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  • 異世界ファンタジー

批評企画用ノート

これは批評企画で知り合った方などが、返信するために使う用ノートです。

今まで作品内コメントを利用していたのですが、これだと返信が1回しかできず、コメント主の方が再返信できないので、新しく作成しました。

批評企画に参加してなかった方でも、書き込んでいただいて、ぜんぜんOKです。

むしろ歓迎です。ここではネタバレも気にしないで下さい。

もし私の作品を読んで感じた問題点などありましたら、遠慮なく批評・指摘していただけると喜びます。

自分が好きで書いた作品はどうやっても、自分にとっては世界一面白いものにしか見えないのが、書き手という生き物なので、自分の作品の難点って見えにくいんですよね。

カクヨムだと基本的に作品内コメントは、その手を指摘することがないので尚更です。

なので、このノートでは「ここがつまらなかった」とか「ここが退屈」「ここが意味分からなかった」などの、シンプルなご意見でもめちゃくちゃ有り難い栄養です。

どんな褒め言葉より喜んじゃいます。

ちなみに批評企画に参加した方からは、作品内でもこんなコメントを頂いております。

「ヒロインが需要なさすぎ属性なんだよ。ラブコメなのにヒロインの魅力が死んでるよ!(意訳)」

はい、もう作品の根幹に関わる部分をドストレートにぶった切ってくださったりしますw

作者本人が一番分かってた部分だけど、改めて他人から言われると、そうだよなあと納得できちゃって、ありがたい。

こんなでも喜ぶ人間。それが書き手という生き物なんでしょうね。

61件のコメント

  • ここではあまり批評した事がないのですが、してほしいとのことなので。書き込みます。

    ギャグとシリアスの融合。良いとは思うのですが、最初オークお偉いさんの娘の部分でギャグ満載になっていて、うーん、これ果たして良いのだろうか? と思いました。

    せっかくのシリアスで良かった部分を殺している様に思えたのです。

    面白い作品であるが故に少しギャグを控えめしにてもいい気がしてならなかった。

    それとは逆にこの作品からギャグを取ったら果たしてここまでのものになったかどうか? と言う感想も持ちました。

    さじ加減がとても難しいですが。

    せっかくなので読んだ感想を置いていきますね。
  • 神原様。

    ありがてえ感想をどうもです!

    そうですよね。
    あのシーンは状況としては、主人公の目的が達成できるかどうかというシリアスな場面になります。

    そこでブーラコ(オークの娘)の扱いがギャグ寄りだと、緊迫感が薄れてしまうというのは、その通りかも知れません。

    自分的には、ここまでずっとこのノリだしええやろ、程度しか考えてなかったので、まさに自分にはない視点からのご意見をいただけてありがたいです。

    感謝いたします。
  • 神原さんのギャグに対する考え方について私も思ったことを書きます。
    シリアスとギャグのバランスは良いのではないかと思ってます。
    印象として乳ネタが多いかなというところですね。
    決してそんなことはないはずなんですが、読み終えてから日が経ったこともあり、乳ネタ多かったなという思い出が強くなっちゃってるんですよね。
    乳ネタってギャグとしては定番で、言葉を選ばずに言えば誰でも思い付くネタなのかなと思っています。
    この作品全体を見れば唯一無二の出来栄えなのに、乳ネタが思い出を邪魔してる感があります。
    定番ネタの需要は多いと思うのですが、贅沢なことを言えばギャグを引っ張り出しても菅野さん唯一無二の作品として思い出に浸りたかったなというところですね。
  • おはようございます。
    そして失礼します。

    上記の乳ネタに関してですが、私はむしろロジオンとハレヤ今の関係性を象徴するもので、また相容れない正反対の対象としてネタが多様化されるのは自然な流れなと思いました。

    乳ネタとクレープ&ステーキは彼らの属性であり、日常です。小説においても読み手も、息を抜くところなのかなと思っております。
    ゾーフィアオタクでおっぱい星人なロジオンの属性は変えられないと思います。

    最後は金持ちになって人生勝ち組となるより、元の日常に戻して新たな再出発を示唆しているのだと思います。
    そこに戻す為にはロジオンがやらかさなければなりませんが、そこはロジオン、ブレずに盛大にやらかしておりました。関西人としては、結局そこかーい!と気持ちよく突っ込ませていただきましたよ。

    まあ、これも私の個人的な感想なので参考としておいて欲しいです。

    それより私が懸念するのはやはりトールキン財団ですかね。ホビットおじさんはともかく、オークはこの作品の根幹を揺るがすものとなりますが、今年からその使用についても厳しくなったと聞き及んでいます。
    かく言う私もキングオークを出しているので修正しなくては。
  • ベンゼン環P様

    なるほど。
    やはりギャグとシリアスの塩梅は個人差がけっこう出ちゃうところなんですね。

    「丁度良い」と感じる方もいれば、「空気読んで緊迫する場面はシリアスに寄せたほうがいい」と感じるかたもいると。

    多くの方の意見が聞けてありがたいですね。
    栄養になります。

    Gカップに関しては、自分としてはギャグのつもりというより、
    理想(伝説上のゾーフィア)と現実(真実のゾーフィア)のメタファーとしてのアイコンのつもりではあったんですよね。

    それと同時に、主人公がヒロインへ向ける愛情が、見かえりや下心を交えない純愛であることを強調するための仕掛けとして用意したつもりのものでした。

    その結果として、18万文字の作品で20回も『Gカップ』という単語が登場することになり、実に9千文字に1回の頻度で表れることになりました。

    これは確かに、ギャグとして見られた場合は、しつこいと言われても仕方ないですね。

    これまた自分では気づけない部分でした。
    ありがとうございます。
  • かごのぼっち様

    そうですね。
    私もGカップネタに関しては、かごのぼっち様の解釈のつもりで、書いたものです。

    理想と現実のギャップを受け入れる象徴ですね。

    けど一方でやはりギャグに見られれば、しつこすぎるというのも、その通りだと発見させていただいた次第であります。

    トールキン用語関連に関しては、カクヨム掲載自体は商用利用にはあたらないので、ここで書いてる分には問題ないですね。

    仮に商用で出版などをする場合には名称を変えなきゃダメなやつですが。

  • ところで、本編以外の作品を外された模様。これは番外編として本編とは別にすると言う目的でしょうか?

    番外編も面白いし、せっかく出来ているこの世界観、勿体ないのでスピンオフやアフターストーリーなど世界を広げてほしい気持ちがあります。
  • かごのぼっち様。

    その点について短期間だけ作品の紹介文スペースで説明を記載していたのですが。

    コンテストへの応募に際して、18万字以内という制限があったため、それに合わせて本篇以外を一時的にカットした形にしました。

    すでに応募期間は過ぎて応募は完了しているので、応募規定から外れる形式に戻しても問題ないのです、が。

    改めて本篇だけにしてみると、やっぱり本来のこの形が完成されてていいな、と思っちゃって、そのままにしている次第です。

    後日談を再開することがあったら、そのとき再び公開したりするかも知れません。


    番外編については、別作品として構想はしています。
    ゾーフィアが魔王を討伐してから、現代までの約千年間の一部を描いたものですね。

    『元最強勇者が世界を救ったその後の後日談』的な、いかにもウェブ小説っぽいシチュエーションを、この作品のテイストに合わせた良い感じに捻ったものが出来たらいいなと、色々考えてるところです。

    例えばゾーフィアによるダンジョン配信、みたいな王道ネタと組み合わせるみたいなことですね。
    それもストレートにやっても仕方ないので、良い感じに捻れたらなと。
  • 応援コメント返信ありがとうございます!

    今回は批評ではないです笑

    この場を作って頂きありがたい
    ありがとうございますという報告です。

    というのも、前々から
    長文での批評は
    他の方応援コメント邪魔や
    迷惑になるような気がしていたので。
    助かりました!
    本当は直接、言いたかったのですが
    言えず仕舞いで。

    良ければ
    このフォーマット、こちらでも
    使って良いでしょうか?

    あと、やはり皆さん、
    ギャグとシリアスのバランスについて
    疑問持たれていらっしゃるのですね。
    とても興味深いです!
  • 誰よりも海水を飲む人様

    いつも丁寧なご批評をありがとうございます!

    もちろんフォーマットを流用していただいて結構ですよ。
    今後はそちらの作品への私の批評コメントも、そのノートに書く感じがよろしいでしょうか?
  • ありがとうございます!
    そちらで大丈夫です!

    近日中に、私の近況ノートを立てておきますね。
    いつも応援コメント、批評ありがとうございます!
  • 承知しました。
    今後はそのようにいたしますね。

    こちらこそ、ありがとうございます。
  • あ、どもども。
    批評とかするつもりは無かったのでテーマとは違うのかも?ですが折角なので問題提起?みたいなのしてもいいかな?しちゃうけどw
    空気読めてなかったらスルー願います
    m(_ _)m
    正直この物語は齟齬とか矛盾とか殆ど無くて、スポットライトの当て方(誰視点?誰価値観ベースで読者共感を誘う?)とか掘り下げ方(裏設定をどこまで文章化するか行間に何を残すか?)とか表現の仕方とかテクニック的な論争になると思うのよね。
    あ、勿論「未熟者が!てめぇの物差しで安易に語るな!」ってお叱りもウェルカムどーぞ♪
    そんな中で私自身も少々悩んでる事が一つ。
    この作品の各話のタイトルなんですよ、読者には解りやすいタイトル。
    逆に言えばプロットをタイトルに持ってきてるんじゃね?くらいなストレートなタイトル。
    多分それくらい安心して読める…そしたら本文読まなくてよくね?までワンチャンあるのかな?とか思ってしまうのですよね。
    次回予告で「ヤムチャ死す」みたいなネタバレも魅せ方の一つだとは思うんてすが各話のタイトルとかどーなのかなー?と。

    目の肥えた方々のご意見も賜りたい次第です
    m(_ _)m
  • 椿 恋次郎様

    ようこそ! そういう話題もウェルカムですよ。

    各話のサブタイトルに関しては、実は投稿した初期段階では、中身がそこまで分かるものにはしてなかったんですよ。

    雰囲気だけは伝わるけど、その話で何が起こるかは具体的にはわからないレベルですね。

    でも、投稿と同時にウェブ小説というものを私自身も読み始めて、そこで思った。

    「各話のサブタイトルで何が起こるか見えると、お話しの方向性がまだ掴みきれてない序盤を読んでるときに、この作品でどんな面白さを得られるのかが一目でわかってありがたい」と。

    例えるならレストランのメニューみたいなもんですね。
    メニューに良くわからん文字列が並んでいるのと、好物の食材が使われていることがハッキリ書かれているのとなら、どっちがいい? ってことです。

    そうなると私は自然と、ハッキリ書かれている作品のほうが楽しみやすいことに気づきました。

    ただ、ネタバレにも限度はあるので、私の作品の場合は、〝リアル〟の章以降はタイトルだけでは中身がわからないようにはしてあります。

    とりあえずメニューは中盤くらいまで中身がわかるようにしてあれば十分だと思うんですよね。
    そこまで読めば、どんな作品なのかはほぼ分かりますし。

    以上です。


    あと似たような話題だと、タグの「ハッピーエンド」ですね。
    ヒロインを救えるかどうかが焦点の作品で、ハッピーエンドじゃ、
    もう救えるってわかっちゃってるじゃんwwって話しなんですが。

    実はこれも最初は付けてなかったんです。
    では、なぜ付け始めたかというと。

    最終回を先に読む方が意外に多かったんです。
    中盤あたりまでは順番に読んでくれてるんですが、シリアス展開になったあたりで、最終回を先回りして方が多かったんですよね。

    で、最終回を確認してから、また元にもどって読み始める、みたいな感じです。

    最近はアニメとかでも、人が死ぬ系のお話は原作でどのキャラが死ぬかを先に検索してから見始める視聴者が多いという話しを聞いたことあるのですが。
    それほんとなんだろうなと。

    まあでも、分かる気はするんですよね。
    感情移入したキャラが死んじゃうようなお話しはみたくないという気持ちは分かるです。

    ならばもうハッピーエンドって書いてあげたほうが、ユーザーフレンドリーだよなって思って、タグを付けるようにしました。
  • 菅野様が提供してくれた場ですし、私も書いてみることにします。
    折角、ご自身の作品をネタにしてくれたのに、ちょろちょろ書いて終わりでは期待に応えられないので議論を盛り上げるために、私への批判も来そうですが、燃料を投下する必要があると思うので多く書いてみます。

    偉そうなこと書きますけど、自分もできてるわけではありませんから……。というわけで、最初に謝ります。

    「偉そうなこと言って、ごめんなさい!」_(._.)_


    まず、全体的には「映画『世界を救う。そして彼女は勇者を憎む』」の章が、他に比べてバランスを欠いていると感じました。

    ●理由(その1):サブストーリーなのに、物語が出来すぎてる。
    正直、「全裸元勇者 外伝」ってことで、サブストーリーだけで作ってみたら? と思います。メインストーリーはハレヤとロジオンの日常系的な感じの話なのに、サブストーリーはガッツリ世界を救っていて読みごたえがある。特に映画部分は淡々とした文書で楽しい演出の枝葉を切り落とし、構成力勝負の表現となっています。系統の違う話でサブストーリーの方がコッテリしてるので、メインストーリーを食ってる気がします。
    すごくいい話なので、削れなかったし、出来にも自信もあったんだろうなとは思いますが。

    ●理由(その2):サブストーリーなのに、長すぎる。
    映画の章が40007文字。全体が180567文字なので、約22%。
    その1のとおり、毛色の違う話が2割も入っていると異物感はやむをえません。21話にオーク勇者の話が出てきますが、あのぐらいであれば違和感はありません。コッテリ好きでガッツリ楽しみたい私はこの構成のおかげでかなり楽しめましたが、さらっと読みたい方はこのまま読み進めてもいいのかな? と思うのではないでしょうか。

    ●理由(その3):読み続けてきた読者は、きっとコメディを期待している。
    やっぱり全裸元勇者はハレヤとロジオンの会話や、やり取りが面白いんですよね。読み続けた読者はそれが好きで継続して読んだと思います。でも、映画視聴の表現として他と区別して淡々と描いており、そのため楽しい演出や表現がごっそり抜けてる気がします。私のように、これは別の話だと割り切れればガッツリ楽しめますが、長さもあって急に別の小説を読まされているような「これじゃない感」で最後まで読めない人、あるは端折って最後だけ見ればいいや、の人もいるのではないでしょうか。最後は感動させる話だし、原則を崩して構わないと思うのですが、コメディを期待してラスト直前まで読み進めてきた人からすると、その2のとおり、分量もあって厳しい気がします。
    映画中の最初の中二病のシーンあたりでは淡々とした記述に徹しきれておらず、私も読んでいて
    「おい、コメディ・モンスター菅野氏よ。ここは劇中であって演出で笑わせにきちゃいけないのでは?」
    と突っ込んでました。菅野様自身も淡々とした表現でも読んでいる人を笑わせたいとは思ってませんでしたか?
    やっぱり、菅野様の才能は楽しい会話や地の文の表現なのに、映画の部分は才能を完全に殺してる。でも、その1でも書いたようにサブストーリーがメインを食うぐらい物語の構成の完成度が高いから、構成力に関する才能もあると思います。なんといいますか、菅野食堂ではカレーもおいしい、とんかつ定食もおいしい。でも、客は2食分を一度に食べるとお腹に厳しいので、カツカレーもメニューに加えてほしいって感じかな。現状の全裸元勇者ではカレーを食べさせたうえで、客に対して「とんかつ定食もおいしいので食べてみろ」って勧めてるみたいな感じで。まぁ、大食漢な私は大丈夫ですが。 

