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君はサミュエル・フラー映画を見たか

 先日、値段がまあまあ高騰していた『ストリート・オブ・ノー・リターン』のDVDが比較的安価になっているのを見つけ購入したため、フラー監督作品全24作のうち所有するDVDが実に4分の3となる18作となった。
 『チャイナ・ゲイト』は配信・ブルーレイ化していたけどDVDで揃えたいので未所有・未見で、『デンジャー・ヒート/地獄の最前線』もVHSが出ているけど同じく未所有・未見である。『クリムゾン・キモノ』『戦火の傷跡』『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』は海外DVD/ブルーレイしか出ていないし『夜の泥棒たち』に至ってはフランスでもソフト化されているかすら謎である(でも何故かスペイン語・ロシア語吹き替え版はyoutubeに上がっていた)。
 『肉弾戦車隊』『コマンド』『死の追跡』『クランスマン』といった原作/脚本作品、『ラストムービー』『ことの次第』『新・死霊伝説』あたりの出演作品も興味はあるが、まだ見ていない。でも流石に『気狂いピエロ』は見た。

 フラー作品でもっとも有名なのは『最前線物語』であろう。113分の劇場公開版と、監督の死後、発見されたフィルムと遺された脚本に基づいて50分近い映像をリストアした162分のリコンストラクション版とが存在する。
 自分はまず、フラーの戦争体験に基づき中核に据えられているストーリーである162分版の『最前線物語』を観るのが良いと思う。リコンストラクション版の2枚組DVDにはフラー監督の作品紹介を含むドキュメンタリー・インタビュー映像が収録されているし、ここから別の作品に興味を持ち手を伸ばすこともできるだろう。
 というのも、これはフラー作品を横断的に見ることによって気付いてくるのだが、フラー作品は幾度となく『最前線物語』に登場する所属部隊、第1歩兵師団(ビッグ・レッド・ワン)への言及があるからだ。それに留まらず、作品間で類似する構造・構図、同じ名前のキャラクター(グリフ、コロウィッツ、ドリスコル、レムチェックなど)、そして扱われる象徴やモチーフもまた繰り返し立ち現れてくるのだ。

 言わば作品群が、すべて一つの長大な物語になっているのだ。私も全作品を見たわけではないが、多くは90分程度の短めの作品たちを見ることによって、フラー作品への理解度が高まっていく面白さというのもあると思う。とはいえ全く足がかりが無いのも見る切っ掛けに乏しいと思うので、私が見た18作品(+α)の短い感想を添えておこうと思う。
 「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、感動(エモーション)だ」というのはゴダールの書いたセリフだけど、「戦争は、感情(エモーション)とは関わりがない。エモーションの不在が、戦争なのだ。その空虚さこそが、戦争のエモーションなのである」というのはフラーの言である。

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『地獄への挑戦』 I Shot Jesse James (1949)
 この初監督作品でフラーは何よりもまず、殺人行為についての呵責を描いた。主人公は劇場で見世物として暴力を再演しようとするが……殺人のトラウマがそれを拒絶してしまう。それは戦争という暴力の波浪を浴びた帰還兵の脳内そのものでもある。暴力の引き起こす負の連鎖を描いた作品……というわけでもなくて、『太陽がいっぱい』に先駆けたホモセクシャル映画である。

『アリゾナのバロン』 The Baron of Arizona (1950)
 有名人が実は詐欺師でリンチされるという、すごく穿った見方をすれば、今のインターネットみたいな話。エディプス複合のために立派な象徴(ファルス)になろうとする男と、そんな男を愛した女の話。ウソが真実になる瞬間がここにはあり(虚構として構築されたものにこそ真実が宿る)、フラー曰く「相手のために何かをすること、それこそが愛」。ちなみに8月12日というのはフラーの誕生日です。

『鬼軍曹ザック』 The Steel Helmet (1951)
 当時進行中であった朝鮮戦争を舞台にした戦争映画。つまりこれはプロパガンダであり、報道映画でもある。しかしフラーがこの映画によってアカ呼ばわりされたというから話は面白く、また低予算(低予算はフラー映画につきまとう印象である)ながら迫力のある戦闘シーンなども含まれ、主人公のザック軍曹は元ビッグ・レッド・ワン=『最前線物語』の第1歩兵師団出身である。同師団のテイラー大佐の話も出てくる。戦争神経症やPTSDを描いた作品でもあり、戦争をやめられないアメリカの病理を端的に描いた作品であるとも言える。この物語に終わりはない。

