不都合なトリック

だいぶ疲れてます。
考え過ぎ、論理が先走っていると指摘されることが多いのですが、やはり考え込んでしまうのは悪い癖のようです。
さて、今回は凶器について
凶器って何でしょうね?確かにそれは人に危害を加えたものでしょうが、それだけでも得られる情報は多いです。
例えば、壺などはどうでしょうか?壺で相手を殴り殺してしまうなんていうドラマはよくありましたが、それはもともと凶器として想定されたものではありません。
逆に丹念に砥石で研がれた鋭利なナイフなどだったら明確な殺意の表れともとれるでしょう。つまり、凶器から分かる事象の一つにその犯罪の計画性があります。
また凶器がなくなればそれは単純に犯人が保有しているか、それが発見されると犯人にとって不都合であると考えられるでしょう。このように「モノ」一つをとってもそれは雄弁に事件を語るものであると言えます。
そうなれば、犯人は凶器にも神経を使うべきでしょう。突発的に殺すというのは凶器に仕掛ける余地はないでしょうが、計画的であったように思わせるくらいの仕掛けはできるでしょう。
しかし、それはどこまで施されるべきなのでしょうか?私が悩んでいるのはまさにそれで物語的効用を求めすぎると無意味に陥ってしまうことがあるのではないかということです。
一般にそういったトリック(不可解に見せるための舞台装置)は仕掛ければ仕掛けるほど犯人に有利に働く―—と思われがちですが、実際には異なるのがそれが必ずしも犯人の意思を代弁しないということです。
手頃な具体例が挙げられないので難しいところですが......
ともかく論理的正確性を求めるのであれば、そういった一つ一つに気を配らなければならないという話です。(ぐだぐだで終わってしまいました)
まあ夜は長いのでそこで考えたいと思います・・・・・・

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