ことは今日の本題とは全然関係なくて、ほんとにタイトルつけるのが苦手すぎる。今回は最後まで書いて、でもなお、なんだこの話のタイトルって分からなくなったのでどうでもいいことに逃げただけの話であった。じゃあもう毎回無題にすればいいのにね。
今週はある意味ミラクルウィークで毎日飲みの予定が入っている。基本的にコミュ障で、今の飲みはあまりしらない人とのコミュニケーションが目的なのでやや辛だが、会の前に諸々諦めて寝ると元気で居られることも分かったりして、なんとかやっていけてはいるのと普段あまり食べないものを食えてそれは幸せである。まあ確実に太るけど仕方ない。日中節制すればいんだろうけど、なんか疲れてて疲れてるとメシに行ってしまうのが良くないところ。
あとで食示録にも書くけど今日はわんこ蛤の店に行って、いや〜正直「所詮貝だろ、何が蛤だ舐めてんのか」と思ってたけどうまい。ちょっと高いが無限に食える。あと「炊き込みご飯」って異様にうまいですね。これも無限に食えてしまう。深夜に。まあ無限に食うと太っちゃうからある程度は我慢してるけど(その手は桑名の焼き蛤〜〜と言いながら)、ある程度は買ってる。
そんな感じでまだ今週2日目なのマジかって感じではあるがやっていっています。
でちょっと夢の話になって、と言っても「大望を抱け」とかのやつではなくてやるに寝ててみるアレのこと。
俺にとって夢とは風邪のバロメータでしかないが(風邪の引き始めに大体悪夢を見る)、人によっては結構見るとか、そんな話をしてて気になったのが、「人は毎日夢を見ている」という言説で、見てないと思ってても見ているという。たんに記憶に定着してしないだけだと言うんですね。まあ確かに、夢の記憶への定着度の低さは間違いなくて、たまに「楽しかったな〜〜」と思うけど中身が全然わかんないやつとかがあるはある。理不尽に「恐怖」の感情だけが残ってて内容さっぱりみたいな腹がたつやつもある。だからまあ、夢は覚えにくい、は分かるけど、じゃあだからってって、毎晩夢を見てる、となるかというと、ホンマかいなと思うわけである。
つか素直に思いません?
だって例えば、階段踏み外す夢見て足ガクッてなって目を覚ますことがあると思いますけど、アレ夢が身体に影響してることも当然あるとは思うが、身体の動きにつじつまあわせで夢の方作ってんなって感じななることもある。これは冷静に考えると因果の証明は困難なので、うーんとたとえば空飛んでて落ちる夢見てベッドから落ちて目を覚ます、みたいな奴は、明らかにベッドから落ちるが因で、夢の方が果であろう。
つまり「落ちてる」「浮遊感」みたいな感覚の方に夢が寄せに行ってる。
となれば、これは「常に夢を見ている」ではなくて、「起きた瞬間の状況把握のために、夢的ストーリーを勝手に構築した」である。そうじゃあなければ、たとえば温泉に浸かってる夢とかの最中で突然(現実では)ベッドから落ちることになる。
であるから、「毎晩夢を見る」が百歩譲って事実だとしても、それは証明しようがないことになる。
例えばいわゆるレム睡眠時、が多分浅い眠りだったと思うが、とにかく夢を見てる、記憶しがちな状況で無理やり起こす。そんで夢を報告させた時にされる報告は、この「起きた瞬間の辻褄合わせ」を含んでしまう。「その瞬間までは夢見てなかった」可能性を否定できない。
だから「毎晩夢を見る」というのはまあ基本デマ、とは言わぬまでも、万人に共通する特性とは言い難いのでは、という主張はそこまで無理筋ではないと思う。だからまあ、そう言ったわけである。
したら。
「でもこのサイトにこう書いてますよ」
とくる。いやそれに何の意味があんだよ。書いてる、ということが真実性を担保するというなら、例えば俺は本当は身長3メートルだと書くことはできるだろうが。
「でも、書いてるんですよ?」
うっせーな!
と思い、もうめんどくさくなって後はハマグリの貝合わせ神経衰弱してあそびましょ〜〜みたいな急に知能指数低そうな事言って誰にも相手にされなくなったりしてたが、しかし、しかし。
つまりこの事例からわかることは、少なくとも「それっぽく書いてある」ことはかなり無批判に信用するタイプの人間がいるということである。そりゃあアレもコレも儲かるわ。まあ別に俺は他人の信念をとやかく言えるほど偉くも賢くもないから好きにすりゃあいいと思うが、そこまで「書かれている」ということを信用材料にする人間がいるんだなぁ、ということに驚いたという話である。
断っておきたいが、この人がアホだとか言いたいわけではない。有能だし素敵な人格だと思っている。ただ表面的には類似の文化圏にいて似たようなことを見聞してきてこんなに根底のとこから思考形態違うかと驚いたよということである。
最近別件でも、他の能力はきっと低くないと思うし、日常的には多分適切にやり取りできているであろう人が、別形態だとコミュニケーションの不成立の度合いが半端ないなと思って驚いたことがあって、つまりとことんシンプルに言えば人間には色々なタイプがいて、俺はそれをいつもつい忘れて思い出すたび驚く、というだけのことなのかもしれない。
でまあだからと言って嘘八百を書いてるエッセイを、そういう層のために修正しようと思うかと言うと思わない。そうではなく、こんな身近なところで懸け離れた我々が、しかし時にはお互いの書いたことを分かり、あるいは少なくとも分かるような気持ちになって、少しでも繋がるということを感謝しようと思ったということである。うまくいい話風にまとまって、このまま黙っていればオチがなくて困ったことは書かなければ書いてないからバレないので書かないことにしておこう。