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死んでる場合じゃない

 本記事は『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の感想記事であり、性質上007シリーズのネタバレを含みます

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最初に皆さんも観ていて同じ気持ちになったと思うので、箇条書きしておきます

・XOFに襲撃されたマザーベースじゃん
・FOXDIEじゃん
・サードエシュロン本部に戻ったときのサム・フィッシャーじゃん
・スキラ島じゃん
・民族浄化虫じゃん
・レセプターが壊れたFOXDIEじゃん
・「散る。」じゃん

以上です

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 まずオープニングのガンバレル・シークエンスから「ああ、今回でボンドは死ぬんだ」と思った。最悪の場合死ぬ、そうでなくとも前作『スペクター』の「記憶を司る部位」云々の破壊によって、相貌失認に陥ったり人間性の一部を失ったりするのかな、と踏んでいた。(あの話、投げっぱなしだったね)

 プレタイトルシークエンスが割と長めのマドレーヌの回想から入るのは「これは007映画なのか?」と思わされた。っていうか前作『スペクター』もボンドの幼少期の回想などが(あるいはフラッシュバック等で)含まれるべきだったのでは?? と今でも思うんだけど、しかし我々はテクストとして受け取ったものを解釈する他ない。版権の関係でどうしようもなかったとは言え、『スカイフォール』までの三作のうちにペルシャ猫が1カットでも映ってれば良かったと思うんだけど……しかしその後のスペクターの名刺からの突然の爆発で全てを赦しました。
 そう私が『スペクター』で観せて欲しかったのは「テロ組織としての恐怖」だったんですよ。テロの恐怖を描くために、前作でボンドを引退させ「日常の破壊」としてテロリズムを描写するのはとても理にかなっている。うえに機能している。
 列車で別れる場面でマドレーヌがお腹押さえた時「あ、妊娠してる? 原作だと鈴木ボンドだっけ? ジェームズ・ボンドJr.?」とか、思った。オープニングで遺伝子(二重螺旋構造)のモチーフが出てきて「メタルギアソリッドか?」とも思ったけどそれは合っていた。

 ノーミ(演:ラシャーナ・リンチ)が007を襲名したのは読めなかった。「傷付いた? たかが数字よ 永久欠番だとでも思った?」00ナンバーだけどせいぜい前作でアストンマーチンを持ち逃げされた009辺りだろうと踏んでいたから。これが後でボンドがMI6を再訪したときに同じセリフで意趣返しをしていたり、ボンドが00ナンバーに復帰した時に「00何番?」としきりにノーミが気にしていたりするのはキュートですね。
 全体的に可愛い映画だった。これはイーストウッドの『運び屋』を観た時と同じ感想なんだけれど、「可愛いおじちゃん、おじいちゃん」というジャンル映画が確立されつつある(本当か?)。あの伝説的な、カッコいいイーストウッドが『運び屋』で老人的な可愛さを見せたとき、私は思わず「ズルじゃん」と言ってしまった。あんなんズルじゃん、ねえ。イーストウッドで言うなら『グラン・トリノ』のほうが近いんだろうけど、歴代のボンド映画で言うなら『ユア・アイズ・オンリー』が最も近いか。

 それは『ノー・タイム・トゥ・ダイ』が、『スカイフォール』で見せた「肉体の衰え」を更に一歩進めた「男性機能の衰え」を描いた映画だからです。ロジャー・ムーアも当時は『ユア・アイズ・オンリー』を引退作と考え、ティーンエイジャーの女の子からベッドに誘われたとき「服を着なさい」と諭していたけれど、今回はそれをもう半歩なり一歩進めて、「そもそもボンドが男性として見られていない」の領域にまで達している。
 その役割を担うのが新人CIAエージェントのパロマ(演:アナ・デ・アルマス)。ボンドは彼女と会ったとき「服を脱いで」「お互いを知り合うには早すぎるんじゃないかな」と冗談を飛ばすけれど、二人はもはや親子と言っても通じるほどの年齢差で、パロマは全くボンドのことを性的に見ていない。ボンドも冗談ぽく性的な仄めかしはするけれど、ボンドもボンドでマドレーヌひとすじだから今回のボンドは純愛派やね。というよりも、ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド像は常に女性性の犠牲によって成立していたのだが。

 『ゴールドフィンガー』でジル・マスターソンが金塗れになって殺されたとき、『トゥモロー・ネバー・ダイ』でパリス・カーヴァーがベッドの上で殺されたとき、プッシー・ガロアの征服とはボンドの歪んだ女性性への復讐として機能するものである。それを受け継いだ形で『カジノ・ロワイヤル』と『慰めの報酬』、そして『スカイフォール』は成立していた。ヴェスパー・リンド、ルネ・マティス、ストロベリー・フィールズ、それからM(演:ジュディ・デンチ)の犠牲によって。(追記:ごめんソランジュとセヴリンも)
 それで言うなら今回のヒロインは明らかにフィリックス・ライターなんですよ。あとQ(演:ベン・ウィショー)もか。ボンドガールが時代遅れというならボンドボーイも配置して、なんだったら明確に軽薄なバイセクシャルにしてしまって良いと思うんだけど、今回のボンドは純愛路線やからね。フィリックス(同業者)の犠牲がボンドに火を点けるのは『慰めの報酬』と同じ展開。

