美しさはあくまで作られるものであって、自然発生的に存在するものではない。にも関わらず美少女キャラクターは生まれつき美少女というのが散見させるのは何故だろう。
整形手術をしている、なら合点は行く。また化粧の描写はまま見られるだろう。美少女に限らず、男の筋肉だって、トレーニングによって獲得されるものだ。いずれにしろ、人間は自ら作り出したものに美しさを見出す。一種の自己愛だ。
ロボットやサイボーグという設定も、外見が秀でている事の説明になる。おんなきょうだいが居ることも、例えば化粧を教えてもらったことや、美の文化の情報の共有という事になるだろう。
創作は、それ自体がつくりものであるから、美しいとされるものを描くのは容易だ。(ありのままの、野生の、そのままが最も美しい人間の姿なのだ、という主張はあるにせよ、それを現実そのままを写し取ることで共有することはとても難しいだろう)美少女たちは作り物の皮膚や外観を与えられ、当然、内臓器官は存在しておらず、排泄どころか子孫を残す事だって出来ないだろう。神や天使も同じようなもので、彼らもまた(書物の上にしか)存在していない。天使に性器がないというのもその意味だろう。紙の上の存在は、子供を残す事ができないのだ。
それは、省略である。人間はデフォルメされた断片に美を見出すのだ。一続きの人生の、一片の側面のみにフォーカスし、切り取られる事で、それは美しいとか美談だとかされる。物語とは原理的に切り取りであるから、冗長な現実をそのままそっくり映し出すと、それは駄文とされる。
要は、見た目の話なんだ。人間は作られた虚構を(そして、言語は人間の発明である)生きているのであって、本来は作りものでしかない美を、天然のように偽装することがロマンチシズムであって、本当に生まれたまま美しい人間なんて存在しない。だから、その美を積極的に肯定できるか否かがいわゆる、前向きと後ろ向きの境界になってくるんだろうな