    改善策とするなら、一気に書いてしまうのではなくて、実際に映画を見ているときもそうですが、映画の途中で何度かモノローグを入れて「こんな恥ずかしい過去まで描いて、他の客と共に見せようなど、なんという羞恥プレイ。まったく恥ずかしいではないか。もっとも、著作権切れだし、昔はプライバシーなどガバガバだったから、やむを得ないのだが」などと、ハレヤにツッコませてテンポを維持する方法はあるかと思います。要するに38話の手紙を読むシーンに似た表現ですかね。ただ、現状では分量が多すぎて、ちょっと難しいでしょうか。


    というのが、構成上の感想です。
    また、一般論としては以下のようなことも感じました。

    ●流行りの話ではないよね。
    これ言うと元も子もないんだけど、食いつきが悪いのは仕方ないし、分かってやってますよね。
    最近のアニメを見ていても思いますが、例えばファンタジーって、現代の感覚を持って異世界を楽しむという話がほとんどで、VRMMO系や転生モノが多いですよね。ゲームの方が10代、20代の読者にはなじみがあって、とっつきやすいってのはあると思います。菅野様や私の作品は大多数の一般的感覚とすればなじみのないメニューを提供する食堂なので反応がイマイチなのは仕方がないのかと。でも、カレーがおいしくても飽きるもの。そこで、私たちは「おい、とんかつ定食もいけるぞ、食べてみろよ」って流行らせてみたいんだよね。「葬送のフリーレン」のようにゴリゴリのファンタジーにも重要があって、私の作品はそういう古典的なファンタジー好きが間違って食ってくれれば、ひょっとしたら……、と言う感じでしょうか。一方で菅野様の作品は、現代の感覚を持った等身大の主人公ってところではありますが、「こういうタイプの人が間違って食べそう…」ってのが想像しにくい。食べてみたらおいしいんだけど、最初の一口のハードルが、さえない私の作品よりさらに高いように思います。上昇気流を捕まえるかどうかは運。飛び上がって、飛び続けることができるかは実力ですよ。高く上がらないからと言って、決して全裸元勇者が面白くないわけではないです。

    ●登場人物が少ないと単調になる
    映画のシーンは別ですが、極端に言えばハレヤとロジオンの漫才のような物語だと感じます。
    場面変化や他の登場人物によるネタは提供されるのですが、そのネタをもとに基本的に二人で会話を回していると感じました。人間は多面的ですが、キャラクターって象徴的な特徴が割り振られるから、分かりやすいけど単調な存在です。それで二人だけとなると、ボケとツッコミなどの役割が固定化し、特徴も少ないですからイジり方も固定化する。結果、例えば胸のネタを必要以上に擦り続けちゃうことになります。この辺は少し前にしていたアニメの「このヒーラー、めんどくさい」を見ると分かっていただけるのかなと。面白いんだけど、同じ相手で同じネタをやりすぎって感じです。それを回避するには、話を回せる相手を増やすのが一般的ですかね。組合せが増えるので会話に幅が生まれますから。
    太古の昔、アイドルは一人で売ってました。ですが、今はグループが基本です。ユキちゃんがダメでもマキちゃんは好きになるかもしれません。つまり、敦子ちゃんは嫌いでもAKBは好きになってくれるように、パッと読んでハレヤとロジオンが合わないと止めちゃうだろうから、入口が狭い物語だと感じました。


    つらつらと書いてきましたが、ダメ出しをすれば作品は売れるのか? と言えばそうでもないと思います。
    以前、アニメ化された「ナイト&マジック」って作品の書籍買って読みましたが、構成はメチャクチャひどかった。冒頭から50ページ以上、設定の話がずっと続くんだよね。だけど、人気になったり、アニメ化する。実際読んでみると、そこそこ面白かったりもする。少々作りがひどくても、パワーのある作品は拾われていくんだと思いますよ。そういう意味で、私の作品にはそれだけの力がないのだとも思い知らされます。
    また、ネット作品って、きれいな作りだからいいとも限らないと思います。とがった作品はダメ出しすると、丸くなっちゃって、面白みが無くなってしまうのかもしれません。

    難しいですよね~(^^ゞ
  • 三原 耀様

    大変丁寧なご指摘ありがとうございます。

    私が自分で懸念点と思ってるポイントともいっぱい重なっていまして、
    こうして他者の目からその点を確認できるのは、とてもありがたいです。

    今回の場合だと、まずそもそも、映画本篇をまるまるぶっ込むのは、構成的にアクロバティックな無茶しすぎ問題ですね。

    これは作中のコメントへの返信でもちょくちょく言及してたのですが、
    あれ明らかにやり過ぎなんですよね。
    どうみても作者の我が儘なんです。
    やるならダイジェストで事足りる。

    そこを本篇まるまるなので、この辺りがどれくらいの割合の方が受け入れてくれるかは、もっとも自信がない部分でした。

    この点はやはりカクヨム以外の場でも。

    「映画パート長過ぎやりすぎ」という意見と、「これで完成された形」という意見の肯定・否定が真っ二つに分かれるところなんですよね。

    三原様のご意見で改めて確認できて、ありがたいです。



    コメディを期待して読み進めてくれた方を裏切る形になってるのも、その通りだと思います。

    この点については映画パートというより〝リアル〟以降の章に言えることですね。
    そこからシリアスが九割になるので。

    〝リアル〟章のシリアスへの転調で十分に感情移入させられずに、次ぎの映画パートへ期待感を繋げなかったら、もうそれ以降は楽しんで頂くのは難しいだろうなとは覚悟している部分です。



    映画序盤のコメディ部分は単純に、戦乱によって失われる二人の幸福を描いておかなきゃいけないという、構成上の理由ですね。

    失われる日常は、二人にとってかけがえのない楽しい物事であればあるほど、後に二人が世界から戦乱をなくそうとする動機が強調されるので、ああいう形になっております。


    改善策の要点は『コメディ的なノリを完全に失わせずにバランスをとる』と解釈しました。

    すごく大きなヒントなりそうです。ありがとうございます。



    >流行りの話ではないよね。

    そこもありますが、この作品はワンフレーズで面白さを表現するのが難しいストーリーだと思ってます。

    面白さの大半がパッとタイトルやキャッチフレーズだけでわかる部分ではなく、人間ドラマという読まなきゃわからない所に依存してるので、その時点でキャッチーさという点で大きく劣ってるんですよね。

    小説というのは読まなくてもわかる面白さがなきゃいけないと思ってます。
    が、この作品はそれが乏しい、あるいはあったとしても、私にそれをアピールする能力が不足しているということです。

    タイトルやキャッチ、未だにこれでいいのかと悩まない日がないくらいw



    >登場人物が少ないと単調になる


    これは名前ありのキャラを4人以上だしたくない病の弊害ですね。
    他人の小説読んでると、いつもキャラの名前覚えられないんです。
    3人までしか覚えられないw

    なので自分の書く作品も名前ありのキャラは3人までと決めてたりします。
    でもそれで単調さを感じさせちゃったらダメですよね。精進しなくては。

    胸ネタに関しても、自分では全部が全部ギャグネタのつもりではなく、
    理想と現実の象徴や、純愛の象徴として描いてたつもりではあるんですが、読み手の方からみれば、しつこく見えちゃうってことですもんね。

    こういう部分もやはり他人の目からご指摘頂けると、改めて気づけて有り難いです。



    >ナイツ&マジック

    めちゃくちゃ好きな作品です!
    小学生のころから小説版ガンダム読んでたようなロボオタの私には、特効なジャンルです。

    原作は触れてないんですが、dストアアニメで配信されたときに、1話につき20コメント以上、ほぼ1分に1回してた気がするくらいハマりましたw

    架空の兵器であるロボについて、延々と語りたがるようなオタにはあれ以上の作品ないですね。



    >偉そうなこと言って、ごめんなさい!

    いえいえ。

    書き手ってみんなそうですけど、自分が好きで書いた作品は、自分にとって世界一面白いものになっちゃって、絶対に客観的煮は見られないので、他人の視点からご意見をくださるだけで、何よりもありがたい栄養になります。

    私も批評企画では人様の作品に偉そうにああだこうだ言ってますけど、
    自分の作品の欠点については、見えてないところだらけですし、自分の言ったことの7,8割りくらいはブーメランで返ってきます。

    そういうものだと思ってます。
    書き手本人じゃ自分の作品の粗って、全部は見えないんですからね。

    だからこそ、互いに他人の目で批評し合って、ブーメラン投げ合うことに価値があると思ってます。

    他人の目、で見てご意見くださるだけで、ありがたいです。
  • 企画シラナイケド、オモシロソウダカラ書ク!
    自分は棚に上げるで良いんだよね!?
    お前が言うなとかナシだよ?

    では。
    ストーリーとしては起承転結綺麗にまとまっていると思います。
    話はとても面白い。これは前提。
    ただ、小説という意味ではどうかなというと、文章がたまに違和感がありました。
    基本的にはカメラはロジオン視点で、心の声もかなり細かく書くという極めて一人称みたいな書き方なのに、「ロジオンは」となるのはちょっとぎょっとするところがあります。いっそ一人称で良くない?
    と正直思いました。
    三人称にしたいなら、内面を多少書きつつも、その表情や動作でその気持ちを表すのを主とした方がいいのかなと思います。

    あと、投稿サイトに投稿するだけなら何も言わないのですが、賞に応募するという点では「誰をターゲットにする?」は結構明確にして、それに向けた方がいいのかなと思います。
    ほらたとえば昨今のテンプレなろうだと、じゃkus……ゲフンゲフン。
    で、何でターゲットかと言うと、受賞するとそれは売り物になるからです。
    ただ良いだけでは売れないのです。この商品やサービスにお金を払ってくれる人はどんな人か、そんな人たちに伝わるように、受賞させた会社は宣伝もしたりするのです。
    そういう意味で言うと、この話は極めてターゲットが難しいなと思います。菅野さんが書かれている通り、ヒロインの属性が独特。主人公もクセありすぎ。
    漫画だったらワンチャンありそうだけど、コミカライズの賞も今はなろうばっかり…。
    といっても、この話はだから良いのだろうし、とりあえず打ち消すほど文章をうまくすればいいんじゃないかなーと思いました。

    以上!
    企画知らないけど書いたよ!
  • 仁嶋サワコ(ニトウ)様

    丁寧なご批評ありがとうございます。

    書き手同士の批評は、お互いが棚の上からブーメランを投げ合って、それが自分たちの後頭部に戻ってきて突き刺さるという、自傷作業だと思ってます。

    くり返しになりますが、書き手は自分の書いたものを完全に客観的には見えないので、他人の視点から見て貰えるだけでありがたいので。
    なので、その辺は遠慮なさらないでくださいませ。

    文章に関しては、私が読んできたものの影響が強くでちゃう部分ですね。

    村上龍(芥川賞の選考委員などをやってた作家)が好きで、子どもの頃から読んでたんですけど、1人称と3人称をシームレスに混ぜた文体が、氏の3作目のコインロッカーベイビーズから使われるようになってるんですが。

    ご指摘いただいたところは、もろにその影響がでてるところです。
    他の方にも同様のご指摘をいただきました。

    ウェブ小説やライトノベルだと、ほとんどない形式の文体なので、違和感を感じちゃう方が多いみたいですね。

    なのでスタンダードな三人称に寄せる改稿を行った部分です。

    文章の感じ方はとくに、個々人がどんな作品を読んできたかで、個人差が出やすい部分なので、方言なんかと同じで、自分では違和感に気づけないんですよね。

    なので他者からのご意見はありがたいです。
    ご指摘ありがとうございます。



    >ターゲット

    ラブコメならヒロインの造形なんかはとくにそうですね。
    象徴的な部分です。
    絶対にターゲットを意識したキャラにしなきゃいけない。

    この作品はそこを最初に踏み外してます。
    ピンヒロインなのに万人受けとは言いがたいキャラです。
    本来ならハーレムものの、ハーレム要員その4に据えるくらいでちょうど良い。

    この点については作中でも半メタな台詞が実は用意してあったりします。

    じゃあ、なぜそんなことしてるんだと言われれば、ハレヤというキャラクターを使ったラブコメを描きたくて、書き始めた作品だからですね。

    もともとハレヤは別作品のラスボスとして登場させてたキャラクターだったのですが。
    「あー、こいつが幸せになった姿を見てみてぇ」というのが始まりでした。

    とりあえずそれを形に出来て、こうして皆様の目に触れさせることもできて、満足しているところではあります。

    なので、仰るようにより多くの人々に受け容れられる属性に書き換えるなどの別パターンも、実は既にいろいろ考えてます。


    以上。

    他人からみてどう見えるか、と気になってた点を確認できて嬉しいです。
    こういうご意見はやはり出来るだけ多くの目から見た感想が欲しいので、一人でも意見を下さる方が増えるとありがたいですね。

    ほんとありがとうございます。
  • 菅野さん

    村上龍は何作か読んだことありますね。話のドラマチックさが好きでした。
    カンブリアも好きです。
    私自身は若き日は宮部みゆきとか篠田節子とか浅田次郎とか藤沢周平とか読みふけってましたね。あとは国内外のミステリーやらなんやらをそれとなく。

    というのはともかく、この手法って、結構成立するための技巧や条件が細かい書き方なのかもしれませんね。
    というのは、村上龍を読んでいて気にしたことはないからです。現代物が多いからなのかな。
    ファンタジーで尚且つロジオンという若いDカップ叫びまくる男の子視点だからか、全体的に語りが軽くなります。だから、地の文とのバランスが難しいのかも知れませんね。

    ぶっちゃけ私は誰に何言われても好き勝手に書く作品と、限りなく寄せる作品(ここには出してませんが)を分けることでジレンマを解消している所はあります(笑)

