「二人のクラウゼビッツ」
霧島兵庫
を読んだ。
初めてクラウゼビッツの名を知ったのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」だったろうか。
後年大日本帝国を滅亡に導いた陸軍参謀本部の傲岸不遜を揶揄した件かと思う。
日露戦争までは上手く機能した陸軍参謀本部のお手本はプロシアの陸軍参謀本部にあった。
その参謀本部の本部長にモルトケがいて、大日本帝国陸軍の創生に多大な影響を与えた。
クラウゼビッツは士官学校ではモルトケの先生であり、あの「戦争論」の原著者でもある。
司馬遼太郎は「坂の上の雲」を描くに辺り、陸軍はクラウゼビッツの戦争論を海軍はマハンの地政学を参考にして執筆したと思われる。
「二人のクラウゼビッツ」は「戦争論」の生まれ出る道程を描いた作品であり、司馬遼太郎のファンならば随分と楽しく読めるのではと感じた。
本作を読んで初めて知った事がある。
それは戦争論の出版に辺り、クラウゼビッツ夫人が決定的な役割担い、序文まで認めていると言う事実だ。
鉄と血を扱う未完の論文を出版にまで持ち込んだ、宮廷女官長であり伯爵息女でもあったマリー・フォン・クラウゼビッツが如何なる女性であったのか。
読後、寧ろその事についての興味が尽きない。