悲運のトリック

探偵小説において仮説が正しいということはまずない。当然のようだが、これはなかなかに面倒くさい問題を秘めている。
作り手ならば分かるが、探偵小説において一番簡単なのは完全犯罪だ。現実において最も難しい犯罪が簡単だというのだから、創作物の面目躍如といったところだろう。
そして、普通に出版されているミステリーが最も曲者なのだ。
完全犯罪はいうならば、犯人証明に足る証拠がなかったことに他ならない。つまり、小説ならば証拠と可能性さえ描写しなければいくらでも作れるのである。
その点で一般に言われるミステリーは描写しなければならない。やはり、これも当たり前のことだが、最初に提示された犯人は99%真犯人ではないだろう。これは否定材料を探す際に人物像をクローズアップしたために意外性が薄れるという作り手事情に由来する。
そして、より難しいのは嘘の推理をすることだ。
真犯人でない人物を疑うというのはもちろんアリバイや証拠が必要だ。つまり、貴重な小説資源はそこで無為に捨て石にされてしまうのである。さらに報われないのが、現実と異なり読者視点ではそれが看破できるからに他ならない。
一番目の犯人候補は犯人ではないという常識が作者渾身のガセトリックの商品価値を下げているのだ。私からすればこれほど報われないことはない。馬鹿ミスでもない限り、手は抜けないし、かといってメイントリック級のアイデアを割くには惜しい。
どんどんネタを出さなければ続かないとはいえ、良トリックはそうやすやすと出てくるものではない。他人から評価されても自分で納得いかないトリックなどごまんとあることを鑑みれば苦悩の一旦も垣間見えるだろう。
真相を的確に外しつつ、かといって強ち間違いでもないようにも思えるトリック――しかし、メイントリックより規模は小さくなければならない。
こう条件を書き連ねていると泣きたくなってくるような要求である。叙述が流行するのも無理はない話で、年々良アイデアが生産され、独自性が削がれつつあることも考えると純粋なフーダニットはあまりにも難易度が高いようにも思える(まあ、そんなことを言っていては書けないのではあるが)。
読者の方にはそうした悲運のトリックにも目を向けてもらえればミステリー書きには有難いのかなと思います。

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