    菅野さんも、上手い落とし所が見つかった上での素敵な作品が見つかりますように!
  • 仁嶋サワコ(ニトウ)様

    なるほど。村上龍の作品をお読みになったことがあったんですね。

    私は例えばコンロッカーベイビーズでも、ご指摘いただいたポイントと同じものが、わりと記憶に残ってるんですよね。

    パッと思い出せるところでも、ラストシーンのハシが廃墟になった街を彷徨うところが顕著に感じます。
    犬の口を引き裂くところなんかが特にですね。

    こういうのずっと何十回もくり返し読んでたので、ああこれで良いのか的な感覚になったのかなと、ふと思った春の夜更けです。



    >ジレンマ

    そういえば『ありふれた物語』が他のサイトで好評というのを以前にそちらのノートで拝見しましたが。

    ジレンマ解消という言う意味では、ニトウさんにとって最高の幸せになりそうですね。
  • 菅野様

    >〝リアル〟章のシリアスへの転調で十分に感情移入させられずに、次ぎの映画パートへ期待感を繋げなかったら、もうそれ以降は楽しんで頂くのは難しいだろうなとは覚悟している部分です。

    リアル章の前までで十分楽しい時間を過ごしているので、私は感情移入という部分では十分でした。ただ、ラスト近くは畳みかけるように持っていければ良いのでしょうが、やっぱり、映画部分は文章と長さもあって、ちょっと冷める感じがありましたかねー。


    >めちゃくちゃ好きな作品です!
    菅野様に、そんなツボがあったとはwww
    察するに、あの主人公と同等ぐらいの変態っぷりですな。
    そりゃ、冒頭50ページ以上設定を書いていてもついてこられる読者がいるはずだわw


    ※仁嶋サワコ(ニトウ)様の議論についても
    >ターゲット
    ほー。みなさん、ターゲットも深く考えてるですねー。
    私は感情移入する主人公が基準なんだと思てるので(ってか、そのぐらいしか考えもつきませんでした。バカ>私)、新人賞に応募したこともありますが、受賞している自分なんかも想像できてなかったなー(再びバカ>私)。
    ハレヤがボケ担当、ロジオンがツッコミ担当(常識的存在)と考えていて、ロジオンはクセはあるけど違和感はなかったのですが…、世間的にはダメなのか?(再々バカ>私)
  • 三原 耀様

    まさにその辺の読者のリアクションは気になってるポイントでした。
    なのでシンプルに『長くて醒めた』と感想を述べていただけて、すごくありがたいです。


    >ロボオタ

    小説を読むようになった切っ掛け自体が、小説版ガンダムという野郎なので、筋金入りですよw

    ナイツ&マジックの主人公は見た瞬間「あ、これ俺の分身だ!」って思うくらい台詞一つ一つが共感しかなかった。

    カクヨムでもいくつかロボものを読んでますが、どの作品でもやっぱりコメントでロボ設定について、勝手にいろいろ考察をぶちまけて、早口オタ語りをぶっ放してます。

    じゃあなんで自分でロボ物書かないのかと、不思議かも知れませんが、
    ここでは発表してませんが、ロボものも既に存在してたりします。
    その作品のラスボスがハレヤだったり。

    こちらのロボ作品もウェブ小説向けに最低限は加工して、連載しようかと考えてはいます。


    >ロジオンはクセはあるけど違和感はなかった

    キャラまわりの感想も、やはり個人差がすごくでる部分で興味深いんですよね。

    このような批評の場でありがたいのは、同じ論点について、多様な感想・意見を得られるところです。

    こういう何気ない、好き、嫌い、みたいなシンプルなリアクションを見比べられるのがほんとありがたい。
  • こんにちは。

    批評をあえてウェルカムする姿勢、頭が下がります。
    昨日、この近況ノートを拝読して、丸一日、書き込みをしようか、どうしようか、迷いました。
    私は小心者。心臓が小リス並です。もし私が同じような事をやったら批評でトドメをさされ心臓から血を流し昇天します。きゅう。
    でも菅野事案さまは、ウェルカム! ウェルカム! と待っていらっしゃるようでしたので、ささやかながら、私見を述べさせていただきます。

    御作は、ぱっと思い返した時に、アラがありません。

    ・映画パートが長い→作者の思いがつまってるんだから、書きたいだけ書いたら良いじゃん!
    荒削りでも熱い情熱が詰まってる、それが、編集者のいない作品を読む読者の、読書の醍醐味ではないでしょうか?
    ただ一点、あげるとすれば。
    クライマックスの映画シーンで、アニメだったら、ブーラコが演じるゾーフィアが、現実のハレヤの姿に重なり、これは実際にハレヤに過去起こったこと……、とわかるのですが、
    「ハレヤは客席にいて映画を客観的に見てるのか」
    「ハレヤは完全に映画のなかのゾーフィアとなって戦っているのか」
    頭のなかのイメージ映像を固定するのに、少し時間がかかりました。
    解決策として、
    『「───あれは、わたしだ。オークの主人公が演じてはいるが、あれはわたし自身、わたしの過去そのものだ。」
     映画に見入るうち……。
     ハレヤの視界のなかで、いつの間にか、オーク少女の姿は、千年前の自分の姿に置き換わる……。』
    という導入があると、読者も「OK!」とわかりやすいかと思います。(もし、すでにそういう表現があって、私が見落としていたのなら、申し訳ありません)

    ・ロジオンがGカップを連呼→連呼したいだけすれば良いじゃん!彼の信仰、オタクの絶対領域。
    私は女性なので、読めない下ネタと読める下ネタとありますが、ロジオンの連呼は読めます。

    ・ハレヤがヒロインとして弱い→何を持って弱いというのでしょう? 男性読者が───男性むけの作品で超絶美女に疑似恋愛をするように、ヒロインがグラビアアイドルばりの美女でないと、読む気がしねえよ!───というのでしたら、たしかに弱いのでしょう。
    しかし、ハレヤはこれで良いのです。
    顔が良いから。
    裸見ちゃったから。
    幼女が好きだから。
    そういった理由で、ロジオンはハレヤに惹かれるわけではないからです。
    むしろ、冒頭、幼女の容姿に「♡」だったら、私は引いてしまう女性読者なので、読めなかったと思います。
    ハレヤは救いを必要としているキャラです。
    ロジオンだけが、それを理解し、彼女を救うことができます。
    はじめは、恋愛感情ではありません。一目惚れでもありません。でも、一緒に暮らし、心がふれあい、彼女のことをゆっくり知っていくごとに、想いが深まってゆくのです。
    最後には、ヒーローは、救いを求めるヒロインを、救う事ができます。
    御作の核は人間ドラマ。
    ハレヤは魅力ある、立派なヒロインです。

    ・私がレビューで、女性読者むけに、「ヒロインの自意識がババア・幼女で男性から需要はない、なので、それに抵抗なく読める女性読者ならば」というような事を書かせていただきましたが、これは本当に女性読者むけの言葉でして、
    (もし私が作品を書くなら、「私に恋愛などする資格はない。」だけでゴリ押しし、ババアで幼女、はハレヤに口に出させませんが。)
    では、変えるべきと提言するかというと、しません!
    ババアで幼女、が、ハレヤのギャグパートで重要な部分だからです。ハレヤのキャラを形作る一部分ですので、削る必要はありません。
    (……どうでも良いことですが、今、ババアを連呼して私が精神的にダメージをくらい、疲れました。ババアという言葉も個人的にあまり好きではないのです。)

    そして、他の方の意見を拝読して。ええ……、ハッピーエンドタグがない時、途中で最終回にとんで、また引き返して読むの……。それはやめてよ……、と、読者の方に言いたいです。本当に。お願い……。(´;ω;`)

    つまり、御作は、あまりアラがないので、そんなに批評するところがないです。
  • 加須 千花様

    その節はほんとうに、申し訳ありませんでした。

    釈明といいますか、なぜあのような表現を多用したかというと。
    男性向けラブコメとして書いた作品なので、女性読者をまったくターゲットとして想定していなかったからなんですね。

    重ねて申し訳ないです。
    実はあのあと、申し訳なさ過ぎて、当該表現をこっそりかなり削ったのは内緒です。


    >映画パートが長い

    そう言って頂けるとありがたいですね。
    加須様の感覚としては、ダレなどは感じなかったと解釈してよろしいでしょうか?


    >頭のなかのイメージ映像を固定するのに時間かかる。

    なるほど。
    このあたりも作者からだと塩梅がわかりにくい部分だったので、ご指摘いただいてほんとありがたいです。

    このあたりを補強したほうが良さそうですね。
    具体的な改善案も参考になります。
    ありがとうございます。



    >ロジオンがGカップを連呼

    ここを肯定する意見が聞けるとは想定してませんでしたw

    私としては、理想と現実の暗喩として書いてたつもりでしたが、あまり上手く伝わってないことが判りましたので、この点はもっと判りやすくしたいと考えてます。


    >ハレヤがヒロインとして弱い

    この点は作品を全編通して見るか、ラブコメの肝になる出会いのシーン、つまり冒頭だけで見るかで変わってくる部分ですね。

    おっしゃる通り、作品すべてを通して読んで頂けた方には、ハレヤが魅力的ではないという感想は、ほぼないと思います。

    一方でじゃあ、冒頭だけでハレヤが判りやすい魅力を読者に訴求できるか。というと、これは私も肯定しづらいんですよね。

    というのも、いわゆる『ロリババア』属性を冒頭ではいかしきれてないんです。

    そして、この属性は人を選んでしまうというデメリットを合わせもってます。

    人を選ぶ属性でも、多くの人に魅力的に見えるエピソードがあればいいんですが、この属性が活きてくるのは、例えば、中盤のオシャレをがんばるようなエピソードですね。

    冒頭ではどうかといえば、特にこれが活きてくるくだりがなくて、属性の魅力をアピールできていません。

    なので冒頭だけ考えると、読者を選ぶ、というデメリットだけが残ってしまっていると考えています。

    そしてラブコメというのは、当たり前ですが、ヒロインの魅力が掴みのすべてと言ってもいいジャンルです。

    中盤まで読めば魅力がわかる、ではダメなジャンルです。

    登場シーンで魅力を十分にアピールできているとは言いがたいと
    結果的にハレヤがラブコメヒロインとして弱い印象になってしまってるという、意見がでてくると考えます。

    そういう意味ではキャラが弱いというより、それを魅せるエピソードを冒頭でちゃんと作れてなかったと言った方が正確かもしれません。



    >ハッピーエンドタグ

    私もカクヨムに参加してすぐのころ、他の方の作品を読んでてて、

    「なんでみんな、結末がわかっちゃうようなタグつけてるだろ?」

    と不思議だったんですよね。
    『ハッピーエンド保証』と、あらすじに書いてあるものも見かけます。

    でも、自分で投稿してみて思い知りました。
    ああ、やっぱりこれ付けたほうがみんな幸せなんだって。



    これまで出た論点に、別の角度からご意見をいただけて大変参考になります。

    勇気を出して??書き込んでくださって、感謝でございます。
    ありがとうございます。

    基本、私は叩かれても栄養になったと喜ぶタイプなので、遠慮一切いりませんw
  • 菅野さん

    まあ、他サイトは新興サイトでごく数名が気に入ったらそこそこ順位が上がるのですよね^^;
    たまたまアクション頂いたから試しに登録してみたのですが。
    私は自分の好きな作品がメジャーじゃないことも多いことから、人気にならないことについてはある意味達観してます。
    媚びるのは他の作品に任せて、Commonは誰にも媚びない&好きな人が何人かコメントでも書いてくれれば大成功という感覚で書いてるので、順位が上がるのは、今頑張って書いてるめちゃくちゃ狙った作品のが嬉しいかもですね(笑)


    そして、菅野さんは他レスしても怒らないだろうという期待をこめて☆

    三原 耀さん
    ターゲットを設定するかどうか。
    ぶっちゃけ趣味なら必要ないと思います。拙作もターゲット自分!ですし。
    ただ、今回は応募作品で、受賞(売り物)を目指すなら、マーケティング、ターゲット層は明確にしないと、賞を与える側(売る側)も困っちゃうかなと。
    面白ければジャンルは何でもいい賞とか、何かの記念とかの作品を売らない賞もあるので、それはまた違うと思うのですが、なにぶん私も公募は素人だからなんともです。
  • 菅野事案様

    返信ありがとうございました。

    映画パート、あそこは見せ場なので、あのままで良いと思います。

    Gカップ、「あのあと、申し訳なさ過ぎて、当該表現をこっそりかなり削ったのは内緒です。」
    おや、そうだったのですか!
    それは必要なかったですよ……。あのままで良いのに(笑)
    Gカップ連呼→ハレヤさんドン引き、しまいには
    ハレヤ「ヤスリで削ってやる!」
    ロジオン「きゃー!!」
    が面白いので(笑)

    男性むけ、わかります。だってタイトルが男性むけですから。
    普通に、これからも、男性読者を意識、でかまわないと思いますよ。
    カクヨムって男性向け異世界ファンタジーのほうが窓口が広い、つまり読者の数が多いイメージなので。

    冒頭だけでハレヤさんの魅力をアピール。
    うう〜〜〜ん……。
    このままで良いと私は思います。
    今のまま、ハレヤさんの語る「罪」「呪い」とは何か、で、物語をひっぱる方針で良いと思いますよ。

    菅野事案さまのハッピーエンドタグ考察を聞けて、大変参考になりました。
  • ニトウさん

    『ありふれた物語』みたいなフリーダムな作品を書く方が、流行に寄せた作品というのは是非、見たくなっちゃいますよね。

    そういえば前にそちらのノートでタイトルをネタで仰ってましたよね。

    『異世界に転生したら追放ざまぁされる悪役令嬢だったけど、外れスキルが強すぎて、ダンジョン配信の無自覚無双で大バズリしたせいで、氷属性王子に溺愛されて困ってます』

    でしたっけ(たぶん絶対違う)

    これ書いて貰うしかないかなww

  • 加須 千花様


    >映画パート

    なるほど。
    やはりここも読者によって感想がわかれるポイントなんですね。
    参考になります。ご意見、ありがとうございます。



    >冒頭だけでハレヤさんの魅力をアピール。

    また参考になるご意見、ありがとうございます。
    同じ論点に対して、いろいろな意見を聞けるのは、ほんと助かります。

    そうですね。
    罪と呪いという要素に読者が注目してくれてる間に、ハレヤの魅力も徐々に感じてもらえる、というのが私の理想ではあります。

    一方で、じゃあ一般的にラブコメを求める読者層が期待するものというと、やはりヒロインそのものの、パッと読んでわかりやすい可愛いさ、魅力が見えるエピソード、だと思っています。

    導入の間口としても、その角度のほうが「罪と呪い」というパッと見で面白さが分かりにくい要素よりも広くとれるかなとも。

    現在の冒頭の形も悪くないけど、もう少し間口を広げることもできるのではないか、という感じですね。

    この辺りはいくつか冒頭の改稿案を作成してみて、見比べてみようかと考えています。
  • 菅野事案さま

    改稿案ですか……。ここまで書けているのに、やっちゃうんですか……。そうですか……。
    なら、ささやかなアドバイスがございます。

    ロリの全裸ホームレス、というショッキングさをもっと全面に出す。
    しかし、エロ路線にいくのではないので、そこを読者にわからせつつ、小さじ三分の一の塩梅で、ときめきを冒頭に加える。

