最近書いている小説は背の高い男の子と低い男の子が出てきているので、身長について気になってしまう。自分は女子の平均程度しかないし、男女で身長ってやっぱ認識違うのかなと思って。
身長が低いというと、真っ先に思い出したのがリヴァイ。『進撃の巨人』で人類最強の兵士として描かれる一方、身長が低い。公式では160センチなので、わたしとは1センチしか変わらない。ヒール履いたら余裕で人類最強の兵士を見下ろせる。
小説を書く前は「どうしてリヴァイの身長が低いのか』というのは“物語”として気になった。のちに彼の生い立ちが明かされ、なぜ身長が低いのかわかることになる。
しかし、小説を書くようになって(まだ発表もしてないわ、書き終わってもないわでたいそうなことを書いてますがどうぞ気にせず)、どうして作者が“演出”として彼の身長を極端なまでに小さく書いたのか気になった。
そして思ったのが、絶望的なまでに巨大な巨人に勝つのが普通の人間よりもさらに小さな人間という絵にした時のコントラストって確かに面白いよな…ということだった。演出として映えるというか。
そんな話を友達に話したら、
「う~ん、だってねずみって一番強いんじゃん?」と返された。
「ねずみが一番強い?」
「うん。ほらえーとあれ、『北風と太陽』?」
「『ねずみの嫁入り』?」
「あそうそうそれ」
人類最強の男はねずみかあ…。
小説書いていると、今まで何にも疑問に思わなかったことを“演出”的な目線で見るようになると思う。こういう印象的なシーンを撮りたい、描きたいから逆算してこんな設定や場所にしたんだなっていうのが。前に『竜とそばかすの姫』を見に行ったが、細田作品は物語の整合性よりも、演出的に面白いものを表現するのがすごく上手い。だからMVとかに再編集しても1つ1つのシーンが映えるんだと思う。
しかしどんどん純粋に面白い!っていう気持ちとは遠ざかっている気がするなあ…。