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☆ Q. 面白い小説なら周回するか?

 お越しの方へこんばんは。書かなくなると間が空くのに、一度火がつくと連投しがちなはまなすです。
 今日の表題。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
 面白い小説なら繰り返し読むだろうか?読もうと思うか、読みたくなるかではない。実際繰り返し読むのか。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
(これすごく長くなると思うので、無理して読む必要はありません。いま心に溢れているわだかまりを書き綴って放出する目的で書いている側面が多分にあるので、構成が崩れる可能性が大いにあります。読みやすさ無視の文章です。
 それでもよろしい方は、あくまでいちユーザーの戯言だと思いつつ先へどうぞ。)

 はじめにこんなものを書き始めた理由について軽く説明すると、以前やたらと燃えていたとあるエッセイの作者さんのページにたまたま別経由でたどり着いたのが発端です。そこから近況ノートでのやり取りをさらいエッセイを拝読、面白いと自薦なさっている小説も拝読(レビューでもやたら推されていたのでどんな作品かプロローグだけ拝読。率直にレベルの高い方だと思いました)、リンクがなかったので検索してなろうページへ直行ということをしていたんですね。
(分かる方は読んでいけばわかるとは思いますが、ページの最後に今回意見を参考にさせていただいた作者様のお名前等は明記いたします。先に書かないのはこれをご覧になっている方がその方をご存知だった際に、この先の話を偏見なしでご覧になれるかが怪しいからです。
 この度の対象となった作者様には、作法に則った引用の形でないことをお詫び申し上げます。本来なら引用符の直前直後に明記するなどの行為が当然の義務ではありますが、先入観によるバイアスを極力排除するための苦肉の策です。何卒ご了承ください)

 その方についてですが、近況ノートでのやり取りから棘のある方だなあという第一印象だったものの主張は筋が通っており、いきなり頭ごなしに否定したくなるといったことはありませんでした。
 まあ反論というより皮肉と叩き潰しにやや力が入り気味でしたが、その方が「『自分は今こう思っているよ』と伝わってほしいと思われているであろう感情」はおそらく理解できた気がします(心の中では様々な感情が混ざってそうなので「言いたいことが理解できました!」とか口が裂けても言えません。その方が「せめて『◯◯という意見を◯◯な感情で発信している』と伝われば及第点」と設定されたものが読み取れただけだと思うので)。また、それはただ不満と愚痴を撒き散らしたい人には一貫して演じることはできない芸当だと思われたので、しっかりとしたお考えとして意見が存在していることもわかりました(要するに一過性のものではない)。
 なんかすごく回りくどい表現になってしまいましたが、「理解ったとか思っちゃってる時点で勘違い甚だしいですね」とか隕石発言が飛んできそうで怖いので予防線はりましたすみません。

 うわ...すごいボリューム...今回はエッセイの内容を取り上げたいわけではないのでそれは割愛して本題入ります。表題です。

 その方のなろう版活動報告には冷静に頷けることも神経が逆撫でられることもいろいろ書いてありましたが、その中に★爆に対する批判の一つとして「レビューにしろ★にしろ、評価して面白いと認めたなら何度でも読んでいるはず。読むはず。そうでないなら相互目的の『一回きりの読み捨て』であることを認めるほうがまだ清々しい」といった趣旨のものがありました。(エッセイの再々追記にもほぼ同じ内容が記されています)

 初見。それは言い過ぎだろ。とかではなく、何言ってんだろうこの人?と率直に疑問に思いました。「そんなのありえなくないか? 何かに惹かれたら読了してなくても評価するのが普通のカクヨムで、ましてやリピートで読書なんて」

 というわけで、はじめは反証に使えそうな例を無意識に探しました(天邪鬼人間の性ですね)。が、数秒後には「その主張って普通に正しくないだろうか?」と先刻前の自身とあっさり真逆のことを考えていたんですね。どういうことでしょうか。簡単に考えてみました。

 そもそも「何かに惹かれたら読了してなくても評価するのが普通のカクヨム」という認識の時点で、その方の(罵詈雑言も含めた)主張を暗に肯定していることになるのでは?