    なぜか? ときめきがロジオンに少ないからです。

    いつもの帰り道に、なんと全裸(以下略)を見た、いきなりまとわりつかれて、主人公は「仕方なく」その女子を家にお持ち帰りした。

    こう書くと、トキメキ(というかやりすぎエロス)な雰囲気がプンプンするのに、ロジオンは、好青年すぎて、まるでフィギュアでも見たかのようです。家につれて帰ったきたのも、子犬を拾ってきたかのようです。

    なので、男性読者にとって、せっかくの全裸(以下略)のインパクトが肩透かしなのです。

    でも、ロジオンは良い人で、けしてスケベ路線にはいかないので、そのあとの人間ドラマにスムーズにつながっていくのですが……。

    ロジオンもハレヤさんも、性格が良い人すぎるのです。(ハレヤさんは罪に苦しんでいますが、それを差し引いても)
    ハレヤさんはヒロインなので、今の性格づけで良いと思います。
    ロジオンさんも今のままでも私は良いと思いますが、……高潔な人柄の主人公が描きたいのだとお見受けします……もう少し、一般男性にロジオンの視点を「引き下ろし」ましょう。

    現実の東京の二流大学生ぐらいで。バイトがうまくいかなかったりして、「今日はビールのんでうさばらしするぞぉぉ」なんて情けないところもあって。
    「いいや金がないからぁ。来月ゾーフィアのフリ向き腰くねバージョン限定フィギュアでるしぃ。コンビニでお菓子買おう。」
    と、とことこ歩いていて、もし……、もし……、全裸女子を現実で見ちゃったら。
    「●△□✿✕✕Ω?!!!」
    と驚き、いろいろ観察しちゃうと思います。
    恐れず、彼女の身体を観察した描写をもっと書きましょう。
    全裸(以下略)を選んだ以上、恥ずかしがらず、もっと踏み込むべきです。
    (そして女性読者が離れることも恐れないことです)
    そして観察した上で、
    (はっ、俺は何を。俺はゾーフィア一筋。生でいろいろ女性の神秘を見ようともゾーフィア愛が揺らぐことはないッ! しっかりしろロジオン!!)
    と心のなかで葛藤したら、ギャグも満たし、エロスに振り切れず、良いのではないでしょうか。

    裸を見られようとも、なんとも思わないハレヤさんですが、しばらくたってから、我に返り、
    「はっ、エッチ! きゃー」というお約束が欲しいところです。
    ハレヤさんは露出狂ではないのです。
    公園に落ちていた雑誌が、たまたま女性が「きゃーエッチ!」と言っているシーンで、ハレヤさんが、(これが女性の嗜みなのか!)と、口に出してみた、というシチュエーションはどうでしょうか。

    やりすぎると、ロジオンさんの高潔さが死ぬので、塩梅をうまくやる必要があります。さじ加減が地獄だと思います。

    「いくつか冒頭の改稿案を作成」とのお言葉を聴かなければ、とくにしなかったアドバイスです。

    私は、今のままの冒頭でも、良いと思っていますよ。

    長文失礼しました。
  • こんにちは、お久しぶりです。

    本記事の表題と関係のない事で恐縮ですが、『全裸ホームレス~』に寄せて頂きました私のレビューへのお礼と、私の作品を近況ノートで紹介されている記事を今更ながら拝読致しました。フォロワー様の諸々の更新通知をオフに設定していたようで、気付くのが遅れてしまい申し訳ありません。

    どちらも菅野事案様からのコメントが添えられており、感謝すると同時にこれからも励んでいかなくてはと、気持ちを新たにする快いきっかけとなりました。
    私の作品にレビューを頂いた時にも述べましたが、この場を借りて改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

    菅野事案様の『全裸ホームレス~』に関しましても、日に日に寄せられるコメント数、星の数、レビュー等が増えており、いち読者として喜ばしい限りです。
    批評が苦手なので私から意見を述べる事は控えますが、本記事で交わされる意見を見守る事だけ許して頂けたら幸いです。

    長文失礼致しました。
    菅野事案様の今後のさらなる飛躍を応援しています。
  • 加須 千花様

    まだ案を作成して、自分で見比べてみようという段階なので、実行するかどうかはまだ分かりません、が。

    具体的なアイディアをありがとうございます。
    こういうの頂くとイメージが沸いてきて助かります。


    >肩透かし

    その印象はだいぶありそうですね。

    高潔さというより、単純にロジオンが相手を異性と見れる年齢(肉体の)射程圏外であることを、理解してもらうために書いていた部分ではあるのですが。

    確かにこれはインパクトを活かしきれてない。
    この点は他の方からも指摘された部分でもあるので、とても納得です。


    >ロジオンとハレヤのリアクションでインパクトをちゃんと描く

    リアクションを大きく描くことで、キャラの性質も把握しやすくなりそうですね。

    ここすごく活かしやすそうです。
    二人の具体的なリアクションの例もだしてくださったおかげで、イメージが膨らみます。

    ありがとうございます。



    >さじ加減

    これはほんと難しいですね。
    とくに読者がもってる情報量がゼロの冒頭なので、ほんの少しの加減で印象が大きく動いてしまう。

    最新の注意を払って取り組みたいと思います。
    ありがとうございます。
  • だいこん様

    こんばんは! お越し下さりありがとうございます。

    もろもろ気にしないでください。
    近況ノートの紹介などは、私が好き勝手にやってることでしかないので。


    批評といっても大げさな物ではなく、「ここが退屈さを感じた」とか「ここは意味わからんかった」

    みたいな、読者の目によるストレートな感想、を頂けるだけでありがたいって感じでございます。

    特に私が気になってた部分で、上のほうでも話題になってますが、

    映画パートで、作品のジャンル自体が変化してしまうことによる、違和感がないか。悪印象を与えてないかどうか。とか。
    それ自体の尺の長さが悪印象を与えてないかどうか。

    みたいな部分を皆様からご意見いただいて、大変参考になっていたところです。

    ほんと有り難いことです。
  • 菅野事案さま

    またまた書き込みしてしまいます。
    やっぱり、自分で言っておきながら、ロジオンは冒頭、ときめかない方が良いのかも、という気がしてきました。
    なぜなら、ラストまで行ってから、また冒頭を読み返すと、感動的だからです。
    この感動的を損ないたくないなあ。

    冒頭、全裸(以下略)をしげしげ観察しつつ、「……だが射程圏外であるッ!」(顔はデューク東郷)といちいちロジオンが注釈を心のなかで入れてる、ぐらいの塩梅が良さそうです。
  • 加須 千花様

    なるほど。
    確かに読み返したくなる方もいるでしょうから、そのへんも考慮しないとですね。

    何から何までアドバイスくださり、頭があがらないです。


    「射程圏外である」ですねw
    そのくらいのノリでやってみるのも良さそうです。

    ありがとうございます。
  • こんにちは。先日のコメントに対する返信、ありがとうございます。

    手隙の時間が出来ましたので内容を思い出す事も兼ねて、本編第22話までを読み返しました。批評と呼べるほど洗練されたものではございませんが、以前読んだ時にも感じた感想が思い浮かんだので一応意見としてまとめてみました。

    私と同じ感想を抱いている方を見かけなかった(作品のコメント欄や本記事のコメントを拝見致しました)ので、おそらく少数派の意見です。菅野事案様のお力になれるかどうかはあまり自信がありません。
    話半分に目を通して頂けたら幸いです。以下、感想になります。


    本記事のコメント欄でも触れられていましたが、胸に関する話題……というか、ロジオンのゾーフィア(ハレヤではなく、作中で一般的に知られているゾーフィアの方です)に対する想いについてです。それからゾーフィアの造形についても、後ほど少しだけ。

    ロジオンがゾーフィアを好きである、ゾーフィアのオタクであるというキャラクターが序盤から描写されていますが、私はそのあたりの印象を薄く感じました。
    具体的に言うとGカップの胸の話の主張が強すぎて、「彼が本当に好きなのはゾーフィアではなく、どちらかと言えばGカップの胸の方なのでは」と、ある意味穿った見方、受け取り方が勝ってしまったからです。

    容姿の一部分をピックアップするのはキャラクターの魅力を伝える上で分かりやすいですし、手法のひとつとしても理解ができます。ただやはり頻度が多い気がしましたし、胸だけを描写するのは僭越ながらもったいないと感じました。

    菅野事案様が思うゾーフィアの顔立ちは、どのような印象でしょうか。

    髪の毛はどれくらいの長さで、質感は絹のように滑らかなのか、あるいは風を含んでなびくほど軽やかなのか。大きな戦いを経験していれば、瞳に宿る色は不安と決意をないまぜに湛えたものになるでしょうか。あるいは恐怖すらも飼いならし、勇ましさへと昇華しているのかもしれません。

    第19話では、歴史の裏に隠されたゾーフィアの姿の一端が垣間見えます。
    目も当てられないほど凄惨な情景が描かれ、彼女もまた血と現実の前にくじけそうになっていた心情が明らかになりました。ゾーフィアもまた醜く汚いモノをまき散らしていたシーンは、今読み直しても強烈に印象に残ります。

    だからこそこの場面を迎える前に、ゾーフィアの胸以外に関する外見描写が欲しかったと思ってしまいました。

    安いブラウスが汚されてもまあ最悪買い替えればいいかで済みますが、オートクチュールのドレスがズタズタに引き裂かれてマスタード漬けにされたら、後者の方が明らかにショックは大きいです。綺麗な物が綺麗だった物に変じる瞬間の絶望感を、私はここで味わいたかったです。

    この後に待っているのは真実の一端に酔いしれるスポンサーの、歓喜に打ち震えた絶叫なので。


    相変わらずの長文になってしまいましたが、感想は以上になります。
    あらかじめお伝えしていた通り、批評的な意見を書くのは苦手です。書いていて何度も自問自答を繰り返しましたし、日々意見交換している方々からすれば的外れも甚だしいのではと不安になります。

    菅野事案様の一助になれば幸いです。ご覧頂きありがとうございました。
  • 菅野さん

    マジな話すると成人女性向け(R18じゃないよ! テーマ的に男性より女性が好むかなというだけだよ!)の一般文芸です。
    とある方にこういう作品好きな編集者はいると言われ、ブラッシュアップ中ですが、いつか落ちたらアップしますww
    個人的には溺愛という籠の鳥扱いが嫌いなので、だったら知らない内に俺TSUEEEでハーレムも形成しちゃうえっろえろが書きたいかなぁ!!
    と、ただの雑談というか放言失礼しました。
  • だいこん様

    ありがとうございます!
    こういう読者の目からのストレートな感想は、ほんとありがたいんです。

    なので的外れという概念はありません。
    読んで感じていただいたことは、事実なんですからね。

    くり返し書いてることですが、自分の作品の粗は自分では見えないので、こればっかりは読んでくれた方に頼るしかありません。

    そういう意味でストレートな感想ほど栄養になるものはありません。


    >Gカップ

    やっぱりそうなっちゃいますよね。
    このへんは主人公への解釈違いが発生しないように、演出を改善する必要があると感じます。

    問題点を改めて確認できました。ありがとうございます。



    >外見描写

    かなり少ないですよね。
    描写の濃さをどれくらいにするか、っていうのは、いつも悩むポイントなんですけど、今回はかなり薄味でやっちゃってました。

    こうして指摘されてみると演出として、綺麗なものを汚す、ということをするにも、確かにおっしゃる通りに、外見描写をきっちりしておいたほうが、印象がもっと強くなると思います。

    大変参考になりました。ありがとうございます。

    それにしても、だいこん様が例にだしていただいた↓

    『髪の毛はどれくらいの長さで、質感は絹のように滑らかなのか、あるいは風を含んでなびくほど軽やかなのか。大きな戦いを経験していれば、瞳に宿る色は不安と決意をないまぜに湛えたものになるでしょうか。あるいは恐怖すらも飼いならし、勇ましさへと昇華しているのかもしれません』

    これがもうなんか、かっこよくて困っちゃう。
    こういうの書けるセンスが私も欲しいです。
  • ニトウさん

    『成人女性向け』という字面が目に入った瞬間、ニトウさんだからR18なんだろうなと、思いそうになったら、そんなことなかった注釈がちゃんとついてたぜ。

    どんなお話しなのか気になっちゃいましたね。
    その作品を受賞作として読める日がくることをお祈りいたします。


    溺愛系はお嫌いで、ハーレム俺つええですか。
    いっそのこと、『ありふれた物語』の閑話回に夢オチ小話でユウくんにそれやらせてほしいかもw
  • 再度お邪魔しますm(_ _)m

    タイトル等の件、なるほどな~と参考になりました。

    そして多分趣旨とは違ってるんだろうけど皆さんの色んな読み方を見れて凄く勉強になりました。
    ありがとうございます。

    単純な感想だけでも同じ文章読んだ人同士でこんだけ違うんだなぁと。
    ならばかっこつけずに恥は書き捨てと発起して感想だけでも書き捨てていこうかと思います。
    (ダメなら削除願います、早速カッコつけたコメントでごめんなさい)

    最初に引き込まれたのが十五秒で脅迫してきたヒロイン候補が意外とアッサリと引き下がったところですかね、「あ〜メンドクサイ系のヒロインに付き合うストーリー?しんど…」とか思ってたところにカウンターヒットですよ。
    読んでくうちに過去やら呪いやらで疲れ切っていたヒロインの割りかし重めの経緯を読ませる準備ができちゃってたんですね〜。
    ライトな雰囲気でヘビーなエピソードに少しずつ引き込んでくのは正直やられました。

    んで、タイトル通りに映画を作る事になるんですが作り手の葛藤に対するカク人の共感もさておきながら、私自身は直撃したアニメ版と映画版の「ノゲノラ」を彷彿とさせてもらい、纏めて両方味わえると言う大変お得に感じつつも美味しく頂きました、カロリー高目でしたけど好きだなぁ。
    設定厨なので「コレくらいのバックボーンがあったんやで」ってのは嬉しい限りですね。

    ストーリーに深く関わる設定とか“ヲタクが高い声で立板に水で説明したがる”様な描写とか個人的に大好物なんで。

    ロジオンのG好きも幾つになっても初恋とか刷り込みを忘れられない悲しいヲトコのサガ、もしくは世が世ならラスもG好き拗らせ野郎に育ってたかも知れない説に「ですよね〜」感が漂います。

    呪いが解けて“普通の女の子”として生きて行ける事を自覚して、それまで恥じらいもなく肌を晒して来た事に羞恥心を覚えさせるのもお約束でグッドですよね。
    まぁ、見せると触れさせるには大きな隔たりがあるのはキニシナイ!
    テンプレコメディならオープニングを踏襲したシーンで『いざ肌を晒す直前で再度芽生えた羞恥心から「やっぱり見るなー!」つってロジオンにビンタしたトコロで止め絵になってエンディングテーマが流れる定番』を外した点も味がありますよねぇ。
    書き手の欲望として、いい意味で読者を裏切りたいってのは常日頃感じる欲求ですから。

    強いて言うなら呪いが解けた事でGに成長するかも知れない未来の示唆があればロジオンとかG好きの読者さんの支持が得られたかも?みたいな?

