ガーベラ会戦11月9日、午前11時頃の状況
帝国軍
ケイマン軍第一軍団の突撃により、かなり押し込まれた状況。
午前10時過ぎより第三線が突破され始め、11時の段階では、ケイマン第一軍団前の第三塹壕戦は完全に制圧されていた。
ケイマン第一軍団の中央突破により、中央部は第三塹壕線まで占拠されている。
これは、帝国軍首脳にとって、想定外とは言えない物の、極めて頭の痛い状態であった。
帝国軍としては、自分たちが弱いのは分かっていたが、多重塹壕線を駆使すれば、敵にそれなりの損害を与え、時間を稼ぐことが出来ると、期待していたのである。
それが、想定以上に敵が強く、自軍が弱かったという状況であった。
帝国軍の多重塹壕線は苦肉の策である。
帝国軍の通常のドクトリンでは、野戦陣地は、簡便な物を複数作るよりも強力な物を一つ作るのが有利とされる。
しかしながら、帝国第十一軍の新兵は白兵戦の訓練を行っていない。
このため、強固な陣地を作っても、それを持ち堪えるのは困難である。
故に徹底的な射撃戦、後退しながらの射撃戦を選択とした。
ちなみに、バフラヴィーは三線程度を考えていた。
五線作ったのはキョウスケの独断である。
一つの陣地線で三時間程度は持つと計算していたので、午前中で第三線まで突破されたのは完全に計算外であった。
バフラヴィーとキョウスケは、うまく行けば多重塹壕線で粘るだけで敵の攻撃を頓挫させられる、敵の攻勢能力が尽きたところで反撃開始と期待していたが、この構想は早々に潰えることとなる。
戦線中央部はケイマン第一軍団により押し込まれたが、右翼と左翼は戦線を維持している。
右翼、左翼共に、戦線維持のために第一陣地線は放棄しているが、第二塹壕線は保持している。
後退した中央部との間隙を埋める形で部隊が再配置された程度。
特に右翼のケイマン第二軍団正面では戦闘は全く行われていない。
左翼のミッドストン旅団、タルフォート旅団は戦闘を始めているが、ケイマン第三軍団は第一軍団との境目以外は積極的な攻勢は行っていない。
ベーグム第一歩兵連隊の存在もあり、ゴルデッジ連隊は待機状態を継続している。
対岸からは催促がきているが、ゴルデッジ侯爵は決断していない。
ヘロン市内のヘロン旅団主力はそのまま。
メハン川東岸に残されたクリアワイン旅団を中心とする部隊は、東方に更に10kmほど後退している。
これは、ケイマン第二騎兵旅団が接近してきたためである。
図上では、マップの片隅にあるが、実際の位置は、マップ外になる。
ケイマン軍
中央部、第一軍団は想定通りの突破を果たしている。
しかしながら、ケイマン軍首脳には多重塹壕線という概念がなかった。
帝国軍にもそのような概念がなかったのだから、当たり前ではある。
ケイマン軍では、帝国軍と同様に陣地線は、簡易な物複数よりも、強固な物を一線でと、されている。
故に、帝国軍が前進してきた意味が掴めていなかった。
陣地線の位置が前になるか後ろになるか、だけの違いにしか見えなかったわけである。
故に、三線を突破して、その後ろにまだ陣地線があるというのは想定外の事態であった。
ケイマン第一軍団、特に重装歩兵部隊は休養と再編成を強いられることとなる。
ケイマン第二軍団は帝国軍が放棄した第一陣地線を占領している。
だが、未だ戦闘には入っていない。
ケイマン軍は帝国軍のベーグム師団を中心とした反撃計画を察知しており、第二軍団はそれに対する防御に徹することになっていた。
このため、自ら接敵することは控えていたのである。
第一陣地線を恐る恐る占領した第二軍団はここを、自分たちの防御陣地として整備しなおしている。
西側のケイマン軍第三軍団は、前日の損害もあり、補助的な攻勢任務を与えられていただけであった。
第二軍団とは異なり、帝国軍との接敵と戦闘は開始しているが、現在の所、様子見の戦闘に留まっている。
ただし、第一軍団との境界部では、第一軍団の突破に伴い前進を開始している。
メハン川東岸では、ケイマン第二騎兵旅団が、街道を回り込み、メハン川旧渡河点の東側に移動している。
途中、残存する帝国軍クリアワイン旅団を追い払っている。
到着したものの、旧渡河点での舟橋架橋は進展しておらず、そのまま待機となっている。