 まずはじめに疑問に思った通り、私はここカクヨムで評価かつ読了済みの作品を再度はじめから読み直すといった行為をしたことがありません。例外があるとすれば1、2作品程度です。それを鑑みた上で私の心情は
・それでも普通だと思う。罪悪感はない。
・面白いと思った気持ちにしたがって行った評価。★爆の意図はない。
(このセリフもどうせ糾弾の対象になるのでしょうが、嘘書いても仕方ないので普通に書きます。★爆の意図はありません。強いて言うなら......面白いと感じた読者がいますよ、という証? 作者様への応援の気持ち? そんなところでしょうか。評価基準も私のプロフィールに書いてあります。まあこの論証はどんどん本題から外れるので一旦終わりにしましょう。※)

 となれば、件のエッセイ作者さんの言葉を借りれば、悪い言い方ですが読み捨てです。
・面白いと思った->評価を入れる->しばらくして読了->終わり
(ただし長編作品で初めの数話しか拝読していない場合、★は入れない)
・読了するまで様子見->面白かった!->評価を入れる->終わり
 これが私の基本スタイルです。でもやはり違和感はない。

 私は次に、カクヨムに来る前の読書体験にも視野を広げてみました。
 リピートした作品あったかな......と脳内検索かけて。
 普通にたくさんありました。
・例えば本棚の中に仕舞われたとあるハードカバーの小説。友人に勧められて読んだのをきっかけに、気に入ったので書店で購入し読み、熱が冷めるまで繰り返し繰り返し読み......熱が冷めても、ひょんな時にお気に入りのシーンを開いたり、適当に開いたページから読んでみたり、それこそ初めから読み直したり。
・例えば図書館や家の本棚で漁った科学雑誌の数々。過去のバックナンバーを探しては既知のネタを何度も読み。
・あるいは小説からは離れますが、「リピートされやすい創作物:書物」といえば漫画でしょう。書物に限らなければ音楽なんかまさにそうです。

 つまり実世界では、得てして面白い、お気に入りだと思ったものは繰り返し鑑賞するものなんですよね。

 そう考えると、「面白いと思ったなら繰り返し読むだろう?」って至極尤もな意見だと思うに至るわけです。自分の感性に引っかかって気に入ったなら、何度でも手に取りたくなる。当たり前のことです。

 というわけで。
A. 面白い小説なら確かに周回します(しかし鑑みるに実世界に限る)

 もちろん私の答えです。


(※続き
 もちろん私の意図に関係なく相互の方々と同一視され、私の★の信頼度が低下するという論旨は真っ当に肯けます。第三者からすれば私の意図を汲み取る前に表面上で私という人間の活動がどんなものか判断するでしょうし。私がきちんと読んでいるかどうかはここの近況ノート全部読んだ上で判断できることですが普通誰もそんなことしません。もちろん「一度二度しか読んでないのにきちんと読むも何もあるか」と感じる方には私の読書は「面白いを偽った読書ごっこ」に映るでしょうし、通読の回数に拘らず読後の感想のみに目を向ける方はまた違った判断をなさるでしょう。その違った判断というのも無論賛否両論です。私は自身の感想批評が読書力の証だなんて露ほども思っちゃいません。
 少し逸れましたが、これは当該エッセイの作者様も同じことです。
 その方の意見も初見は煽られまくってフラストレーションが溜まること請け合い、そこでその方は「こんな奴だ」という描像が出来上がるでしょう。ですが全体を通してから再読すると、そこまでして過激な発言をしているのも納得できたというか、自作品の数字を引き合いに出してあれこれ発言していたことも含めて同意できるのですよね。ただやはり、普通そこまで見に行く人は少数に過ぎないと思いますが)