    けどソレも敢えて外してきたんなら、も〜ヤラレっぱなしですよ。

    だってキレイに纏まってるんですもの。


    やっぱり一言捧げるならコレだなぁ。


    ご馳走様でした。
    m(_ _)m
  • こんばんは。

    ストレートな感想ありがとうございます。
    感想を見比べるのはほんとに参考になるのでありがたいです。


    >メンドクサイ系のヒロインに付き合うストーリー

    最初にこれ書きだしたときに、このへんをどう描くか迷ったところですね。

    主人公を強引に引っ張って、巻き込んでいく系ヒロインの代表っていうとやはり、『涼宮ハルヒ』が私はすぐ思い浮かぶんですが、

    私自身もあの作品が好きなこともあり、最初はそちらの演出に寄せようかという考えもありました。

    でも、その手のハルヒリスペクトな作品は、これまで数多にこすり倒されてきたので、どうせ自分で書くなら別のものを見たかったというのがあり、今の形になっています。

    この点で他に批評していただいた方から、『ヒロインはハルヒに寄せたほうがよくね?』というご指摘をいただいたのですが、やっぱりみんな考えることは同じなんだなと、感慨深かったですね。

    それはそれで正解だと思うんですよ。
    だってハルヒ、何度見ても面白いもん。
    名作という評価以外ができない。
    なので冒頭の改稿案には、ハルヒ気味に寄せる案も考えてたりしますw

    こういうのは可能性を廃除せず、いろいろ考えてみるのが大事だと思うので。



    >ライトな雰囲気でヘビーなエピソードに引き込む

    このあたりのバランスも気になってた点ですね。
    あまりに急にシリアス要素をぶっ込むと、違和感でちゃうし、
    ある程度のサプライズがないと、インパクトがでず、その後の映画を作る展開に説得力がなくなってしまう。

    意図したとおりに機能していたようで、安心しました。



    >コレくらいのバックボーン

    自分では正直、設定面の情報量は多すぎるかなと感じてます。
    世界観の設定そのものを、メインコンテンツとして魅せて楽しませるタイプの作品ではないですからね。

    主人公とヒロインの関係性のドラマがメインなのですが、
    二人のドラマを成立させるために、読者に知っておいて貰わなきゃならない情報が、ちょっと多すぎるんです。

    その情報の何か一つでも、読み逃されちゃったり、理解されなかったり、忘れちゃったりされると、ドラマの感動が成立しなくなってしまう。

    椿 恋次郎様は、かなり深く読み込んでくださる読者の方なので、がっつり楽しんで頂けて幸いでしたが、
    もう少しライトに読む方にも、楽しみやすくするために、情報量を絞れたらいいな、と考えてたりします。


    >やっぱり見るなー!

    これはまったく考えてなかったパターンですねw
    ラストはもう、二人にとっては結婚初夜みたいな感覚であると、私は認識していたので、そういう展開は考慮外でした。

    でも、言われてみるとライトノベルのラブコメで、二人の関係がいくところまでいってしまったら、もうそれ以上、書くものがなくて終わりですもんね。

    そこであえて行くところまで行かせず引っ張るってのは、確かに定番といえば定番かも知れません。

    私がまったく考えつかなかったご意見、ありがとうございます。



    >ご馳走様でした。

    こちらこそ、大変参考になる感想をありがとうございます。
    こういうフィードバックだけは、作者一人ではどうしようもできないことなので、ほんと助かります。
  • 何度も書くのは申し訳ないのですが、他の方のご意見みてちょっとだけ。

    女性ウケを狙いたいのであれば、ゾーフィアのキャラクターは正解です。
    彼女は女性が好きになりやすい。少なくとも嫌われにくいタイプです。
    男性としては可愛いと思うには偏りすぎたヒロインであるなら、むしろ、万人ウケという意味での、女性ウケを目指しても良いのではないのでしょうか。
    菅野さんとしては予想外かもしれませんが、私も含め、女性で気に入っている方はかなりの割合かと思います。

    元々は男性向けだというのは存じてますが、ハルヒ要素を混ぜると、女性が離れていく可能性が高いですからね…。
    (ハルヒが悪いという訳でなく、あのキャラで女性ウケを狙うのは非常に匙加減が難しい)
    菅野さんの作品をどうこういう権利は当然ないですが、一つの案としてこんなことホザくやつがいたなとでも思って下さい^_^
  • 仁嶋サワコ(ニトウ)様


    何度でもウェウカムですよ。
    いっぱい意見をくだされば、それだけ勉強いっぱいできるのでありがたいです。


    >予想外かもしれませんが

    なんと!
    これはもう絶対に自分では気づけなかった部分です。
    今まで頂いた感想で一番、驚いたかも。

    何しろ、女性ウケは読者層のターゲットとしては完全に想定してませんでしたので。
    やはり人様の意見を聞いてみないと、分からないことっていっぱいあるんだなと、改めて実感しました。


    そうなると、ハレヤのキャラは今のままで、魅力をより感じられる演出を増強する方向性で、間口を広げるのも良いかも知れませんね。

    その場合、タイトルも、いかにも男性向け全開っていう雰囲気なので、こちらも警戒されない雰囲気に変えた方が良さそうかなと思ったり。

    いやほんと、自分では絶対に気づけない部分に言及していただいて、ありがとうございました。



    >ハルヒ要素を混ぜると、女性が離れていく可能性が高い

    ハルヒが流行ってた当時、私の男友達だけではなく、女の子にもハルヒ勧めまくったけど、好きになってくれる人がいなかったという青春の苦い思い出が蘇っちゃいました。

    あの作品のサブヒロインはともかく、ハルヒそのものは男女関係なく面白いキャラだと感じてくれると信じてたんですよね。

    それで当時なんでなんだろうって考えたんですが。
    ハルヒの性質って少女漫画にたまに出てくる、とある役どころに当てはまることに気づいたんですよ。

    『イケメンにワガママを言って散々振り回して迷惑をかけるライバル女』

    主人公の女の子と、イケメンが仲良くなりそうな展開になったときに、脇から茶々いれて邪魔してくるライバル女のポジション。

    要するに、本来の意味での悪役令嬢的な役どころですよね。
    唯我独尊、傍若無人、ゴーイングマイウェイ、っていう。

    でもね。
    男子目線だと確かに、こういう本来の意味での悪役令嬢って可愛く感じちゃうわけですよ。

    「え、なんかこいつ、事あるごとに必死に俺に絡んできて、めっちゃ俺のこと好きやん。何この可愛い生物」って。

    でも少女漫画だと、やはり悪役令嬢は読者のヘイトを集める役どころとして描かれるわけで。

    男子目線でのハルヒと、女子目線でのハルヒの見る目に差が生まれるのってこのあたりなのかな、とか当時思ってた記憶があります。
  • 菅野さん

    男女の見え方を今また認識してしまった。
    悪役令嬢ってあれただの様式美で、実際主要キャラまであがりつめる人(別路線に進むのでなければ)まずいないですね。

    ハルヒは典型的男性向けヒロインですね。極めて男性の趣味嗜好にあっています。

    少女漫画のヒーローはすれ違い続けることは合ってもそのタイプは歯牙にかけないし、むしろ、人気どころの少女漫画のライバルは女性に好かれる魅力に溢れている気がします。徹底的ヒールで恋愛まで口出す人は珍しいし。
    まあ、女性誌だとうっかりベッドにインは有りえますが(笑)ヒールな魅力は出てくるかも。

    ゾーフィア以外も、話としても、苦労してきた不幸な女の子が運命の恋で救われる。
    という極めて女性ウケしやすい話です。

    ゾーフィアの内面を多めに出す。
    恋愛多め(でも恋愛だけじゃない)
    女の敵は女じゃない。
    基本的には味方。
    を頭にいれると女性ウケすると思いますよ〜
  • 仁嶋サワコ(ニトウ)様


    大変ためになるアドバイスありがとうございます。

    >苦労してきた不幸な女の子が運命の恋で救われる。という極めて女性ウケしやすい

    これもまったく意識外で新しい発見でした。

    というのも、この手のシナリオは男性向けノベルゲームの中でも泣きゲーと呼ばれるジャンルの王道だったから、そっちを意識してたからですね。

    不幸な女の子を主人公が救おうとするお話だったりするわけですが、
    女の子が難病を患っていたり、死に至る呪いを持っていたり、何らかのために犠牲になる運命を背負ってたりとか、そういうのが鉄板なやつです。

    でも逆の見方をすると、
    『苦労してきた不幸な女の子が運命の恋で救われる。』
    こうなるのか、なるほど、と。

    言われてみると、いわゆるシンデレラストーリーなんて分類は、まさにそれですもんね。

    いっぱい勉強になりました。
    ありがとうございます。
  • こんばんは。

    今回の批評と指摘は
    前に書くのをためらった箇所の指摘です。

    それは私個人、一読者の趣味嗜好が多く反映されている為
    これを言ってしまうと 様の作った作品ではなくなってしまうからです。
    それだけ、突っ込んだ内容となりますので参考程度にして頂けると幸いです。


    〇ヒロインをより魅力的にする

    前にも述べましたが、個人的にヒロインの魅力がまだ足りないと感じました。

    それは物語の冒頭。公園の噴水を風呂替わりにするという衝撃の登場した割に
    読み進めると、わりと常識人という印象を受け、ヒロインの魅力が物足りなく感じてしまったからだと思います。

    キャラの個性は欠点。

    例えば『なにか、ほっておけない存在』や『この子こと守ってあげたい』など
    読者がヒロインに対して興味を持つような要素が重要だと思います。

    そこが少し弱く感じました。

    一案としては

    ・既存のアニメ、漫画キャラを参考にどの方向性のヒロイン像かを明確にする。
    これは読者にイメージしやすいというメリットがある反面、やり過ぎるとパクリになります。
    キャラデザの際にいい所だけを換骨奪胎できると良いと思います。

    具体的には。
    キャラデザ設定の欄に『既存のキャラで言うと~誰々』というものを設けるなど。

    一案として
    ヒロインに天然ボケなどのコメディ要素を強め、主人公の視点から可愛い少女に見える様に描きたいです。
    台詞の語尾に「~じゃ」をつけるくらい台詞の崩してもいいかもしれません。
    私がテコ入れするなら、振り切ってコメディ要素を増す方向性を取りたいです。

    ・あと、度々みられる「キャー、エッチ」というシーン
    あざとい要素を入れている場面かと思いますが、なぜか、そこが浮いて視えました。
    それは彼女の常識人っぽい部分が邪魔しているからだと思います。
    主人公を振り回すキャラに振れば成立すると思いました。

    ・ラブコメはヒロインの可愛い人物描写をしつこいくらい入れても良いと思いました。
     例:髪の色や質感、仕草や癖etc

    ・またタイトルの”ホームレス”というワードが弱く感じてしました。
    読者のフックになっていない気がします。
    ”ホームレス”の期待値はなんでしょうか。
    保護対象? 守りってあげたくなるような要素?
    何か、可愛いと思えるような要素と、くっつけて意味を持たせると良いかもしれないですね。

    例 お金が無いのに食い意地を張っている→仕方なく主人公が餌付けするコミカルなシーン
    それらしいところは描かれていますが個人的に刺さりませんでした。
    理由は、ヒロインの性格や主人公の視点描写の無さ
    さらにラブコメのシチュエーションの妙が足りず、甘く感じたからだと思います。

    ・ラブコメにはヒロインを自然に可愛く魅せる常套手段があります。
    それは主人公=読者という目線でヒロインを描く方法です。
    具体的にはヒロインの人物描写(今日の髪型や仕草)などを主人公の目を通して読者に可愛さをアピールすることです。
    この時、主人公はあくまでも読者に寄り添いやすく、身近な存在にキャラデザにすれば
    より読者の感情移入を誘えると思います。
    なので、この作品は三人称視点より、一人称視点がおすすめです。

    ・シチュエーションの妙は、前述も述べた通り、ラブコメのイベント要素です。
    実際のラブコメ作品に多くのテンプレがあり、様々なアイディアがあるかと思います。
    私には、そこの研究の薄さが作品を通して透けて見える部分がありました。

    ・ヒロインのコメディ色を強くすると一つ、弊害が起きます。
    それはヒロインのシリアスシーンはどうするのか、です。
    ここまでぶっ飛んだキャラを作るとシリアスな展開が難しくなります。

    これも一案ですが
    そこでヒロインの人格を二つに分けて描くという方法もあります。
    普段は天真爛漫な少女しかし、時折、勇者としての真面目な人格が垣間見えるという感じです。
    その背景(バックボーン)に、元々は陽気な少女だったが過酷な世界情勢のせいでそうせざるを得なかったという設定を活かすといいと思います。

    普段はちょけているけど、時折人が変わった様に真面目になる。
    ここにミステリアスな要素が出て、読者を惹きつけられるかもしれません。

    この上記、全ての問題に対し
    一番わかりやすい例としての作品が『涼宮ハルヒの憂鬱』です。
    主人公は常識人で周りのキャラが物語をかき乱す役という手法を取り、主人公の視点でヒロイン達を可愛く魅せています。

    これらはあくまでも一案です。

    ですが、ラブコメはヒロインが全て。
    よってヒロイン像、キャラデザがもっとも重要で
    キャラデザの資料を膨大、かつ細かなディティールまで設定するべきだと思います。
    それがこのヒロインの厚みになると改めて思いました。

    〇19話の違和感

    この回はヒロインが過去の真実、勇者の姿を語る重要なシーンだと思います。

    前述も述べた通り
    当の本人、ヒロインの口から多くを語られると
    せっかくのシリアスな展開とミステリー要素が薄まり、勿体ないなく感じました。

    なぜなら
    多くを語らない、語りたくないところに彼女の闇や過去の辛さが詰まっているからです。

    そして、ここでの問題点としては
    主人公(魔王ラスコーリン)は過去にこの光景を見た事があるのか?です。

    知っているならば、残酷な描写は主人公の脳内で流せるとより、シリアスな演出と
    「なぜ、僕はこの光景を知っているのだろか?」という謎と伏線を残せるかと思います。

    そうなると、やはりここも主人公視点が重要にならざる得ない場面になってしまいます。

    〇主人公のお父さんのキャラが台無し

    ロジオンのお父さんは破天荒なキャラだったかと思います。

    特に
    40話41話のシーン
    脚本家のプロとして急に真面目に語り出す胸熱展開だと思います。

    ですが、ここが踏み込みが甘い、予想の斜め上をいかないと感じました。
    これから大作を作ろうとする主人公の背中をもっと叩かないといけない気がします。

    よって、このキャラクターが主人公に対して
    どういう存在か?を改めて見直す必要があります。

    私は、主人公の師匠となる存在が良いかと思います。

    これは一例ですが。

    ここのシーンでは、最初
    脚本家のプロとして厳しい意見、映画業界実情、専門的な知識などを引用し、徹底的にダメ出しします。
    それこそ
    「お前…映画作り舐めてんのか?」
    という痛烈な言葉を突き付けても良いと思います。

