叙述トリック再考論

 推理小説における論理構造の理想は言うまでもなく簡潔であることといえるでしょう。証明が煩瑣なものはやはり混同しますし、過程が引き伸ばされるぶん穴ができる可能性も高まるからです。
 しかし、当然ながら簡潔な論理はそれだけ起伏に乏しいものでもあります。解きやすくなるのを避けて、必要以上に難解になったり、現実から遊離した叙述トリックが増えたのも無関係ではないでしょう。
 以前にも(といっても半年以上前ですが)叙述トリックはミステリーの論理の限界点であるという見解を提示した私ですが、やはり、作者はアンフェアでないとしても想像不可能な叙述トリックを展開するべきではないでしょう。
 近年は巧妙に隠した叙述トリックが多いわけですが、作者が地の文で謀る(フェアであったとしてもそれを含めたトリックを作品上に展開する)というのは論理によって展開される純粋な思考ゲームという域を外れていると言わざるを得ないでしょう。
 百年以上前にアガサ・クリスティーの作品によって引き起こされた論争で、黎明期はトリックの一形態として是認されたのはよいのですが、極端な作品が多くなった今となっては再考に値する問題だと思いました。

追記:叙述トリックのあり方は否定しません。

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