小説と短歌は似ているところもあるが、近くて遠い、というのが作者の印象です。
短歌っていうのは、あれね。5.7.5 のルールがある歌。
ところが自由律短歌と言いまして、57577の律に従わないものもありますが、この形式になると急に小説に接近する、という気がする。
で、カクヨムさんのイベントで「短歌の秋」というのが載っていたから、隙間時間に読んでみました。
日常の一瞬を切り取ったような作品が多く、面白いなと感じた。
詠み人か選者の趣味なのか、それほど暗い作品はなくて、やっぱりセンスの感度が高い。純粋。
短い分、センスが露出するのが短歌。
けれど、この純粋な短い文を延々と続ければ小説になるかというと、そうではない……。というのが作者の考えです。
ちなみに小説の才能というのは圧倒的に後天的なものだと思う。
短歌は生まれながらの才能、その人でないと創れない短歌がある気がする。
なお、作者の好きな短歌を一つ上げると(カクヨムのイベントとは無関係)、今井豊の短歌。
次の世も また次の世も 黒揚羽
それから石川啄木。
一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと
いいね、石川啄木。ははは。
どんな仕事も長続きせず、遊び好き。知り合いに借金しまくって、結核で20代で死んだけれど、まあ、結核だったら働く気にもならないのは分かる。当時、死の病だし。
でも、有名な「「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」
を詠んだ人だと知ると、なんとも味わいが深まる。
でも、人間なんてみんな死ぬしな。
要はそれをいつの時期にどれほどの濃度で感じるか、ということかな。
では。