    正論パンチが物語にリアルティを持たせます。

    そして最後に
    「だが、俺はそんなものは必要ねぇと思っている」
    と今までとは真逆、の事を言い出し、主人公と読者を困惑させます。

    「興行収入? スポンサーに配慮した脚本? そんなの知るかっ! 糞くらえだ!」
    と、プロらしからぬ破天荒な一面を出し…。

    「クリエーターなら観客を騙せ! 欺け! 期待を超えろ!
    野次を黙らすくらいの熱量を作品に落とし込め!」

    と、とんでもない自論と

    「なぜならクリエーターの本質はエゴイストだからだ!」

    というパワーワード、パンチラインを浴びせるとより、キャラが惹き立ちます。

    そして。

    父「お前が映画を作る理由はなんだ?」

    主人公「本当の勇者、彼女の真実を世界中の人に知ってもらいたい」

    父「馬鹿ちげぇよ。それは只の結果論だ。お前は誰にこの映画を見せたいんだよ!」

    と感情を訴え、読者を煽ります。

    父「漢なら惚れた女ぐらい本気で落とす映画を作ってみせろ!」

    的な言葉で、最後は
    プロ脚本家ではなく父親としてのアドバイスが出来ると
    読者の期待を良い意味で裏切れるし、キャラが立ち
    さらにはクライマックスへの弾みをつける事が出来ると思います。

    そういう意味で主人公の父親は
    破天荒だが、カッコいい師匠。
    主人公の指針、今後の物語の方向性を示すキャラであって欲しいと感じました。


    〇この作品のテーマが見えてこない

    前にこの辺がこの作品の核心ではないでしょうか?と言ったと思います。

    それが、上記の一例。
    そこに、主人公の師匠、父親としてのアドバイスに含まれていました。

    「本当の勇者、彼女の真実を世界中の人に知って貰い、本当の彼女を好きになってもらう」
    のは結果論

    この物語の本当の核心は

    『彼女自分自身を赦せるような、そんな映画を彼女に観せたい』

    と勝手に解釈しています。

    なぜなら
    千年前の勇者は世界を救いたかった。
    それに対する過去の主人公は世界より彼女を救いたかった。

    結果、世界は救われたが、まだハレヤさんは救われていないわけですよね。 
    なら、主人公は今度こそ彼女を救う。
    それがこのラブストーリーの核だと思います
    そうなると
    クライマックスが変わってきますし、より感動的なゴールを設定できると思います。

    余談:個人的には『ハレヤ』の名は由来は『ハレルヤ』主を讃えよ、からきているのではないかと思いました。なら、このテーマとリンクしていてとても素敵な名前だなと思います。
    →まあ、勝手な深みだと思いますが(笑)

    プロの漫画家の言葉で
    『バトル漫画を描きたいなら物語の主人公以上に作者がバトルしないといけない』と言ってました。

    このクライマックスの場面は
    文章、描写から主人公の思い
    それがヒロインのリアクションを通して、読者に伝わる、そんな熱量と声が欲しい。

    また、その為には
    物語の第一話からクライマックスに向けて下準備し、
    主人公の目で見たヒロインの様子と主人公の中で彼女の思いがどう変化していったのか、で
    そこを過去の事象とリンクさせ、最後の映画に落とし込む。

    確かにそこの方向性は合っていた気がするのですが

    この映画の自体の目的と、作品全体のテーマがどこにあるのか、

    個人的にそこが上手く伝わって来なかった気がします。

    故にクライマックスの映画上映シーンは
    『彼女自分自身を赦せるような映画を彼女に観せたい』
    という部分を強調して欲しいです。

    大事なのはハレヤさんが、この映画をどう見ているのか?
    そこを反応を通して、読者にどう訴えかけるか、が重要だと思います。

    〇視点描写について
    前にも述べたと思いますが
    第一人称と第三人称視点には明確にメリットとデメリットが存在します。
    そのメリットとデメリットの詳しい内容は割愛させて頂きます。

    大事なのは『この場面を最大限活かすにはどちらの視点が良いか?』だと思っています。

    私も一概にどちらか一方に固定観念をもって描くべきではないと思っていますが
    それにしてもこの物語に関しては主人公視点で描いた方が良い例がいくつもあると感じました。

    〇コミカルとシリアスのバランス

    コミカルとシリアスが混在する作品はバランスが重要だと思います。
    特に一番やってはいけないのが、シリアスな場面を邪魔するようなコミカルです。

    例としては
    19話の過去の回想で戦争シーンで必死に戦うゾーフィがビキニアーマー姿だったら台無し
    みたいなことです。

    誤字報告
    「ではゾーフィアがここで行った全てを想像(してみ)なさい。彼女の放った火炎魔術は、オークの隊列にいた数百人を炎で飲みこんだ」

    この物語は
    コミカルとシリアスがきちんと綺麗にパート分けされているので、問題ないかと思います。

    コミカルのシーンはよりくだらなく、でもシリアスは痛烈に。
    日常と非日常を切り分けて描くと緊張と緩和の上手い対比が取れる。

    充分出来ているとは思いますが、
    感情移入するはずの主人公がボケにまわっている点が読者との乖離招いているかもしれません。

    そういう意味で巷のラブコメの主人公は、等身大で描かれることが多いのだと思いました。

    また文体もコメディパートではもっと崩していいと思いました。
    あまり構文を意識し過ぎるとラブコメっぽくない雰囲気になってしまうので。

    〇58、59話が、ご都合主義っぽいハッピーエンドでリアルティに欠ける

    個人的に読者の感情移入させるためにはリアルティ、共感が必要だと思っています。

    特に、違和感があったのが
    クライマックスの、映画を観終わった歴史学者が絶賛するシーン
    学者が今までの通説を覆すような作品を観て
    簡単に今まで信じて学んできたものを曲げられるのかな?という疑問が浮かんできました。

    それだけ、素晴らしい映画だったとしても、ちょっとご都合主義のような気がします。

    どんな名作にも賛否両論があるように

    途中で観るのを止めてしまう観客が居てもいいと思います。
    中には、怒ってクレームを言う人がいたっていいと思います。

    現実は残酷で、そう上手くいかない。それも一つのリアルティだと思います。

    しかし、だからこそ、この物語の目的を

    『彼女自分自身を赦せるような映画を彼女に観せたい』

    にすると
    全てのピースがピッタリハマり、そこが活きてくる、かと思います。

    一案として最後は

    結果、映画は賛否両論となり、炎上。
    しかし、DVDとサブスクの収益がそこそこあり、ファンの中では言わずと知れた迷作として揶揄される。
    僕に至っては嘘の脚本家バレ大問題になるも幸いにも制作費にマイナスが出なかったおかげで大事にならず
    僕はまた一から映画制作の見習いとして出戻りすることになった。

    そして、月日は流れ……。

    変わらない日常、くだらない日々。
    しかし、一つだけ変わったものと云えば……。

    で、彼女との関係が変わった描写があり。

    最後に

    『次回作はラブストーリー映画にしようと思っているんだ』

    と匂わせて終われば
    この物語が一つの映画のように思え
    Key作品っぽい、切ないハッピーエンドになると思いました。

    〇全体の描写

    あと細かいところとしては全体的の情景描写です。

    例として
    よくある映画のカットシーン
    悲しい別れのシーンでは土砂降りの雨
    など、情景と心情を天気と上手く混ぜて演出し、場面をより印象的に見せています。
    それは、小説にも使えるテクニックかと思います。

    全体を映画のように見せるには
    物語の冒頭から映画カットシーンっぽく、巧みな情景描写をふんだんに盛り込むとい良くなると思います。

    〇最後に

    クライマックスの映画の中にヒロインの出自や”ハレヤ”の名前の由来やプロローグのIDなどの
    色んな仕掛けや種明かし、また主人公の正体が魔王だったなど面白いアイディア
    この作品の端々に色んな意図とこだわり、情熱があり個人的には楽しんで拝読させて頂きました。

    私からざっくりと視えたこの作品創りの弱点は

    ・キャラデザの設定。
    ・この作品のテーマ、その方向性。
    ・リアルティの意識、作品への落とし込み。

    の三点のように思えます。

    特に
    『リアルティの意識、作品への落とし込み』の部分は
    史実の出来事の資料をよく調べ、研究する事が大事だと思います。

    そこが物語を通して読者に透けて視えてしまうのが、作者にとって怖いところです。

    また、この作品に介しては今できる全てを出し切った作品だと勝手に思っています。

    一つの作品を書ききるのは本当に大変ですよね。

    処女作の目標は物語を最後まで書ききる事で、これも一つの目標達成かと思えます。

    大事なのは現時点で自分が書ける最大で描けたかどうか。

    私もそうですが
    未熟だった場所はきちんと反省して

    それをボツにする勢いでまた、他の物語を書く。

    そんな鬼畜な精神、創作活動が
    次のより良い作品創りに繋がると思っています。

    今後の新作楽しみにしています。
  • こんばんは。海水さん。

    こんなに丁寧な批評をいただけて感激です。
    まずは感謝を申し上げます。
    ありがとうございます。

    趣味趣向全開のご意見も大歓迎ですよ。
    どんな方が、どこを読んで、どう感じたのか、それを具体的に知れるだけでも、ご褒美ですから。

    私相手にはそういった部分、一切遠慮とかしていただかなくて大丈夫です。
    なんでも栄養だと思ってる人間なので。



    〇ヒロインをより魅力的にする

    こういうご意見はほんとありがたいですね。
    自分が好きで作ったキャラって、今の状態のバランスが120%好きだからこうなってるわけなので、自分では絶対に欠点が見えないんですよね。

    確かに愛嬌のある性格的な欠点、愛嬌のある隙、みたいなところは無いかも知れませんね。
    そういうのって最序盤でなにか一つぶちかませると強いですもんね。

    ヒロインの人格を二つに分けてというのもいじりがいがありそうです。




    〇タイトル

    これは未だに自信ないところですね。
    ホームレスを入れた意図としては、それ単体というよりも、全裸ホームレス勇者、という一連のセットで考えたものです。
    全裸でホームレスな勇者ってなんやねん、っていう疑問をかき立てられるかなという。



    〇シチュエーションの妙

    確かにテンプレ的なものはあまり盛り込めなかったですね。
    字数制限的にこれ以上はイベント増やせないってのもありましたが、既存イベントにテンプレ的な要素を組み込んでみる方向性なら、できるかも知れないですね。



    〇19話のフラッシュバック演出

    フラッシュバック演出はいいですね。
    これは是非、取り入れたいです。
    ありがとうございます。



    〇主人公のお父さんのキャラ

    実は以前に批評いただいたあとで、ご意見をもとに書き直した部分でもありますね。
    けど今回、提案してくださったキャラはもっといいですね。
    これもパクらせていただきたいw



    〇テーマの強調

    私自身は海水さんが定義するところの作品のテーマなどは、具体的にこれだ、とは言語化して考えてない部分ですね。
    自分が面白いと思うものを他の人にも共有したい、としか考えて書いてません。

    じゃあその面白いと思う物はなにか、と訊かれたときに言語化しようとすると。
    以前にお話ししたこともあったと思いますが、救われない救世主を救うお話、というものになるので。

    『彼女自分自身を赦せるような映画を彼女に観せたい』というのはその通りですね。

    でも、そんなに演出たりなかったですかね?
    終盤はもうほとんど、このことしか描いてないって言ってもいいくらいなんですが。



    〇コミカルとシリアスのバランス

    実はこれ、こっそりとんでもないことやってるんですよw
    ロジオンが勇者ワールドでプロポーズするところとか、ハレヤが大罪について打ち明ける場面なんですが。
    ここ、実はロジオンはずっとビキニアーマー着てます。

    おっしゃるとおり、これ描写するとぶち壊しになるので、あえてロジオンの服装についての描写いれてないんですw



    〇58、59話が、ご都合主義

    ここは結局のところ、映画本篇を読んでもらった方がどう感じたか次第なところですね。
    映画本篇を読んで、たいした話しじゃねえ、ってなったら御都合主義で終わりますし。
    逆に本気で面白いと感じていただけたら、学者の言うことに共感してもらえると考えています。

    これは学者の言動だけではなく、エンディング全てに言えることで、映画本篇を見てつまらんと感じられてしまったら、その時点で私の負けっていう勝負です。

    そういう意味で、賛否両論ある展開みたいな予防線は一切廃除して書いた部分ですね。

    おっしゃるように、賛否両論を書いたほうがリアリティあって無難なんですよ。
    そのご指摘は155%正しいです。
    なぜなら、私も最初はそういう構成にしようと考えたからです。
    それが正解だと今でも思ってますね。

    そもそもですが。
    無難に攻めるなら、映画本篇をダイジェストにして内容をある程度、ぼかしちゃってごまかして逃げるのがベストなんですよね。

    内容をぼかせば、この映画の評価をどんだけ名作扱いしても、ごまかせますからね。

    でもね。
    この作品の場合、映画の内容をまるまる書いてるので、ごまかしが一切できないんですよw

    普通はこれ絶対にやっちゃいけないことです。悪手中の悪手ですね。

    この作品のように劇中劇を扱う創作物では、内容が描かれるとしても、ほぼダイジェストでまるまる描かれるってことはないです。

    とくにこの作品の場合は絶対に、映画本篇をまるまる描いたりしてはいけません。

    だって、世界を変えるほどの名作、なんですよ?
    ハードルあげすぎってレベルじゃない。
    そんなの書けるわけないじゃないですかw

    つまり、、世界を変えるほどの名作、であると、ほんとに読者にそう感じさせられなければ負けな構成なのに、それをやっちまってるってことです。

    無謀すぎますよね。

    こうなるともう、やりたくなりませんか?
    めっちゃやりたくなりますよね?
    この無謀な勝負に挑みたくなりますよね?

