• 二次創作
  • 詩・童話・その他

【現状確認+広報】

どうも、人間としての倫理観を危ぶまれ始めた甘味しゃどです。
まあ、共産主義の本とか、海外ニュース誌とか、挙げ句の果てに戦争論なんて読んでるって言ったら皆「ハァ?」って成りますよね。
知ってた。

本日此処に書くのは、素直に小説が未だ完成していませんので、少々小説に関する話題を踏まえて話そうかななんて思っています。

所謂、作者の気分転換です。


【Twitterと挑戦】
さて、本日までに皆様、Twitterというツールは耳にしない方はいらっしゃらないのじゃ無いかと思います。
実際に「Twitterとはなんぞや?」何て聞く方も早々居ないでしょうが、実は、現在のTwitterはこのツールの作者が意図していた使用法とはかなり違った形で展開しております。
というのも、元々の作者のTwitterというツールを作った意図は、所謂情報の掲示板のようなシステムを考えていました。簡単に言ってしまえば、現在のコミュニケーションツールである現在の「LINE」「Facebook」「mixi」とは違い、本来は「社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワーク」と、所謂通信網としての扱いが想定されていました。
つまり、本来はSNSとしての使用目的はなく、人と繋がるツールではないのが正解なのです。

簡単に言えば、情報を発信する場所として設けているだけであって、人と人とのコミュニケーション、つまり話し合いの場ではないと言うのが本来のTwitter社自身の考えでした。
そもそも、何度も言いますがコミュニケーションを意図しておらず、Tweet(つぶやく)の言語通り独り言を垂れ流すツールなのです。

昨今良くある、「フォロバ」や「フォローしてくれ」と言う方々がいますが、そもそもTwitterのフォローの本質は「相手の独り言を覗く」のが目的ですので、基本フォローを返す事に義務的強要はありません(昔良く悩まされました)。

誰かと繋がる事を主体にしておらず、謂わば個人の居場所としていますので、そういう所に限ってイザコザが起こったりすることも多く、まあ、皆さんもある方はいると思いますが、俗に言う「Twitter疲れ」と繋がっていることも多いです。

もっと緩くて良いのです。
この人見ていて面白いなとか思う程度でフォローして良いと思うのです。

……と、言いましたが、実際現在までのTwitterの価値観が定着してしまっているのも事実で、最早覆ることは想定していないでしょう。
メディアや政治関係も絡んできて、現在では主目的である「情報開示」と「コミュニケーションツール」の両端を統べる最大ツールとして根付いているのも事実です。

「ふぁぼくれない」「RTされない」「リプ来ない」と、考えてしまうのは、個人としては解らなくもありません。
かく言う私も、過去に似たような経験をされて何度も追い込まれ、現在のアカウントも新しく作り直した物です。

一体何冊分の小説をゴミ箱に放り投げた事か……。

でも、正直に言って、欲しいですよね!!解ります!!
そもそも「人気者になりたい」や「注目されたい」は人間の野心的本能ですので、律しようとするならまず無駄でしょう。私だって始めた当初はその想い出いっぱいでした。

でも、どうすれば良いの?

『挑戦』です!!

……あ、ちょうせんって、朝鮮じゃないよ。そんな危ない所行って炎上するのはやめてね。
ぶっちゃけ北の話もしたいけど、今はダメダメ。

で、『挑戦』っていっても何?ってなるかも知れませんが、様は多くのメディアコンテンツに手を出してみては如何というお誘いです。
まあ、正直「小説なんて古くさくて、そもそも読む人なんて少ないんでしょ?www」とか言われれば……ぐうの音も出ないけれどさ。
でも、小説に偏る必要はありませんよ。そもそも、メディアコンテンツは「小説」の他にも「イラスト」「動画」「政治哲学」……etc.何でもあります!!素直に私では想像も付かない物だって有りますし、そもそもこのような事をするのも大体が趣味です。その趣味を活かし、皆様に見せ、自分はコレが出来るという意思表示をしてみては如何でしょうか?
実際、簡単にできる訳ではありませんが、長寿や有名者などは長い月日諦めずに続け、考察を加えより良くするにはどうするかなど、考えてきました。

考える事、それがすなわち『挑戦』なのです!!

普段使わない頭の何処かを使ってみれば、何か別の世界が見えるかも知れません!!
……あ、破産とかしないで下さいね?
ちゃんと自分に相談してね?

以上。


【同業者たる文豪】
最近小説を書き始め、Twitterなどを嗜む毎日ですが、同業者を見かけて話してみますと、何かと面白い物です。
……前記の主張と矛盾するかも知れないけれど許してね?