▲ ▽ ▲ ▽

 余談。ここで、私の「違和感を取り除かないと延々と考え続けてしまう癖」が発動しました。
 それならば。
 その違いってなんだろうか?
Q. 相互評価の枠組みには取り込まれたくないとさえ思ってカクヨムを始めた私は、しかしなぜ面白いと思った作品を読み直しはしないのだろう?
 先に紹介した主張を全面的に肯定するならば、私のした行為は「相互行為への期待」に帰着するか「面白い」を偽った評価ということになるのだけれど。

 さて。思考の足跡を残すとボリューム爆発を起こしそうなので割愛。暫定的な結論はこちら。

A.
a1. 感じている「面白い」の質が異なる。
a2. あるいは、「面白いと評価する」基準の質が異なる。

 a1について。これは言うまでもないことです。紙小説(実世界で販売されている書物を総称してこう書きます)とWeb小説に求める面白さが違うというだけの話。これはこれで別ページに書けそうな議題。もう過去に多くの方がしていらっしゃるけど。即効性が大事な Web小説およびラノベテイストな小説は、得てしてもう一度読もうと思えない。「新鮮味」「オリジナリティ」「技巧レベルの高さ」...etc どれも一度きり。内容が軽いか重いか、笑わせに来てる作品かしんみりする作品か考えさせる作品か、ファストフード的な文章か否かとは別問題(別問題ですが無論相関関係はあるでしょう)。
 あとは小説投稿サイトなるものの構造自体がその流れを助長しているのかも。

 a2について。
 基本、「面白い」という感情を抱く対象には幅があります。「この表現・言い回しがピンポイントで面白い」から「話全体の雰囲気が面白い」まで。その「話」というのも1話なのか小説全体なのか千差万別。これはいいでしょう。
 そして Web小説の場合は「どこかで面白いと思わせられたら『面白い』とみなす。あるいは声に出す」
 しかし紙小説の場合はそんなに簡単ではありません。「全体を通して「面白いポイント」と「面白くないポイント」を天秤にかけ、上回った「面白い」の大きさに応じて評価する」なんてものではないからです。「ひとつでも粗があったら評価は地の底」くらいが紙小説への評価です。ある一節が琴線に触れた?そんなの関係ありません。読了して「良作」だったと感じるか「時間をかけて読む価値はなかった」と感じるかは、「たったひとつの『面白くない』要素」が握っていると言っても過言ではないのです。

 そう考えると、現実世界で面白いと思った作品は何度も鑑賞したくなるのも至極当然、ここカクヨムで面白いと思っても何度も読まないのも至極当然です。
・紙小説で面白いという判断が下されるのは、滅茶苦茶ハードルが高い。というか紙小説において「面白い」ならどこを読んでも面白いのだから、繰り返し読まないわけがない。商業作家さんはやはり偉大です。
・Web小説でも、面白いとどこかで感じてもらえるハードルは高い。けれど随所にそんなクオリティが見られる必要性はなく、どこかで読者の心にヒットすれば評価される。結果面白くてもリピートしようという気が起きる必然性はどこにもない。無論、起きることもある。先述の1、2作品というのはそんな作品なわけですね。

 ここまで考えると、アンサーが変わってきそうです。
 すなわち。
a3. 「面白い」小説はどこを開いてもほぼ間違いなく面白い。だから周回する。
a4. 面白いと感じる箇所があったというだけでは、周回しないことが多い。
a5. 一般的に、Webでの「面白い小説」≒「面白いと感じる箇所が一カ所以上あった」小説
            ↓
A. 「面白い」小説は普通周回する。
  Webに於ける「面白い小説」は、だいたい周回しない。