    私はやりたくて仕方ありませんでした。

    ゆえに、この映画まるまる本編を描くっていうのは、私の最大のワガママと言ってる所以ですね。

    学者が絶賛するほどの面白さを感じていただけなかったら、それはもう私の完全敗北ですね。

    0点か100点かの大勝負。
    真っ正面から殴り合って、気持ち良く負けましたってやつです。


    学者を取り巻く状況の設定的な部分で説明しますと。
    この映画で別にこれまでの学説が、ひっくり返ったというわけではないんですよね。

    あくまでこの映画で描かれてることは、真実であると証明はできないものですからね。
    だから学者も、「もしこれが真実であれば」というような、あくまで仮定として語っていますね。



    〇全体の描写

    ここは極力、減らした部分ですね。
    とにかく今作はどんだけ描写減らせるかを攻めておりました。

    なので、この点、ご指摘いただけてありがたいですね。
    自分だと加減がわからない。
    もうちょい味付け増やしても良さそうですね。
    ありがとうございます。



    〇ハレヤの名前

    私はキャラの名前はとことん拘らないタイプの人間でございます。
    語呂が良くて覚え安ければそれで良しって感じですね。

    おっしゃるとおり、ハレルヤ、がインスピレーションの元ですが、意味などはとくに持たせてるつもりはなかったです。

    覚えやすさ、語呂のよさしか考えてません。



    〇誤字報告ありがとうございます。

    「想像なさい」はダメでしたかね?
    自分的にはわりと普通につかっちゃってた日本語なんですが。




    〇ご批評ありがとうございます。

    いやあ、めちゃくちゃ栄養になりました。
    海水さん自身の執筆時間をいただいてしまってまで、こうして貰えるとは。
    感謝しきれないですね。
    ほんとありがとうございました。
  • こんばんは。
    前に指摘した場所についての補足です。

    〇ラブコメ
    これは個人的な考えですが
    ラブコメの作者の一番好みのタイプは一番のヒロインにしない傾向があると思っています。

    一番は大衆に好かれやすいキャラで
    2~4は個性的キャラ、その中に作者の好みを入れる。
    そうすることで、様々な趣味嗜好を幅広く揃えることができ、かつ
    どのキャラも可愛く魅せることが出来ると感じています。
    負けヒロインが人気になる秘密もそういうところがあると思っています。

    〇タイトル
    それでは”ホームレス”の意味がないと思います。
    勝手に冷蔵庫漁ったり、勝手に主人公のシャツを彼シャツにさせたりして
    主人公(読者)に「なんだよ、こいつ……物乞いか?」と思わせましょう(笑)

    〇シチュエーションの妙
    ここは簡単に言えば、
    私は、もっと読者に刺さる恋愛模様、エピソードが書けると感じたからです。
    それにはラブコメのテンプレやパターンなど研究が足りていない気がしました。
    ここは恋愛オタクにはたまらないフックなので、ラブコメをやる以上、大事にしたいですね。

    〇主人公のお父さんのキャラ。19話のフラッシュバック演出
    これもパクらせていただきたいw
    →どうぞ、良ければどんどん参考してください。
    ですが、個人的には、その予想を超えるような、良い裏切りを期待しております(笑)

    〇クライマックスの映画のシーン

    個人的にこの見せ方をするには
    理解しなければならない大事な点があると思っています。

    それは
    映画を観せるという形になる為、必然的に読者の視点は観客になるという点です。

    特に
    ヒロインの視点か、それともその他の観客の視点か、に分れるかと思います。

    そこがはっきりしないまま進行してしまっている点が
    意図せず読者を惑わしてしまい
    映画自体に上手く没入出来なくなる、一つの理由だと思いました。

    なにか、映画館にいるような前フリや情景描写、
    そして何より、誰の視点かも強調すべきかと思います。

    修正後は、ヒロインの視点に振ったのかな?という印象を受けましたが
    まだ、弱い気がしています。

    また、その後の流れを踏まえると
    ヒロイン側の視点ならクライマックスの内容は問題ないのですが
    その他、大勢の観客の視点だと大きな弊害が生まれます。

    そこが
    リアルティの無い、ご都合主義のハッピーエンド、
    だと感じる部分で、コメディとシリアスの崩壊に感じたところでもあります。

    前提として
    その他大勢の観客の視点では、既存の勇者像を楽しみに映画を観に来ています。

    それこそ、テーマパークのキャラクターにもなっているのですから、ミッキーマウスを例にさせて頂きますね。

    いつも陽気な明るいキャラクター。
    しかし、この映画では、その人の知られざる苦悩や闇が明かされます。

    すると、どうでしょうか。
    今まで好きだったキャラが急に冷めて視えてきませんか。

    勿論、そうではない感じる人もいます。
    ですが、そういう人が多数出てくる、これがリアルな大衆の心理だと思います。

    なぜなら、人は好きなもの(推し)をついつい正当化してしまう
    そういうバイアスがかかる生き物だからです。

    故に既存のキャラ(英雄像)を書き換えるには大変です。

    その際たる例、それが学者です。
    学者という人は、それを真実だと思い長いこと研究に心血を注ぐので
    よっぽどの証拠(エビデンス)が無いと、それが覆ることがありません。

    だからこそ、リアルの学者は意固地になりやすい傾向があります。

    話は少し逸れますが、リアルの学者さんの例で言うと
    ギリシャ神話の学者は未だにトロイアがどこにあるかでヒートアップし、学者のおじいちゃん同士で殴り合いの喧嘩まで発展。
    翌朝新聞で『第二次トロイア戦争勃発か?』と書かれるような珍事件が、つい最近起きてました。
    ギリシャ神話なんて神話で、文献もほとんどないにも関わらずです(笑)
    それくらい、自分の研究に信念を持っている職種という事です。

    なので
    「もしこれが真実であれば」という言葉は
    たぶん、口が裂けても言わないというのが、リアルな学者さんではないでしょうか。

    また、最後の試写会後のカップルのインタビューに
    違和感を覚えました。

    今まで自分達が好きだったキャラが
    まるでそこにいなかったように書き換えられている。

    そこに
    洗脳されているかのような
    もしくは作者の都合が反映されてしまっている。
    そういう風に感じてしまったからだと思います。

    もしかしたら、魔王の精神操作が働いてた、という設定があるのかもしれません。
    ですが、ここでそれを持ち出すとヒロインに対してあまりに不義理。ずるく感じてしまいます。

    そして、その疑問を持たせたまま
    最後の登壇でコメディを入れると映画のシリアスな部分が全部台無しとなってしまい
    結果、コメディとシリアスが崩壊していると感じたのだと勝手に考察しました。

    ・映画本篇を見てつまらんと感じられてしまったら、その時点で私の負けっていう勝負。

    上記の内容から分かるように
    私はここが問題ではないと思います。

    私としてはやってはいけないことへの挑戦する気持ちはわかりますし。
    作者様のアイディアを尊重したいと思いです。

    ですが、同時になぜ、他の人がやらないのか?
    という事も理解するのが必要だと思います。

    また、映画本篇の部分だけで考察するなら
    それをやる事自体そんなに悪くない気がします。

    問題は、もっとその前だと思います。

    これは魔王(主人公)の視点から描いた勇者の物語ですよね。

    ここに熱量を加えるなら当然、主人公の思いが強く反映されると思います。

    しかし、おっしゃる通り、それは完全に映画の作者(主人公)のエゴが出てくる
    タブー的な書き方であり、大衆には受け入れられないものになると思います。
    それは、現実の映画、作品がそうであるように。

    また、その思いが映画というフィルターで覆われており
    観客(読者)には読み取りづらくなっているという仕様もあります。

    そこで質問ですが

    これは誰の為の映画でしょうか?

    前述の父親の例に戻るのですが
    ここが作品全体のテーマと主人公の目的に関わる重要なところだと私は思いました。

    『彼女自分自身を赦せるような映画を彼女に観せたい』

    もし、これがテーマなら
    ラストのクライマックスは
    どう読者(観客)に観てもらうべきか、
    何を感じて欲しいか
    そこが一番大事であり、そこが読んでいて抜け落ちているように感じました。

    なので演出が足りない、というところではない気がしています。


    〇誤字報告

    口語の命令でしたか、それなら誤字ではないです。
    大変、失礼いたしました。

    〇全体の描写のバランス

    ここは難しいですよね。
    私自身もまだまだ未熟で勉強、途中です。

    イメージ的には作品に、色をつける感じでしょうか。
    大事なのは、作品をどんな風に描きたいかだと思っています。

    それによって、色彩の配色や筆のタッチ、重ね塗りなど好みが変わり気がしますし
    描写自体が、作者の味になっていくと思います。

    もちろん、なろう系がコスパの為、描写は極力避けるのは理解の上ですが。

    私はまだ、そこが弱いので、描写は出来るだけ挑戦するのつもりで書いています。

    それこそ子供が絵を初めて絵具を使う時
    やたらめったら色んな絵具を試すみたいに、ですが。

    個人的に描写のセンスは失敗しないと磨けないと思ってますので。

    この作品は全体的に映画のような作品にしたいなら
    そのような描写と演出するべきだと思いました。

    〇ご批評ありがとうございます。

    こちらこそ、いつもご批評ありがとうございます。
    いつも参考にさせていただきております。

    また、
    私の指摘は参考程度にして頂ければと思います。
    作品は作者のものであり、正解はないので。


  • こんにちは。海水さん。

    引き続きありがとうございます。




    〇ラブコメ

    このノートでもすでに他の方へ同じようなコメントをしましたが、複数ヒロインが登場する系はその通りですね。
    ハレヤの場合、本来はハーレム要因の四人目くらいで登場する系のキャラです。
    メインにしてはいけない系ですね。





    〇タイトル

    もともとのタイトルが『全裸ホームレス勇者を拾う。そして僕は途方にくれる』っていう物だったんです。
    インスピレーションの元ネタとしては『全裸監督』と『髭を剃る。そして女子高生を拾う』です。


    『全裸勇者を拾う』だけどだと作品の雰囲気も伝わらないので、『そして僕は途方にくれる』を入れたんですね。

    こうすると今度は『全裸勇者を拾う。そして僕は途方にくれる』とちょっと語呂が良くなかった。
    そこでカタカナを挟んで。『全裸ホームレス勇者を拾う』になった感じですね。

    そういう意味で内容に即したタイトルというよりも、語呂だけやんって言われればその通りですね。






    〇映画を観る視点


    これはどうやってもハレヤの視点で見ることになると思うのですが、違いますかね?

    映画パートに入る前はずっとハレヤの動向を焦点にしてますし、そこに読者の感情も誘導されます。
    映画の直前でもハレヤが観客席に着いたところから、映画の導入が始まります。

    そして当たり前ですが、読者はハレヤやロジオンに感情移入した上で、彼らと同じ前提知識をもってこの映画を観ることになるので、
    一般観客の視点で見るという前提条件は、ありえない気がするのですが、いかがでしょう。

    大勢の観客の視点から観た懸念点は、その通りかとは思いますが。
    構成的にどうやっても、ハレヤの視点で見ることになるのでは、と思えちゃいます。






    〇リアルの学者

    私はこれは真逆の考えですね。

    まずトロヤ論争がなぜそれだけ白熱するかというと、学説、としての対立だからなんですよね。
    トロヤ戦争が神話というフィクションではなく、史実であると主張してるからそうなってる構造なんです。



    それとは逆にフィクションならどうかというと。
    歴史をネタにしたフィクションのコンテンツを、楽しんでらっしゃる学者の方は大勢いらっしゃいますよね。

    三国志と三国志演義の関係なんかがまさにその代表例です。

    私はSNSなんかでも、歴史系フィクションを学者の人たちがどう捉えているを観るのか好きなんですが。
    むしろ専門知識を持ってる方ほど、フィクションはフィクション、学説は学説、ときちんと切り分けて考えてらっしゃるんですよね。
    学説をいかに上手くアレンジして、フィクションに落としこんでいるかを楽しんでらっしゃる方が多い印象です。



    話しを戻して、作中の学者についてですが。
    彼が言ってるとおり、この映画は学説と照らし合わせた場合、明らかに間違ってる部分はないんですね。
    史実として記録されてたゾーフィアの空白だった部分を埋めるものでしかないんです。

    例えば、ゾーフィアがGカップの人間の美女でビキニアーマーだった、という俗説がありますが。
    彼は専門家であればこそ、それを信じてないわけです。種属すら不明であることを知ってます。

    そしてゾーフィアの行動の動機の記録が、一切残っていないことも知っています。
    なので、ゾーフィアの動機が映画の中で描かれていたとしても、それはやはり学説と照らし合わせて間違いとは言えないんですね。

    つまり、専門家の立場からすると、この映画は
    『学説として立証できる根拠は一つもないフィクションだけど。学説に反している部分も一つもない』ということになります。
    学説の空白を上手く利用したフィクションとして捉えられてるわけですね。



    このような状況を、学者の短い台詞から感じ取れるように、私も表現できればよかったのですが。
    もっと分かりやすくしないとですね。

    とくに学者という職業の方について、フィクションと学説の区別を付けないくらいお堅すぎるイメージもあったりするのかな、というのを
    ご指摘で気づくことができました。ありがとうございます。






    〇なぜ他の人がやらないのか?


    前回の返信でも申し上げましたが、その点については理解した上で、ですね。



    まず一つ目、この映画パート自体が、これまで物語の中で開示された情報だけで構成されるので、
    これまで読者が見た同じ情報が繰り返されることになり、冗長になります。
    これを防ぐためには、同じ情報でも、まったく別の意味を持たせるような構成にしなければならず、非常に難度があがります。



    二つ目は、劇中劇と物語本編という二つのストーリーを完全にシナジーさせなければ、違う物語としてバラバラになってしまいます。
    同じ作品の中でやる意味がなくなります。
    これまた難度があがります。



    三つ目は、世界を変えるほど評価される映画、としての説得力を持たせるための逃げ演出が一切できないことです。
    映画本篇の内容をダイジェストなどでボカして見せれば、いくらでも簡単にごまかせちゃいます。

    なので、このような劇中劇を扱う創作物では、そのようにするのがセオリーなんですね。
    でも本編まるまるやると、ほんとに読者に「これなら世界を変えられるかも知れない」と思わせられるような作品にしなければならず、難度が爆あがりします。

    さらに言えば、作者的には自分で書いたものを世界的に評価されたとする自画自賛する構図になるので、作者の精神的にも面の皮が五光年くらい厚くないとできません。

    ある意味でここが一番のハードルだと思います。
    誰もこんな羞恥プレイやりたくない。




    四つ目は、単純に尺が長くなりすぎます。
    この尺に見合った満足感を与えられねばならず、これまた難度があがります。



    五つ目は、物語のジャンルが明らかに変わります。
    実質的に新しい物語に没入させねばならないので、そのための仕掛けが必要になりますし、ジャンル違いの物語でも読ませるくらいのパワーが映画パートに必要になります。
    これまた難度があがります。




    以上、条件を全て揃えるのって、めちゃくちゃ難しいんです。
    でも、ここで大事なのは、原理的に不可能ではない、ってところなんですよね。
    そしてこの賭けに成功すれば、ダイジェスト演出ではできないカタルシスを生み出せるリターンがある。

    可能性がゼロじゃないなら、それをものにしてみたい。
    そんなワガママですね。





    〇これは誰の為の映画でしょうか?

    言うまでもなく、救われない救世主のための映画ですね。
    これはもう、物語の序盤から、ハレヤを救う映画を作るという目的は、一貫してそう描いてますが、それを感じられなかったという事でしたでしょうか?