 ブロフェルドとスペクターの扱いは本当に良かった。前作『スペクター』が許せなかったのはひとえにクリストフ・ヴァルツの無駄遣いだろ! と思ったからなんだけど、今回ブロフェルドが椅子の入った機械じかけの箱に乗って運ばれてくるとき、彼が装置をちらと覗き見する瞬間があって、明らかにカットできるんだけどもされていない。どういう事かというと、スペクターという国際犯罪組織の首領であるブロフェルドは目の前のボンド(人間)よりも自分を運んでいる装置(器官)の方にしか興味がないということ。器官(オルガン)が正しく機能しているか、だからボンドの脳を破壊しようとした、自身とボンドとの関係も(たぶん)割とどうでもよく、人間そのものよりも人間を機能させている器官(オルガン=内臓と組織)への興味・関心が、彼を純粋な「悪」たらしめている(連続殺人鬼のほとんどが幼少期に小動物の虐待や解体を経験するようにね)。『ノー・タイム・トゥ・ダイ』は前作『スペクター』で取り落していたところをきっちり拾ってくれていたので、この時点で私はほとんど満足しました。
 でもブロフェルドは前座なんですよ。これは『ユア・アイズ・オンリー』と同じ。「死ね」「すまない、なんて?」「死ね、ブロフェルド、死ね!」剥き出しの憎悪と暴力。『ノー・タイム・トゥ・ダイ』は明らかにボンドの表皮を剥ぎ取って内面を見せつけようとしている。シリーズが築いてきた「007の優雅さ」はここには存在せず、ただ醜く純粋な暴力があるのみ。たぶんNTTDを嫌いな人はこの辺も嫌いだと思う。前作まで、というか本当にシリーズの最初から24作目までボンドは「仕事として」「プロとして」やっていたけれど、今回のボンドは引退しており007の称号も無く、ただ「家族を侮辱されたから」怒っている。これはある種の父性像を描いてきた007シリーズの根幹です。でも今回ボンドは本当にパパになっちゃう。後に子供が人質になったとき、ボンドは土下座までする(それは懐からワルサーを取り出すためのブラフだったけど)。父性の持つ暴力性やエゴイズム、小ずるさなんかは、それが家族のためであるなら正当化される。家族とは何か。共に暮らすもの、ひいては近しい遺伝子や模倣子を持つものだ。

 だから今回遺伝子を鍵とする暗殺兵器(FOXDIEじゃん)が据えられているのはテーマに適っている。ノーミが黒人なのも一役買っていて、「ナノボットの設定如何で君たちの人種を絶滅できる(セリフわすれた)」「いまは何時? 死ぬ時よ」という流れがとてもクールでしたね。なるほどFOXDIEもうまく扱えば民族浄化虫になるんだなぁって、MGSシリーズの復習に最適ですね。人種ネタで言えばフクナガ監督の『ビースト・オブ・ノー・ネーション』も黒人少年兵たちの物語であり、フクナガ監督も有色人種に分類されるであろうから、その辺の感覚はかなり信頼できると思った。
 ただ問題がひとつあって、今回のナノボットと毒(細菌兵器)を組み合わせた「ヘラクレス」の設定がちょっと強引で、「本当にそうなの?」と思ってしまった部分があった。遺伝子をターゲットにして特定の人物を殺す、その範囲が拡大すれば人種・民族・集団ごと民族浄化できてしまうというのはMGS1とMGS4とMGSVの復習なので良いんだが、最後ボンドとサフィンがその細菌(毒?)を直接体内に取り込んでしまったとき、
「いま二人とも恐ろしい毒を浴びた 触れるだけで誰も彼もを殺してしまう毒だ」
みたいな事を言うんだけど、これは「本当に?」と感じてしまった。そんな毒なら体内に入った時点で死んじゃうんじゃない? っていうかナノボットのターゲットが未指定の状態であるなら誰も死なないんじゃない? ターゲットが指定されていない状態で触れた人間を殺してしまうなら、やっぱり毒を受けた側も死ぬんじゃない??

