私的キャラクター論(ミステリー)

どれだけいいストーリーでも演者が重要であるのは言うまでもないだろう。演劇論のようだが、これは小説にも通じることだ。実際に選評のようなものに目を通しても、主要キャラ以外の扱いがぞんざいであるというようなのもよく見かける。一生懸命懸けて作ったプロットでもキャラを理由にフイにしてはせっかくの素材もそれでは報われないというものだろう。
そして、自分はキャラには困らずにストーリーで困るタイプなので、今まさにキャラクターの割り振りで詰んでいる。
ミステリーに、特にクローズドサークルものではそれが顕著だ。
ミステリーには叙述など変則がないかぎり、探偵役とワトソン役、犯人と考えれば最低三人に役割(死なない特権)が与えられている。
それに一人だけ死ぬのではインパクトが薄いので、事件の次の日などに人が死んだり、犯人が暴走することを考えると死体役も最低でも二・三人は欲しいだろう。
つまり、六人は最低で必要になる。ただし、ここでは犯人当てを考慮していない。犯人ではないが生き残る人物も必要だ。二者択一ではつまらないだろう。読者は読んでいる間は「探偵やワトソン役とかも意外と怪しいかも」とうがった見方をするのだが、候補は少なければ少ないほど判明しやすい。だが、多ければ匙を投げられてしまう。バールストン先行法などをしないのであれば犯人候補は+2は欲しいだろう。
8人。
厳密に言えば、トリック次第で工夫はできるものだが、8人全員を薄くならないように気を払いつつ、描写を均等に行うのはプロの域だろう。描写が薄ければ、「こいつは事件にそんな関係ないんだろうなあ」と察されてしまうあたり容疑の均分というのも必要だ。ただ、かけられた容疑は晴らさなければならない。殺されたからでも理由にはなるのだが、仲間割れなどの可能性もあるので殺人行為の否定は必須だろう。
人数を多くしては端役が多くなり扱いに困るし、少なくては犯人が見えやすくなってしまう。
ミステリーはキャラクターという点でも難しいものである。

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