『折れた銃剣』 Fixed Bayonets! (1951)
 『鬼軍曹ザック』に引き続きジーン・エヴァンスが登場する同じく朝鮮戦争ものの戦争映画。雪景色を描いた戦争映画というと2年前にアカデミー撮影賞を受賞したウィリアム・A・ウェルマンの『戦場』(1949)があるが、こちらも冬季の戦場を、そして殺人行為への抵抗を描いた優れた作品である。『戦場』の脚本のロバート・ピロシュもまた従軍しておりドン・シーゲル『突撃隊』(1962)やテレビシリーズの『コンバット!』を担当したりしているが、『折れた銃剣』もまたそれらに近い熱量を持った正統派の戦争映画である。「弾倉に弾が8発入ってる 8人殺さなくても、1人は確実に殺せ 8発全部使っても!」

『パーク・ロウ』 Park Row (1952)
 上記二作品に続いてジーン・エヴァンスが主演する、19世紀末のアメリカの新聞社を描いた歴史映画である。『地獄への挑戦』から本作までは言わば、歴史と現在とを描いた報道映画の様相があるのであって、それは新聞社を直に描いたこの『パーク・ロウ』に結実する。フラーは若い頃は暗黒街の取材や活字拾いなどをしており、新聞社を立ち上げたかったんだそうだ。

『拾った女』 Pickup on South Street (1953)
 初期フラー作品の傑作ノワールである。ケチなスリが運び屋の女の財布をスってしまったところから物語は展開する。なかなか途切れないカットとカメラワーク、終盤数分でパタパタと畳まれる展開が物語を語るのでなく、魅せる。「相手のために何かをしたのだ」、それこそが愛なのである。

『地獄と高潮』 Hell and High Water (1954)
 『拾った女』のリチャード・ウィドマークが再び主演をする、核を巡る冷戦ものの映画。ウィドマークは前作でもそうだが、愛国心でなく金で動くキャラクターとして描かれている。潜水艦内部のシーンが続いてロケーション的にはやや退屈だが、それが現実味を帯びさせてもいる。この映画の主な舞台が潜水艦でなく各都市の景観になるなら、それがきっとジェームズ・ボンド映画になるのだと思う。

『東京暗黒街・竹の家』 House of Bamboo (1955)
 日本を舞台にしたノワール、あるいはアクション映画。日本の描写にはおかしなところもあるが、それはセット撮影の屋内シーンがほとんどで、実際に日本ロケをした屋外のシーンは当時の日本そのものである。物語としては割とよくある、戦勝国のアメリカ人が占領国の女性と恋に落ちるような話で、それとは別に、ヤクザの元締めのロバート・ライアンは明らかにホモセクシャルを匂わせている。銃撃シーンも含まれ刑事アクション好きも大満足の内容である。DVDも入手しやすく、見やすい映画。

『四十挺の拳銃』 Forty Guns (1957)
 有名な作品の一つ。40人のガンマンを率いる女性牧場主との対峙を描く。物語はともかくとしてカメラやカットを見る作品だと思っていて、気付くとずっとカメラが回っていたりする。また007に先駆けてガンバレルから相手を覗くショットがあったり(ゴダールは『勝手にしやがれ』でこれを真似したそうだ)、イーストウッドの『許されざる者』を思わせる死体を飾るシーンや「ネッド・ローガン」という名前が登場したりする。男性性とは近代社会の規定する所有者のことであり、象徴(女性性)の所有を失うことは去勢されること……言わば「去勢された女」が、既にここで描かれている(本の意味とは違うだろうけど……)。ラストシーンは監督の意向とは異なるらしいが、成立はしてなくもない。

『赤い矢』 Run of the Arrow (1957)
 フラーの西部劇の中では(『四十挺の拳銃』と並ぶが)ベストだと思う。北部軍に敗れ、「高貴な野蛮人」であるインディアン(ネイティブ・アメリカン)に幻想を抱く南部人の話。「南北戦争最後の弾丸」といったモチーフや構造は『最前線物語』にそのままそっくり使われているし、インディアンの騎兵たちがアメリカ軍を蹂躙するのは『最前線物語 ザ・リコンストラクション』の北アフリカでドイツ軍を圧倒するアルジェリアのアラブ人騎馬部隊そのものである。第1歩兵師団自体の結成は第一次大戦のときなのでこの時代には存在しないが、「テイラー大佐」という名詞は登場する(南北戦争当時から第二次大戦へと繋がる第16歩兵連隊への言及)。北部の将校が「南軍が消えたんじゃない 合衆国が誕生したんだ」と言いながら、苦々しくコーヒーを飲み打ち捨てる様を見よ。

