昔何気なく言われた一言がずっと心の傷になってる的な話があるじゃあないですか。あるいは逆にそれが心の支えになってる的なやつ。そういうのはあんまないんですけど、何気なく言われた一言がずっと意味もなく残っているのはあって、ちょっと軽い呪縛になっている。
その一つは前に書きましたが、「ごとうびは道が混むからねえ」というやつで、5と10がつく日だな、と認識すると反射的に道が混むと思ってしまう。実際そうでもないっすよね?
で、北海道もようやく春が来まして、先週末にはつくしを見て、今日は水仙を見ました。そうすると呪縛が発動するわけですよ。
昔うちの庭には水仙が植わってて、でそれが咲くと父親がいうんです。貢はどの水仙が一番きれいだと思う? で、別に変りねーよって思いながら、これかなあ、って言うと、「貢はその水仙を推薦するのか~~」って言うんですよね。殺す。とは子供だから思いませんでしたが、これがさあ、また悔しいことに子供ですから、去年言われたことを忘れてるわけですよ。で言われて思い出す。どれも同じように見えるけど、一生懸命考えて答えたのにこのおやじはほんとどうしようもねーな全く、って何年か思ってて、来年は絶対騙されないっていうか、真面目に考えないで適当にあしらうぞ、と強く誓った結果、33歳になった今になっても水仙を見るたびに、「この水仙を推薦するのか~~」という間抜けな響きを俺は思い出してしまうわけですよ。完全に呪われてますよね。でも別にこれが支えになっているわけでもなけりゃあ、傷ついているわけでもないんですよ。ただただ間抜けな気分になるだけですから、何を訴えるわけにもいかないじゃあないですか。みなさんを啓蒙することすらできない。子供はこういう些細なことで傷つきますから気を付けましょう、というのもなんか違うでしょ? 別に傷ついてはないのよ。ただただ思うだけ。「この水仙を推薦するのか~~」。なあんかね。なんかよ。
ってぼんやり考えてたらこのシリーズもう一個あって、これは頻度は低いんですけど、たとえば160円の切符買うのに210円入れたらおつりが全部10円だった時パターン。「それはニッケル貨だったんだろう」って、これは血縁関係のないおじいさんの口癖なんですけどね。昔の50円玉はニッケル貨で、当時の50円玉を溶かしてニッケル取り出したら50円以上の価値があったんですって。知らんがなって感じなんですけど、なんかそのおじいさんと出かけたときとかに、何回かあってですよ。おつりが10円でもどってきちゃうパターン。そのたびに聞いて、だから今でも10円がめちゃ出てきたときとか、思ってしまいますよね。「それはニッケル貨だったんだろう」。
それだけです。みなさんにもかけてしまってたらすいません。呪い。