(暴論的な一元的評価に落とし込むなら、「要するに『商業小説クオリティ>カクヨムクオリティ』って認めてんじゃん。つまり面白いの偽装でしょう」と言われそうですが、「面白い」という感覚の出処が違うので単純には比較できないんですよね。その意見私が反論者だったら真っ先に食いつくのですが、この感覚をうまく言葉にできず申し訳ない。
 まあ「1」と「 i : 虚数単位」の大小を比較するのがナンセンスなのと同じことです。そういう数学分野の研究でもしてない限り、そんなことしたら嘲笑されますよね。喩えるならそんな感じ。作品分類としての評価軸が違うんだと思います。
「ではカクヨム作品が発売されて、紙小説の仲間入りを果たしたら? そうすれば土俵を同じくするから評価軸も統一され、晴れて評価が可能になるわけだけれど」
 その時は、紙小説となったその本に対してまた新たな評価をすることになるでしょう。比較可能です。そしてその場合は......ほぼ戦えない気もするし、紙媒体というのがポジティブな効果をもたらすかもしれないし。それはなってみないとわからないです。私には)

▲ ▽ ▲ ▽

 最後に、意見を参考にさせていただいた方への導線を。(下手に外部に飛ばすと怒られそうなのでカクヨム内のみ)

 真中文々(まなかあやふみ)様: https://kakuyomu.jp/users/BUNBUN
(以降 蓮崎文々 様に改名された模様)

 貴重な考察の機会が得られ、感謝の念に堪えません。真中様へ、この場を借りて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 また誹謗中傷や語句をそのまま引用するなどの行為は行っていないつもりではありますが、もしも当記事にお気づきになった際、何らかの不都合が生じたりご不快な思いをされた場合はご一報ください。当該記事の削除も念頭に対応を検討させていただきます。
(本当は伝達もせずに一報しろも何もないだろという感じではありますが、何卒ご容赦下さい。執筆直後現在、宣戦布告のような形になるのは悲しいのでご挨拶に行くべきか迷っています。考えのベースにしたくらいでいちいち伺うのもご迷惑かと思うのですが、お名前を掲載させていただいた手前ご挨拶に伺うのが礼儀だとも承知しています......ジレンマ。よろしければどなたか助けて下さいませんか(泣))

追記:
真中様(蓮崎様)の方へ伺う機会は得られたので、上記の問題は現在は解決しております m(_ _)m

▲ ▽ ▲ ▽

 さて。吐き出し終わったので内容はこれにて終了。ここまでお付き合いくださった方にも感謝を。本当にありがとうございます。恐悦の極みです。
 ここまで書いといてなんですがこれは私のレビューや批評行為を正当化する弁明であるわけでもなく、見つけた意見に対して抱いた「形もわからぬモヤモヤ」を解きほぐそうとした、ただの考察です。だから引用させていただいたエッセイが「カクヨムの暗黒面、はびこる不正」を弾劾する目的で執筆されたものだとしても、今回私はそこについては述べませんでした。それが目的ではなかったからです。私はただ「不正者を非難し蔑む目的で主張されたこと」の中で、不正云々とは無関係に主張自体が引っかかったので考察をしたまでです。
まあぶっちゃけ私の癖ですね。何か考えてないと死んじゃう輩なので(震え声)。
もう少し具体的に言うなら、「面白いと思ったならリピートするものだろう」という意見に「確かにそうだわ」と腑に落ちたがために、その観点から見た際に生じた自身の行動の不可解さを解消したかっただけだと思います。

 あー疲れたあ。こんなふうに書くと「顔真っ赤にして反論してるなあ」とか思われるのだろうか。思われないことを祈ろう。★爆なんて面白い作品安定して書けなきゃなんの意味もないし......私にはまだ縁遠い話だ。むしろそんな行為が堂々とできるように早くなりたい(白目)

 さて、心なしか落ち着いたのでそろそろ寝ます。
 明日も良い日になることと、カクヨムの明るい前途を祈って。

 あれよく見たらもうそのアシタジャン......

 ...Z z z (‘、3_ヽ)_

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