『陽動作戦』 Merrill's Marauders (1961)
 ビルマ戦線のメリル略奪隊を描いた映画。とにかくずっと疲労困憊である。任務が終わったと思えば、また任務。フラーの戦争映画では手榴弾が多用される印象があるがこの『陽動作戦』においては顕著だ。直接照準の銃よりも間接照準の砲や榴弾のほうが、殺人の抵抗が少ないというわけだ。『最前線物語』もこのくらいの予算とスケール感があったらなぁ……と感じなくもない。ときどき『シン・レッド・ライン』を思わせるような草原の戦闘シーンが飛び出してきたりして、ビックリする。ラストシーンは急に資料映像が挿入されてプロパガンダになるが、それはかのルイス・マイルストンの『地獄の戦場』もそんな感じだったと思う。軍が協力した戦争映画なんてそんなもんだ。監督の意向としては、皆殺しエンドだったらしい。

『殺人地帯U・S・A』 Underworld U.S.A. (1961)
 のちの『ショック集団』『裸のキッス』に繋がる要素を持つノワール映画。劇場が事件の目撃現場となる。復讐のために生きる男の物語だが、しかしクリフ・ロバートソンって『燃える戦場』でも『コマンド戦略』でもこんな顛末の役だったな。『ショック集団』『裸のキッス』と合わせてノワール映画三部作として見ると良いかもしれない。地方検事のドリスコルは背景から第1歩兵師団(ビッグ・レッド・ワン)出身と分かる。『拾った女』よりも正統なノワールらしいと思う。

『ショック集団』 Shock Corridor (1963)
 有名な作品の一つ。精神病院で起きた殺人事件の調査のために、精神病を詐病して取材する記者の話。精神病の描写はなんとなく二重人格っぽいというか、「正気と狂気」の状態が完全に分離しているように描かれていて、そうなのかな? と思ってしまうけど映画自体はとても良い。精神病そのものというより、アメリカという国の病理を描いているのではと思う。必見である。

『裸のキッス』 The Naked Kiss (1964)
 これもまた有名作の一つ。素晴らしいオープニング。そしてこれは、西部劇やマカロニ・ウエスタンで使い古されたパターンのミラーリングでもある。子供は未来そのものであり、『鬼軍曹ザック』や『最前線物語』、または『ザ・シャーク』でも繰り返される子供に対しての慈愛が、この映画では描かれている。元娼婦と子供たちの歌声が胸に刺さる。もがき、抗い、懸命に生きる様は男女を問わず格好良く、美しいものである。(そしてまた、孤独でもある……)

『ザ・シャーク』 Shark! (1969)
 フラーが「監督のクレジットを外してくれ」とまで言った映画。それは撮影中のスタントマンの事故に対してプロデューサー側が強行して映画に使用し、あまつさえ事故を宣伝材料にしたからだが、しかしながら、映画自体はとても良い。日焼けしたバート・レイノルズがときどきショーン・コネリーのようにすら見えてくる。娯楽映画バージョンの『気狂いピエロ』とも言えるし、船のシーンは『太陽がいっぱい』も思わせる。アルコール中毒の医師が"Blood plasma for the 1st Infantry Division"「第一小児科からの血清だ」と言うシーンがあるけど誤訳で、「第1歩兵師団のための血漿だ」が正しい訳。フラー映画は全く関係ないところで第1歩兵師団への言及をぶっこんでくる事が多いので、それを知らないまま翻訳したからだろう。自分は冒頭の、息子を失くした母親のシーンで既に「あ、この映画、めっちゃ面白いっすね」と思った。

