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自分が面白いと思うことと批評が欲しいことは両立する気がする話(ここでやるのが正しいかは議論があるとして)

 綾辻氏のレスポンス早すぎ問題
(詳細はペコちゃんが読む、の、67話を参照されたいhttps://kakuyomu.jp/works/1177354054880323126

 を受けてなんとなく1日考えていたが、まず綾辻氏は、俺が勝手に見るところであって(しかも見ている姿はごく一部分)実際にどうかはまったく保証しないし分からないし、全然違った場合に気分を悪くしないで欲しいのであるが、非常にトップダウン的に自分を律されて、そのうえで創作する人間とその創作されたものに強いエールを送ることに集中されている方だと思っている。

 つまり、こらあかんわ、つまらんわ、という(ボトムアップ的に湧き出てくる)思考については(たぶん、思っていられるのだとは思うけど)敢えて書かず、良きところ、楽しきところに言語を集中させる形のレビュー、表現を心掛けているように思われ(すいません、俺が読んでいるのはエッセイだけなのですが)、こういう人間をこそ「優しい」と呼ぶべきなのだと俺は思う。

 (ボトムアップ的に生じる行動が結果他人を慮った行為になる人間はそりゃあ「接しやすい」し一般論としては「優しい」けれども、生まれ出ずる暗闇を律して自分にとって明るく見える方、光射す方に言葉を繋いでいく人間の方が「優しい」に決まっていると俺は思うということだ)(解説を加えると余計他人に伝わらなくなるというのは俺の悪癖の一つである)

 で、その「優しい」綾辻氏が、「混乱する」(あるいは凹む)と仰っていたのは、マジで混乱するんだな、と思って、しかし、それはそれとして自作に批評、意見をいただいたことは自分にとって善き体験、いつか気力に満ち溢れているとき改稿をしていければなあ、なんて呑気に思っていたところであったので、ぐっさり刺さってしまった、とこういう経緯である。

 思うに、自分が面白いと思う話を世に問う(カクヨムとかなろうに書く)ことと、自分が面白いと思う話を、先達、他人に、「こうすれば面白くなるよ」と言ってもらうことは、俺の中ではわりと近いところに存在するが別個の快楽の種類であるということで、創作の道を進めていくと、どこかでこの2つが合一する、ということなのかなと思った。

 「自分が面白いと思う話を世に問う」ために「まず信頼のおける人に批評を貰って」それから「世に問う」、あるいは、「批評なんていらないくらい面白さがあってそれを世に問う」までの水準に到達したと自負できる的な。どうなんでしょうか。

 あるいは単にリテラシーの問題で、修行を積めば「この水準だったらここで切磋琢磨」「この水準は全体公開でオッケー」みたいなことが見えてくるのかもしれず、基本的には俺の未熟さの問題であろうかなというそういうことなのであるが、ようするに未熟な人間は「見せたい」と「良くなるものならそうしたい」が、不思議と両立してしまうし、それに疑問など一切持っていなかったので、そうか、このあり方に疑問があるのだという驚き、気づき、蒙が啓いた、そういうことであったのですね。
 なんか傷ついたぜ俺はみたいな書き方をしてしまって申し訳ありません。びっくりした、はっと気づいた、風の音にぞおどろかれぬる、そういうことであります。どうもわざわざご返答いただきすみません。ありがとうございました。

 あと、"改稿せずに次作にいかした方が良いように思うかもしれないような"というのはまあ確かにという感じもある。


 なお、
・カクヨムには感想欄があった方が良いと思う(受付停止つきの)
 これは完全に同意である。




 それからもう一つ、ついでながら言っておくと、レビュ爆問題についてであるが、これはいわゆるレビュ爆という行為を批判する君にも伝えておきたいことであるが、とても大事なことは、たとえレビュ爆という行為を行ったとしても、作品そのものに力がなければこの爆撃、なんの効果も持たないのである。

 慰めにもならないであろうがついでに申し添えておくと、俺もずーーーーーーっと1ページ目に居座っておるのですよ。
http://tueee.net/kakuyomu/users.php?sort=rev&style=2
 
 しかし!! 自分でこんなこたあ言いたかないが、俺の作品の総★数(総レビュアー数じゃあねえぞ)でさえ、俺が付けたレビューには及ばないのである。(★数が56、レビュー数が73、評価数を加えたら総レビュー数は102だ。ちょうど★数(繰り返すが、レビュアー数ではない)の倍、レビューをしていることになる)

 一応、念のため、言っておくけど、★をつけた、レビューをしたのに★をつけない世間は不人情だなんて一切思っていない。言い募るだけ嘘くさいが本当だ。

 俺は俺が好きなものに好きだと叫びたい人間で、そうしただけのことだから、俺のことなんて1秒も気にかけてくれなくたっていいし、むしろそうして欲しい(いや、気にかけられるのが「嫌」というわけじゃあなくて、嬉しいは嬉しいですよそりゃあ)。
 そういうことを言いたいんじゃあない。むしろ、今俺はD坂ノボル先生が「泥棒」をフォローしていることの申し訳なさに震えている。絶対合わないと思うんだよォ……。

 つまり、★をつけたりレビューをした人間は、感性が近いと思うからそりゃあ作品は見に行くだろうさ。そして現に感性があったり、面白ければ★はつくだろう。ハードルが下がる、くらいはあるかもしれない。

 問題は、作品がそうでもなければ★なんて大してつかねえぞということだ! 自分で言っててどうかと思うけども!!!!!

 つまり「レビュ爆」の誹りを受けるということは、すなわち「自作に★が集中している」ということを指し(だから注目される)、「自作に★が集中している」ということは、つまりその作品に魅力があることの証左なのであると俺は思う。
 まあ、とはいえいい気分でないのは良く分かるけれども、だから名誉ということで良いのでは、という感じでもある。
 たぶんそういう掲示板界隈にもお詳しそうであるので、俺が言うまでもないことではあるかもしれないが、思ったこととして。

 あ、読まずに★をつける問題はまた別だと思いますよ。
 ただ、(適正な手続きで)読んで★をつける、そんで結果自作にレビューが集中する、は別に正当な営業だと思うし、だから前も言ったが全員ゼッタイ感想書くマンやれるものならやればいいと思う、というのも俺の本音なのである。俺は好きなものにしか好きと言いたくない(言えない)(そういう病気)ので、やらないけど、やってないのにこうなっているんだから、みんなやればできると思う。

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