も気に留めることなく愚行は四年も続くことになります。中学生になって、私が初めて自らがされてることを認識してから、父は手を出してくるのをやめました。それからの人生が最も地獄のようだったと思います。呪いのような記憶を抱えて思春期を迎えた私は特に性的側面において、ほとんどの感受性を失ってしまいました。今でも元に戻っていません。そして、人の目を見られないようになりました。父の目は特に捕食者のようで怖かったので。男性恐怖症は当然の如く。そうして私は自然と女子校への進学を選ぶようになります。そこはいい環境でした。本当に。そこでは私はトラウマを忘れて自分らしく生きることができました。でもそれも一年で限界が来ました。段々と学校を休みがちになります。ある時母に全てを打ち明けて、精神科に行きたいと申し出ました。母は思い出したかのように10歳の頃の最初の犯行に気づきました。それからは薬を飲みながら学校に通い、母と口裏を合わせて他の家族には病気や父のことを内緒にして過ごしていました。しかしそれでも学校に行くのは辛かったです。私を傷つけるのは父だけではありません。姉は私を恨んでいました。姉は私との学力の差にコンプレックスを抱えていました。それをある時父が責め立て、姉は爆発してしまいます。それから父と姉は険悪になり、父は姉の学費を払わなくなりました。昔から父は姉に冷たかったです。そして私にだけは妙に猫撫で声で優しくするので、それを幼少から見ていた姉はきっと嫉妬したのでしょう。望まれた姉は愛されずに、望まれなかった私が愛されてしまうのは歪です。全てを見ていた1番上の姉は無関心でした。彼女も関わりを持たないことによって身を守っていたのでしょう。10歳の頃、父の最初の狂気が忘れられなくて、母に泣きついたことがあります。私が父が怖いと叫んでも、母は何も言わずに、静かに私を抱きしめました。しょうがないと、言っていたかもしれません。多分、同じ父の被害者として、抵抗できないことは分かりきっていたのかもしれません。あの時はなんだか心が冷たくなった気がしましたが、今思い返すと、母と最初に心が通じ合った瞬間だったのかもしれません。それから色々あって、父の愚行が家族全員にバレることになります。私は無事に、祖父母の家に預けられることになりました。その一年半でもまた、病気と戦うことになるのですが…ここでは置いておいて。それから父はすっかり自室に篭るようになりました。高校を卒業した頃、祖父母は高齢で私の世話に限界を感じていたので私は実家に戻ることになります。それから一年間留学の準備をしていました。ある時、学費を出してほしいとお願いしにいこうと、単身父の部屋に入ります。そこで父が呟いたことを今でも覚えています。出してやりたいけど…と言いました。出してやりたいとは思っているんだ、と思いました。父は私を逆恨みするでもなく、結果的に予想していたより多めに学費の援助を受けることができました。この時同時に、父が病気であることも知りました。肺に影があると。もうすぐ死ぬと嘆いていました。その瞬間、なんだか全てが馬鹿らしくなってきたのです。父親を極悪人だと思っていた自分が肩透かしを喰らったみたいに、頭の中がぐらつきました。それから留学してもうすぐ一年。キリスト教と出会って友達を作り、私の居場所が出来ようとしています。そんな中、父の孤独について考えるのです。父はどうすれば、救われれるのでしょうか。母に拒絶され、姉に憎まれ、散々縋りついた私と離れて。私は神父さまに相談しました。父のために祈ってくれないかと、神父さまは毎週火曜日に私たち家族のために祈ってくれているらしいです。もし父が最後を迎えようとするならば、私はその前に話をしようと思います。大した話はできないでしょうけれど、私が空港の出発口に並んでいた時、最後まで残って手を振っていた父の恩に報いたいのです。最も、姉や母のことも大事なのですが。

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