『最前線物語』 The Big Red One (1980)
 言わずと知れた、フラー監督の代表作。劇場公開版は本当に多くがカットされていてリコンストラクション版を見た後だと違和感やシークエンスの不在を感じてしまうのだが、カセリーン峠での敗退、花飾りの付いたヘルメット(これはアンソニー・マン『最前線』への言及か)、戦車内での出産、精神病院での戦闘など、重要なシーンはちゃんと残されている。地味にベルギーでの森の戦闘で手榴弾を投げて制圧するシーンがリコンストラクション版ではカットされていて、代わりにバズーカを撃つシーンに繋がれている。どちらも捨てがたいが、両方見るという手がある。未見の『チャイナ・ゲイト』でも第1歩兵師団の出身の黒人兵が登場するということで、気にはなっている。Dogfaceと呼ばれた第二次大戦の歩兵たちの濡れた鼻(ウェット・ノーズ)を目撃せよ。

『ホワイト・ドッグ』 White Dog (1982)
 アメリカで上映禁止になった曰く付きの作品。フラー監督は1959年に"Dog Face"という北アフリカ戦線を舞台にしたテレビドラマのパイロット版を撮っていて、それはお蔵入りになったそうなのだが、そこで取り上げられていたのがドイツ軍の軍用犬だった。『ホワイト・ドッグ』は攻撃犬として育てられた(殺人兵器として造られた)帰還兵の話でもあるし、被虐待児童の物語でもあり、そして人種差別の話でもある。犬の視界はノワール映画がそうであるように、白と黒のモノクロームの世界である。あと前作の『最前線物語』でマーク・ハミル出てるのに『スター・ウォーズ』を扱き下ろす場面があって笑った。

『ストリート・オブ・ノー・リターン』 Street of No Return (1989)
 クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』や『運び屋』が彼の締めくくりであるように、この映画もまたフラー映画のあらゆる要素を想起させる。主演のキース・キャラダインは若い頃のリチャード・ウィドマーク(『拾った女』『地獄と高潮』)を思わせるし、当時のイーストウッド、あるいはフラー監督自身のイメージが重ねられているように思う。というかクリント・イーストウッド/スコット・イーストウッド共演でリメイクされたらめっちゃウケると思う。自分はフラー監督の描く有色人種の描写が好きで(それはイーストウッド映画もそうなんだが)、『ショック集団』ではそれを期待していたのだが思っていたより分量が少なく、しかしこの映画では(70年代のブラックスプロイテーション映画も意識されたのか)黒人が多く登場・活躍していて、よかった。退廃した街の様子は『ニューヨーク1997』といったポストアポカリプス/SF映画のようでもあり、復讐の対象に銃を向ける男に、静かに「やれ」と語りかける様はスタジオにカットされてしまった『最前線物語』の報復である。変な映画だが、フラー映画の総決算として見るならば納得の一作である。ただ終盤のアクションシーンのBGMはあんま合ってないと思う。

『最前線物語 ザ・リコンストラクション』 The Big Red One The Reconstruction (2004)
 そして再び『最前線物語』である。80~90分前後の映画がほとんどのフラー作品において、160分を超える本作は実にフラー映画二本分に相当する(?)。残念ながらディレクターズ・カットではないが、劇場公開版において失われたシーンの多くが復元され、あるべき形になっていると思う(リコンストラクション版を見てから劇場公開版を見ると、不自然なカットや尻切れトンボになっている場面、回収されなかった伏線の多さに気付くはずだ)。私にとってジョン・ヒューストン監督『ロイ・ビーン』とヤン・シュヴァンクマイエル監督『アリス』に並ぶオールタイムベスト3の映画であり(次点はフェリーニの『8 1/2』)、サム・ペキンパー『戦争のはらわた』や岡本喜八『激動の昭和史 沖縄決戦』と並ぶ、最も偉大な戦争映画のひとつである。

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 長々と書いたが、『拾った女』『鬼軍曹ザック』『四十挺の拳銃』『赤い矢』『東京暗黒街・竹の家』『ショック集団』『裸のキッス』『ザ・シャーク』『ホワイト・ドッグ』、そして『最前線物語』あたりが自分のオススメである。もちろん可能な限りたくさんのフラー映画を観るのが最もよいが、予算と時間には限りがあるだろうから、気になったものを買うなり借りるなりして見て欲しいと思う。そして絶版になったり日本盤やそもそもDVDが出ておらず、入手・鑑賞不可能なフラー作品の事を考えてみてください。

1件のコメント

  • 誰の役にも立っていないが、『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』は.srtファイルの形式で翻訳した
    https://privatter.net/p/8246395
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