名前出すかどうかで迷っていたのですけれど、出してしまうかな。
別に批判ではなくて好評の話ですし。

まず、私自身、他者の小説は余り読みません。
と言うのも、小説を読むと自分自身の筆癖が浸食されやすいタイプな為に、書き続けている以上見る事が出来ないのです。
周りの反響や応援コメントを見て面白そうだなと思ったりは為るのですが、本文を読んでしまいますと……ダメですね。苦悩します。
でも、そういう作者は少なくありません。
だからそういう時に限って、その人の技術を盗んでみたいなと思った時、どうするか?

その作品ではなく、その人を見るのです。
人間観察に近いですが、以外とコレが成果出のですよ。

そもそも、私が読む本は理論書や専門書、学術書や軍事史類など、専門分野の解説を視野に入れた本を読んだり、海外ニュース誌などで情勢把握を為る程度です。其処まで本気にして読んでいる物は少ないですが、大概気に入ったら毎日読んでいたり繰り返していたりしますね。
そう言うのって力になるのですよ。
もともと、そういう現実との接点が近い小説を書く事が多いですので、その悲惨さが当たり前だと忘れていますと……ね?
でも、そういう時、専門的な知識は手に入れたけれど、執筆的な知識はどう手に入れるの?と聞かれますと、主なメジャーな方法としては「自分の好きな小説の著者を自分の師匠とし、その技術を盗め」と言う物ですね。

私も同じような手法で試してみたりしましたが……面白くないのです。
確かに言い方を変えて遠回しにしたり伏線の出し方を身につけたりは出来るのです。ただ「コレはその人が書いた文で自分の書きたい文章ではない」と、自分の中で発作を起こしてしまうのです。
別に著者を批判している訳ではなく、自分には自分の味があるんじゃないか?と苦悩してしまうのです。
そうした時、どうするか?

覗くのです。

ぶっちゃけ、ある程度小説等を読んでいたら、書き方の初法は何となく掴めるでしょう。その後です。
ある程度解ったら、今度は著者を見ます。実際は誰でも良いですが、その人の心理を定規で測るかのように寸法するのです。その人が呟いている事がたとえ楽しそうでも「生活の裏ではかなり厳しい架橋なんじゃないか?」「実はこんな事言っていて、滅茶苦茶裕福なのではないか?」「こんな事を呟いているけれど、本とはスゲー頭良いのではないか?」「あ、コレ本物の馬鹿だ」など、一つの呟きだけで多くを連想出来ます。
そう、人は今まで一つの事に対して一つの解答を出すだけで終わってきました。ですが、そこで終わらず、多くを連想するのです。そうすると、こういう物はキャラクター作りで活かされてきます。
「このキャラクターは実はこんな設定があって」「このキャラクターはこうで」……など、膨らんでくるでしょう。

小説の本文を書き始める前のストーリー……所謂プロット作りですが、此処ではほぼほぼ自分の独創性が重要になるのは確かです。
プロット作り(ストーリー構成)は、物語をどのような流れで、どのような方向に繋げていくのか……その鍵となります。

が!!
ぶっちゃけ私としては、ある程度の方向さえ掴めていれば十分です。
これは、軍事史から学んだ事ですが、ナポレオンの言葉で「作戦計画を立てることは誰にでもできる。しかし、戦争をすることのできる者は少ない。」と言う言葉がございます。
この言葉の本質は、私としては「戦争はたとえ計画を立てても、常に戦況が変わるもの。ならば、その瞬間において、状況に対応して戦い方を変えなければならない」という意図が有ると考えております。第二次世界大戦でも同じような言葉がありますが、この言葉は謂わば「たとえ入念に立てた計画があっても、状況に対して臨機応変に対応しなければ意味がない」と言う事で、執筆する物も同じく「プロットを緻密かつ巧妙に作った所で、書いている途中で路線など大きく外れます。その修正と変化をどのように活かすかが問題である」と私は考えております。
ぶっちゃけ、骨組みが出来ればそれで良いです。
あとは書きながら「ここはこうしよう」と修正を加えれば、それで出来ます。
まあ、それでも自分の作品は修正の余地が十二分にありそうですけれどね。

