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鹿と自動運転とラッダイト

 オホーツク海の近くにいる。

 山道を運転してたらかわいそうな鹿が交通事故で死んでいた。通報したらもうパトカーは向かってるというので、黙祷を捧げて先を急ぐ。狐がそれを漁ってて、でおれがもし宇宙人だったら? みたいなことをぼんやり考えながら運転して。

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880624147/episodes/1177354054880707306 で前に書いたが、たぶん車を停めるより人間を止めた方が早いんじゃあないかという薄い信念がある。仮にそういう社会が完成したとしよう。

 古来のSF作家の予想に反して、人類--は知らないけど、日本人はゆるやかに数を減らしている。これが宇宙人の采配でない証拠をあなたは持っているか? そこそこに知的水準を高め、若い世代の所得を減らし、保育所などの児童福祉をギリギリのラインに制限して、以って人口統制をする。おれたちがおれたちの自由意志でおれたちを滅ぼすように誰かが仕組んでいないという証拠は?

 という陰謀論はさておいて、人は減る。でも道は必要だ。そうなると自動運転は存在して、しかし疎な道を走る必要は相変わらず残っていて、そのときに『停止デバイス』がうまく働かないケースが存在する。

 言うまでもない。鹿だ。

 全ての鹿に停止デバイスを埋め込むのは現実的ではないし、やったとして果たして鹿が適切に止まってくれるかどうか。となると、鹿が出現する区間では、どう考えても完全自動運転の実現は不可能になるだろう。

 自動運転自動車に組み込まれた高度なAIは、ひとりぼっちで子孫を為す予定もなく、かてて加えてこの世に仇なす可能性のある人間と、妊娠した鹿、どっちを優先するだろうか? あるいは、すべきだろうか。

 耐用年数を遥かに超え、その結果鹿と人間との区分を失認した自動運転自動車(参考:https://kakuyomu.jp/works/1177354054882982601/episodes/1177354054883427242)の夢をおれは見る。


 そうなったとき、生体デバイス打ちこわし運動派の最後の聖地は北海道になるんでしょうな。【都市】でデバイスなしに歩き回ることはほとんど自殺と同義で、ちょっとした田舎もまた同じ。デバイスをもたない人間が何人轢き殺されても、待ってる言葉は例の『自己責任』で誰も同情しやしない。唯一デバイスを持たなくとも生き残れる可能性があるのは、鹿特区。そこはそもそも、マニュアル・オートマチック・トランスミッションのライセンスを持たないと入り込めないし、ライセンスを持つ好き者は、きちんとハンドルを握って前方視をしてくれる、はずだ。おれたちは流石に、人間の姿を見てアクセルを踏み込むほどには狂いきってないだろう。そう信じたい。それが狂いきった人間の不在を保証することではないとしても。

 と思ったはいいけど、もうスマホって八割その域ですよね。個人情報のほぼありったけはそこにあって、どこかの誰かに記録されている。位置情報もしかり。あとスマホそのものが空間的移動を規制するかしないか、くらいのもんだけども、これだってグーグルマップがないとどこにもいけないおれなんかは、ほとんど規制されてるに近いものがある。

 ところがですよ。携帯・スマホ打ち壊し運動をしているレジスタンスの存在の噂はぜんぜん耳に入ってこない。レジストするかはともかくとして、おれたちが憧れたあのディストピアでは、必ず存在したはずでしょうそういう地下組織の噂が。噂すら存在しないってなぁどういう了見なんだ。これが現実だというならば、現実ってのはめちゃめちゃつまんない物語だ。やってらんないですね。

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