伊東デイズ 様
沖縄に☆彡ありがとうございます!
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882002379/episodes/1177354054882002384 札幌に住んでない方の方がちゃんと札幌の話を書くという不均衡がありますが、お楽しみいただけましたら幸いです。
<なんか、センス合わないの話>
・アカシックリコード、すっぱりやめてそれはもう良いのですが、しかしやっぱり「なんかなあ」という思いはある。好きの反対は嫌いではなく無関心という言葉があるが、やはり好きの反対は「嫌い」ですよ。まさか怒らされる羽目になるとは思わなかったからね。夢にもね。つまんなくなっちゃったからやぁめた、だったら、面白そうな要素が出てきたらやぁろお、になりえる訳だけど、こんな気持ちにさせられるくらいだったら応援してたまるか、とまでなったらもう二度とやろうとは思いませんからね。
これに関しては本当にセンスの合わなさを感じましたということです。
・それは角川スニーカー文庫のふるまいにも思ってるぜ
これはまあ俺がハルヒが好きだということにかなり起因するし、あとまあ「ハルヒ厨が暴れてる」みたいに思われると素直なファンの方の評価まで下がってしまうと申し訳ないのであまり暴れるつもりもないけれど、しかし、しかしですよ。
これは個人の見解で、別に何かを代表するつもりはないことだけは断っておきたいが、たとえばバラエティ番組にあまり出演しないタレントがバラエティ番組に出演するのはなぜかというとそれは番宣のためだ、ということは非常に良くある。そうですね。これが悪いとは俺は言わないよ。
ただそのとき、もちろん番宣もしてもいいけど、そっちがメインになる人がいたとすると、視聴者の感想として、ファンだとしたら「あーつまんなそうだなあ。無理やり出させられてるのかなあ。っていうかそうなんだろうな。気の毒」となるし、ファンじゃあないとしたら、「なんでこんなやつ呼んだんだよ。つっまんね」ってなるじゃあないですか。つまり損しかない。
どっちかというと、番宣はおまけで、バラエティの方に深く主体的に参加して欲しいなあ、と思うわけですよね。
そうすると、ファンは「きゃー大好きなあの人のあんな姿が見られるなんて! 幸せ!」と思うし、ファンじゃあない人も、「へえ、いけすかない俳優だと思ってたけど面白いところあるじゃあないか。じゃああの番組も見てみようかな」と思ったりする気がするんですよね。
わかりにくい話になったがそういう印象を持ちましたということです。
・応援コメント。これもさあ……。
作品トップに出すのはマジでやめてくんないすかね。コメント「数」はまあ見れてもいいけど、中身は駄目だろ。
ネタバレコメントはできないじゃんこれだと。
あと、めちゃくちゃいい話があったとしますね。
うわあああああああ、すげえええええええいいいいよおおおお
ってコメントが俺はしたい。作者には「良かった」ということを届けたい。
でもそれを見た他の読者の気持ちを考えると、せっかくしんみり、「あーいい……」ってなってるときに、そのコメントを見ちゃうと作品そのものの魅力っていうか、文章の良さみたいなものが毀損されてしまうのではないか? ということが不安になってしまう。
いやクリックしなきゃあいいんだろうけど、でも俺はたぶん書いてたら見ちゃうと思うしなあ。だから作者にだけ見えるようにすりゃあいいんだと思うんだけど。なんでこういう形式にしたんだろ?
各話のコメントをみたときに、「お、この話の全体を読もう」と思う人ってどれくらいいます? どういうシチュエーションなのそれは?
各話にコメントをつけたいということは、たとえば「うわーここであの人物がまさかの登場!! すごい!!」とかさ、「あんなに怖かった〇〇がすっかり出てくると和むようになったのマジですごい良いですね、最高」とか、いや俺の語彙力には問題があるが、率直に言うと俺はそういうことなのよ。前後の文脈があるわけで、だったらそれを全体に公開してもしょうがないというか、だったらこの作品を読んだ人専用掲示板でも作ってくれりゃあそっちの方がまだいいというか、なんていうかなあ。なんかちょっと違うんだよな。
「なんかちょっと違うんだよな」3連発でした。