 好意的に解釈すると、これはサフィンのブラフ(誤情報、ディスインフォメーション……あるいは「呪い」)だったのではと思う。サフィンは追い詰められて「触れるだけで全ての人を殺してしまう毒だ」とブラフを言って、報告を受けたQも(たとえば)「マドレーヌとその子を殺してしまうナノボットを浴びてしまったのだ」と誤解をして、ボンドも「触れた人をみな傷つけ殺してしまうのだ」と勘違いしたまま死を選んだ。ということだと自分は(現時点では)思っている。
 実際ボンドは、これまで触れてきた人の多くが死んでしまった。サフィンの言った毒についての説明がブラフだったとしても真実だったとしても、ボンドは「確かに、僕が関わると誰も幸福にはなっていないじゃないか」「この眼の前の男と同じように、僕も他者を傷つけることでしか存在できないじゃないか」と心が折れてしまった。でもそんな事はなくて、『慰めの報酬』で水資源を独占する「悪の組織」をぶっ潰してその後をカミーユ(演:オルガ・キュリレンコ)に託したように、ボンドは実際多くの人を救ってきてもいた。でもまぁ、彼はすでに「老いて」「衰えて」しまったので、それならば何か再び間違いを犯して、あるいは大切な人を傷付けて晩節を汚すよりはと自らの「お焚き上げ」を選んだという感じなのではないか、と自分は思った。(冒頭、マドレーヌとボンドがそれぞれ紙を燃やすシーンを想起させて映画は終わる……ボンドは最後に死よりも愛を選んだ)(サミュエル・フラー監督の『殺人地帯U・S・A』や『四十挺の拳銃』がそうであるように、劇場が事件の目撃現場となるのだ)

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 ところで、その「毒」のモチーフは異常にCOVID-19に近い側面があってビビりますよね。これ撮影2019年なのに。家族や繋がりや関係性がフィーチャーされる辺りも。
 あと思ったことを箇条書きにして終わります
・Q-DarでボンドがΨ、ノーミがΦなのはそれぞれギリシア数字で700、500だからノーミはあの時点で005だったという事? ΨとΦで波動関数の収束を暗示しているという説も(私の中で)あります
・『カジノ・ロワイヤル』でボンドが使う拳銃がずっと9mmのワルサーP99で、その後はずっと.380のPPKなのが気がかりだったけれど、『慰めの報酬』『ノー・タイム・トゥ・ダイ』ではシグP226がメインで使用され、『スペクター』でもH&K VP9が多めだったので(9mmパラベラム拳銃がP99だけじゃなくて)良かった。あと『カジノ・ロワイヤル』のガンバレル・シークエンスも遠くて見えづらいけど実はワルサーPPKだったので、PPKが皆勤賞だと知れて良かった
・前作『スペクター』でもPPKがヘリを落とすときの決め手になったし、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』でもコンパクトさを活かして居合抜き(っていうか早撃ち)をしていたのは良かったですね
・シグP226って英国海軍の正式採用だっけ? 使っていてもおかしくないか
・サフィンが持っていたのは因縁のベレッタでしたね
・ノーミがジャマイカで窮地に陥った時に早撃ちでその場を脱するのは『カジノ・ロワイヤル』でボンドが大使館でやってたことですね
・終盤のワンカットのアクションシーンは『スペクター』冒頭のワンカットと対を成していますね
・ナノボットってPS2/GCの『007/エブリシング・オア・ナッシング』にも出てきたけどアレとは関係あるの?

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 これは持論だけど女性性の活躍は男性性の脱権威化なので(なぜなら現代社会は肉体なり社会なりの構造上、男女の二項対立を止揚するに至っていないので)ボンドの去勢とまで言って良いんだけど、要は、パロマやノーミ、あるいはイヴといったフィールドエージェントというのは女性性が男性化していること(女性性が男性社会にコミットメントするには、自身を「強い」男性化するほかない)の反映であって、そうなってくるとボンドが特権的に「殺しのライセンス」を持っている007シリーズは成立しなくなるよね、という話でもあるとは思う。現代社会における男性性の存在する意味って何? ってこと。(生物学上のメスは子を産むのに必須だが、メスがオスの役割を兼ねるようになったとき、オスの存在理由とは何ぞや? =無いんだよね。と『シン・レッド・ライン』は言っている。メスが娼婦でオスが兵隊なら、メス=女王は子を為せるがオス=兵隊は殺すしか能がない。これは人工子宮が実用化され女性性から子宮役割が疎外され企業・科学技術に外部委託されるまで人類が抱え続ける問題です)

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22/09/03追記
 prime配信でよく見たらサフィンがボンドに「恐ろしい毒を浴びた」っていうシーンで持ってるのが割れた容器かなにかっぽかったのでそれにマドレーヌ博士とマチルドのDNAが指定された「ヘラクレス」だったという事なんだろう。自分は初見でカミソリか何かかと思ったので勘違いしていたっぽい(まあボンドが「触れてしまう者を殺してしまう」という比喩は合っていると思うが…)

1件のコメント

  • とても興味深く面白い批評でした。プロフェルドの異常性の部分は自分では気づけなかったので、機会があればもう一度見直して確認したいところです。ボンドの老い、という部分についても、ぼくはうまく読み取れていなかったな……と思わされました。
    暴力の激しさ、おぞましさが強調されている点は確かにそうだと思いました。ラストの戦闘の壮絶さは印象的でしたね。近年のアクション映画の中でも出色の出来だったと思いますが、同時に007らしからぬところがあった。しかし、テーマを考えたら必然だったとも思います……
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