さて、話が大分それましたね。
同業者の話→自分の話→軍事の話→書き方の話と、大分錯綜しましたが、同業者の話をしましょう。

さて、皆様知っているでしょうあの方から。

『「けもの」の本能』作者、大上氏。
この方の小説、多くの方の評判を見ると「ifルートでありながら可能性として最もあり得、更には其の抗いと苦悩を繰り広げる中でも、かっこよさと原作の面白さを忘れない」という、まあ簡潔に言えば愛のある作品です。
この方を見ていると、その一文一文に面白味があるんです。
その、この方……、こ、腰低すぎませんか!
もっと堂々としてどうぞ!!
……と、まあ表面的な感想です。
後は、仕事大変そうだね、ですかね。

では、この方を見ているとどう思うか。私視点ですけど。
個人的にこの方の強さは日常と執筆での乖離の特異性でしょうか。謂わば、人の考え方は感情によって考えを汚染され、感情的になる事はままあります。ですが、この方はその思考ルーチン自体を別々の場所に置き、謂わば理性と本能を別けて、二重人格に近い状態で物事に対する思考を柔軟的に行える方では無いかなと思いました。
私個人の尺度ですが、割とホームズの思考ルーチンに近いのではないかなって。
一度ある質問を投げかけた時に、そうなのではないかと感じました。
ただ、その本質がどちらか。謂わば標準が本能で、執筆時が理性なのか?その逆か?と問われると、其処まで突き詰めていないので曖昧なラインです。
多分、執筆は理性的でしょう。筆癖と言うより、場面場面、要所要所での構成をかなり重視し、場面によっての転換をカチッと切り替えられる。計画性の強い方だと思います。
日常の本能は……アレデスネ。言わないよ。

執筆家は、常に状況を判断し柔軟に路線を変えますが、この方を見ていますと、既に堅くなった路線を決め、更に其処に肉詰め処理をして芸術性を上げている様にも思えます。

まあ、これ以上は長くなりますね、やめましょう。

次(の犠牲者)は誰か?

『猫の子』『親猫』の作者、気分屋氏。
……気分屋氏って、何か語呂悪いなぁ。

この方を見ていますと、どう思うか?
個人的に、ダークホースでしょうね。
と言うのも、日常が本能的という点では、多少当てはまるでしょう。
ですが、執筆も同じく本能的に近いのではないかと思います。彼の場合は、発案企画や脚本家に近く思える節がございました。
この二作品の話数や文字数を見て頂けると解りますが、総計140話・文字総数723,299文字という……、個人的に中々多く書いてるんじゃ無いかって思った自分が恥ずかしいよ!!!!
正直、此処まで書けるのは発想力の才能が群を抜いて眩しい物です。
本人様曰く、要所要所を自身の発案と同時に執筆するらしく、様はアイディアをそのまま書き写す勢いでしょう。ですが、そもそも、この時点で彼の天才性は其処まででは留まりません。良くある話ですが、一度浮かんだ考えと言うのもは時折時間が経てば消えてしまうでしょう。ですが、この方は記憶の保持を力強く保有し、更にはその考えた分をそのまま書き写すという文豪としての片鱗も見えている次第です。

素直にこの二人には勝てないんじゃ無いかなって思いますよ……。

さて、此処までお二方をメイン(犠牲)に書いてみましたが、最後に言わせて頂きます。
此処までかいた文は飽く迄私の個人的推測の見解であり、その一切が真実とは異なる可能性がございます!!
ぶっちゃけ信じないでね!!

どうせ狂ってる奴が書いてる文だしね。


【最後に】
さて、皆々様。
若しこの文を読んで下さっているのであれば、此処までのお付き合い有り難うございます。

多分、どっかで色々言われてこのページを消す事になるかも知れませんが……、まあ、その時は済みません。

さて、日曜深夜にババッと書いたこちらの文章。この数々の文字達の御蔭で私の創作意欲も元に戻り、これからまた書き始めたいと思います。

お知らせとしては、少々構成が複雑化し、かなり長い文章と成りますので、もう少々お待ち頂けると嬉しいです。
作品としては順調に進んでおり、第一〇節では知っている方は驚く情報が出てくると思います。初っぱなから。

さて、遅い時間にこんな文を書き、非常に恥ずかしながら本日も此処までとさせて頂きましょう。

では、次の投稿にまた私の小説を読んで頂けると願い、
その時まで文章を寄り進化させる事を目標に、
最後の一言で筆を置かせて頂きましょう。

――私の仕事は~月月火水木金金~♪

1件のコメント

  • なっげぇ!!!!
    と言うのが自分の本音なのですが
    しゃどさんらしいですね。
    しゃどさんは他の人とは違う専門的な感じが好きですよ。
    素直に関心や尊敬の意が出ます。
    頑張ってください!!!
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する