騎馬と戦車について
紀元前四千年前、現在のウクライナ・南ロシア周辺は草原地帯で野生馬が多く、狩猟獣となっていた。やがてこの野生馬が家畜化されるようになる。
紀元前二千年前になると、騎兵が出現するようになる。有名なスキタイ帝国は前六世紀から前三世紀の遊牧騎馬民族国家だ。そのあたりで各種馬具がそろうことになった。鐙は、紀元前四、五世紀の中国・満州またはインドで発明され、欧州に伝わったのは紀元後になった七世紀からだとされている。
他方、紀元前三千五百年前のシュメールで、車輪が発明されると、紀元前三千年ごろのインダス文明・メソポタミア文明で、馬車が使われるようになった。紀元前十七世紀から十四世紀にかけて、地中海沿岸諸国で傭兵などをしていたヒクソス民族が騎馬と戦車をエジプトにもたらした。
古代史によく出て来る〈海の民〉というのは、このヒクソスではないかといわれている。〈海の民〉はクレタ文明、ヒッタイト文明を滅ぼし、エジプト中王国末期には第十五王朝(紀元前1650年‐紀元前1542年)を築いている。
馬車は、一から四頭立て馬車がある。ロシア民謡のトロイカは、十八世紀末以降の駅逓馬車で、三頭立て馬車を意味している。戦闘用の馬車を戦車といい、四頭立てまたは二頭立てが主流である。両者の違いは初動の加速で、走り出すと慣性の法則で、変わりがないそうだ。
イラスト:アマミ