    むしろ、救われない救世主のための映画を作る、ことしか書かれてない物語なので、
    そこを感じられなかったと言われると、なんでそうなるんだろうと、いまいちピンと来ないですね。
  • さっそくですが。学者の台詞を修正いたしました。

    改めて海水さんにお礼を申し上げます。
    ありがとうございました。
    毎度お世話になりまくりんぐでございます。

    その他の修正箇所も原稿が用意でき次第アップしていきます。
  • お時間かかってしまいましたが、前に
    指摘した内容の補足です。

    〇映画を観る視点

    大前提からして
    この表現方法は読者から見たら映画を観ている形になります。

    個人的に彼女と同じ目線で映画を観るには結構ハードルが高い気がしてます。
    キャラの感情を読者自身と投影していく。
    それは視点変わりましたよ~、で読者の感情が移入出来る程、簡単ではないからだと思います。

    確かにヒロインの描写、心情描写は多少書いてありますが
    まだ、感情移入するまでには至っていないというのが正直な感想です。

    やはり、彼女に共感する何かが無いと彼女に入っていけないのですが

    キャラの設定上、”勇者”や”自分を大量の殺人者だと思っている”など
    読者と共感できない要素が多く、入りにくいデザインをしているというのもあります。

    また、
    『最後に主人公に会いたい』

    など純粋な少女としての気持ちを書いているのですが

    作品全体通して、彼女が主人公に何を望んでいるのか
    期待してしまっているのか、が少し薄い気がしました。

    その点の考察は次に。

    〇作品全体通してヒロインの目的に矛盾を感じる

    彼女の台詞、キャラの造形がブレているように見受けられます。

    当初の彼女の目的は?

    なぜ、主人公に映画製作を依頼したのか?
    →本当の勇者は語られているような英雄ではないから、きちんと真実の勇者を知って欲しい

    という表記がされていました。
    この時、彼女はどういう心境だったのかが気になる点です。

    ここだけ汲み取れば、彼女の承認欲求を満たしたいだけになってしまいます。
    なぜなら、世界は平和になり、世間は本当の勇者像など、どうでもいい事柄だからです。

    もし、裏の感情に
    主人公に自分の存在を思い出してもらいたかった
    という思いがあるのであれば行動原理、辻褄は合うのですが。

    また、全体的に、キャラが掴めない気がしました。
    創作の際、登場人物、キャラが
    ちゃんと作者の頭の中で生きている、動いているのか
    そこが少し気になります。

    私の気のせいなら良いのですが。

    20話 脚本を作る。そして彼女はこの手を握る。
    で、
    ヒロインが主人公に対して
    史実通りに脚本するよう指示している

    その辺りを見返してみると

    彼女は、本当の自分を知ってもらいたいのではないか

    という印象を受けてしました。

    しかも、そこに主人公の
    本当の史実こそが正義みたいな全乗っかりをしてしまっていて

    そこに矛盾と作者のご都合主義を感じてしまいます。

    また、この物語は設定上
    主人公が中心であり、ヒロインの感情を直接的に表現し過ぎてしまうのも良くない気もしています。

    なぜなら、この物語の謎の大半がヒロイン側にあるからです。

    つまり
    ヒロインに寄り添うとミステリアス要素が減る気がします。

    ・34話 ラストステージ。そして僕らは向き合ったの違和感

    で主人公と決別するシーン

    『でも、これで決断ができた。大罪を告白しないまま愛されるのは、あなたを欺くも同じだ。ならば失望され、別れを告げられた方がずっといい。これが、せめてもの誠意の示し方、です』

    ここでヒロインは何を思っているか、ですが
    本音は一緒になりたいが、私は幸せになってはいけない人間
    という風に受け取れます。

    つまり、彼女と結ばれるには
    彼女自身が彼女を赦せるようにしなければならないという
    目的を明示しているかと思います。

    彼女だけがまだ、戦争の罪に縛られ囚われている。
    それを救い出すことが、今後主人公のやるべきことかと思います。

    主人公の視点では
    ・39話 叫ぶ。そして僕は──。で

    「だったらもう、やるべきことは決まったじゃないか。好きな人を救わなきゃいけない。そのためには、ありのままのゾーフィアを描く映画を作るんだ。虚像がほんの少しでも混じっていない彼女の物語だ。
    僕には三千年間、ゾーフィアを隣で見てきた記憶がある。その彼女が人々から愛して貰えるなら、ハレヤさんもきっと自分を赦すことができる」

    主人公はこの結論に至るわけですが
    やはり、これは彼女自身の問題であり、
    世間にとっては本物の勇者像は必要性はないものであると思います。

    ですが、主人公の覚悟を示す為にも
    『彼女を救うために世界の認識さえも変えてしまいたい』
    という形に持っていきたいと前のお話で語られていましたね。

    なら、これは読者へのミスリードさせる方向性で進めると
    効果的かつ辻褄が合うと感じました。

    その後の台詞で

     罪の炎も消える。僕が千年前にしてあげられなかったことだ。僕が、しなきゃいけないことだ。でも……ありのままのゾーフィアがみんなから憎まれたら……?」
    「そうなったとしても。誰か一人くらい、あなたを好きでい続けるべきだ。それは」
    「──僕だ」
    「決めた。二度と会えなかったとしても、結果がどうなろうとも。必ず、この気持ちだけは伝える。僕だけはあなたを愛し続ける。それを伝える映画にするんだ。

    と今後のフリを入れています。これが映画を作る理由ですね。

    ですが、しかし。

    「どこに居ても絶対に見てもらえるような、全世界で上映されるような。僕の全ての気持ちを込めた」

    と、消息不明になってしまった彼女に映画を届けるには
    設定上の都合
    大ヒットさせ、ロングランさせるような名作にしなければならないという逆の結論に至っています。

    この
    『どこに居ても絶対に見てもらえるような、全世界で上映されるような』

    『僕の全ての気持ちを込めた』

    が=ではない気がします。

    これがこの先の目的を肥大化させ、歪めてしまっている感じがしています。

    私の読解不足だったらすいません。

    〇リアルの学者

    トロイア論争の例ですが
    ギリシャ神話はそもそもフィクションだという事は学者たちも百も承知であり
    知っていてなお、自分の研究を誇示しているというリアルな学者の性質の一例です。

    この映画が史実ではなく
    フィクションとしての映画だ、というなら良いですが
    この内容はノンフィクション(真実)として書いてませんか?

    でないと
    本物の勇者をみせている事にはならないのではないでしょうか。

    そういった意味で実際の映画では
    こういう史実ものは大半、監修に専門家がついているのだと思います。

    ・この物語で学者を出す意味

    あと、ここで学者が登場する意味は何でしょうか?
    私には残念ながら歴史背景し、真実を肯定するだけのキャラにみえてしまいました。
    何か、ここも読者の興味をそそられるorメインを盛り上げるキャラであって欲しいと思いました。

    〇40話~ 父親のシーン

    拝読させて頂きました。

    正直にご指摘させて頂くと、
    父親のキャラクターと主人公の関係性が薄いです。

    ここは普段とは違う
    父親の威厳とプロの脚本家としての一面が欲しいです。

    既存のイメージするキャラクターとかいますか?
    やはり元のキャラデザ資料から見直した方が良いと感じます。

    具体的には

    《ばーか、ちげえよ。俺にとって大事なことはな。息子が本気で惚れた相手のために、人生かけてようとしている、ってことだ》

    「親父……」

    現実の父親と息子の会話としての返しがおかしい気がします。
    この言葉は読者がこの父親が本当に凄い人であると思えないと
    響いてこない台詞の気がしました。

    前の段階で、この父親が脚本家としてプロなんだな
    というところを強調して欲しいと思いました。

    《ならば改めて聞かせろや。お前の覚悟ってやつを。俺は息子が大先生を詐称して、社会的な自殺をすることに手を貸すことになるかも知んねえ。そうなっても、俺が後悔しなくて済むくれえの、覚悟をよ》

    台詞も所々、語りすぎている部分や
    中学生みたいな熱血漢によってやや安っぽい印象を受けます。

    もう少し、仕草から読み取れる父親の隠れた感情が欲しいです。

    これは提案なんですが

    ここの部分を
    私の文章力のトレーニングの一環として
    試しに推敲・添削してみても良いでしょうか?

    別にそれが正解とか不正解とかはないのですが
    何かの参考になるかもしれませんので。

    〇新たな指摘ポイント

    読み直し見て、気がついたのですが
    ラブコメ作品に大事な要素が抜けているように思いました。

    『好き』という感情をどう表現するか
    という文章の表現力です。

    直接的に『好き』というには、その前の過程が大事であり
    また、プロの作家は安直な『好き』という言葉を嫌う傾向があります。

    なぜならキャラの感情は文章内に忍ばせるものだからだと思います。

    また、これは
    ラブコメだけに限らず、父親とのシーンにも言える事でした。

    この辺は私も勉強中ではありますが、偉そうに言わせていただくと
    比喩や暗喩の心情描写が大事だと思いました。

    〇これは誰の為の映画でしょうか?

    この質問の意図は、
    一番大事にしなければならないのはメインであり
    逆にここ以外のサブは
    メインを引き立てるためのものでないといけないと思っています。

    その中でもメインの方向性。

    世界中の人々が真実のゾーフィアを愛してもらえれば、彼女は救われる

    ここが違和感を覚えるポイントです。

    ヒロインの呪詛は本来であれば彼女自身の問題なので自己解決できる。
    ですが、そうできない過去の『罪と罰』があるわけですよね。

    問題は世界中の人々が真実のゾーフィアを知り、愛してもらえれば
    彼女を救うことが出来るという目的のズレです。

    ヒロインが主人公にして欲しいのは本当にそこなのかな?
    と、思ってしまいました。

    もし、ヒロインの願いが本当に
    『本当の勇者を知ってもらいたい』、そのためだけに映画製作を頼んだのなら、
    浅い気がします。

    また、ヒロインを救うのはヒーローではないといけません。

    もし、目的が『世界中の人々が真実のゾーフィアを愛してもらえる映画を作る』に縛られてしまうと
    主人公はそのきっかけを作った人だけになってしまい
    彼女の願いが世界中から愛されたい(許されたい)という形に見えませんでしょうか

    また、主人公の勝手な欲求
    自分自身が作る映画が世界に認められたいという承認欲求が含まれていませんか?

    そんな自己都合が透けて視えてしまう気がしました。

    故に、救われない救世主の為の映画なら
    別に映画が大ヒットする必要性はないと感じました。

    これは映画のクオリティ、構成、ギミックよりも
    ヒロインがどう思ったかが、まず一番に重要だと私は思います。

    私はそこの矛盾点がどうしても邪魔をしていて
    正直、感情を揺さぶられるラストではないと感じてしまいました。

    それは読み始めた時の、
    コメディとシリアスが共存している作品で
    その期待値が切ない気持ちにさせてくれるラブコメだと勝手に思ったからです。

    key作品のような感じにするには
    喜怒哀楽の哀愁の部分が必要不可欠で
    残念ながらこの作品には、その哀愁の部分がありません。

    ここで一つ聞きたいのは、当初の目的

    作者側では、読者にこの物語を読んでもらって
    どういう感情を持ってもらいたかったか、です。

    それによって
    クライマックスやラストの方向性がまったく変わってくると思いました。

    もう一度、クライマックスを見直しましたが
    やはり、ご都合主義の強いハッピーエンド
    リアルティが足りない気がしました。

    私の潜入観、バイアスの可能性もあるかと思いますが
    私はそこの矛盾点がどうしても邪魔をしていて
    正直、感情を揺さぶられるラストではないと感じてしまいました。

    個人的な話ではありますが

    私は読書をしていて
    こんな物語を描ける人はどんな人なんだろうと感じる瞬間があります。

    音楽家、アーティストがよく使う言葉で言うと
    『作り手の顔(ビジュアル)が視える』という感じでしょうか。

    そのきっかけが命題であると改めて思いました。

    あと、これは興味本位でお聞きしたいのですが
    前にドストエフスキーの『罪と罰』を参考にされていると聞いたのですが
    その答えも
    自己犠牲、英雄は裏を返せば殺人鬼ぐらいで
    なぜ、そこを物語にいれるのか?や、その事から導き出す作者の答えは、なんだったのでしょうか?

    せっかく、ラブコメに『罪と罰』という相反する斬新なアイディアだったのに
    読んでいて、物語に組み込むその意図がわからなかったので聞いてみたくなりました。

    〇作品全体のギャグ

    作品通して、ギャグに締まりが無いという印象を受けました。
    漫才でいうところのツッコミが不在で
    やや、素人のギャグ。滑っている印象です。
    そういう、ギャグもあるのですが
    ここではそれが悪い印象を与えていて
    作品全体が薄っぺらく感じました。

    また、どうしても
    ラストのコメディが作品全体をぶち壊して気がしてしまう点があります。
    大事なシーンで

    「ハーイ、みんなー、僕様だよー!」
    「大先生ですからー!」

    正直、これに若干、萎えてしまいました。
    最後はシリアスを壊さないようにするためにも
    コメディ要素を控える必要があると思いました。

    〇 日本語がおかしい

    読み返していて気がついたのですが

    10話のタイトル
    脚本家の親父が消える。そして僕は、ようこそアットホームな職場です。

    この『そして僕は、ようこそアットホームな職場です。』
    主語の『僕は』と『ようこそ』『アットホームな職場です』が繋がっていません。

    そんなに重要ではありませんが、少し気になりました。
  • いつも栄養になるご指摘をありがとうございます。
    ためになるたくさんのお言葉、とっても嬉しいです。
    今回はとくに大きな発見がありました。





    〇映画を観る視点


    たまに海水さんと話しが噛み合ってなくてピンとこないなと感じてた原因がやっとわかりました。
    それが次ぎの点ですね。




    〇作品全体通してヒロインの目的に矛盾を感じる


    かなり読み違いされてしまっているのが、これでやっとわかりました。

    まず、映画を作ってほしいと言ったハレヤの目的ですが。
    これはもう二話の時点で、「罪を告白して、裁かれ、償うため」と明言されてますね。

    真実の勇者を知って欲しいというのは、それ自体が主目的ではなく、あくまで主目的は自身の大罪を知らしめるため、ですね。

    二話以降も、ことあるごとに同じ事を言ってます。
    ファミレスでも。九話でも同じこと言ってます。

    さらには映画パートの終盤でも、「自分が殺してしまった犠牲者を無かったことにしてはいけない。そのために大罪を自ら世に知らしめなければ」という旨の動機が語られています。




    次ぎに、ハレヤが自分を赦せるようになる条件についても読み違いがあります。

    この条件は、真実の勇者の大罪を世界中へ知らしめた上で、そのゾーフィアが人々から愛されること、です。
    これは、ロジオンが映画を作ることを宣言した九話、および親父との脚本製作パート、
    さらにハレヤが異空間から出て映画を見に行く直前で明示されていることですね。

    ですので、ハレヤが自分で自分を赦せるかどうかは=世界中の人が真実のゾーフィアを愛してくれるかどうか次第、ということです。

    なので、ハレヤにだけに映画を観て貰うじゃダメなんですね。
    ハレヤにだけ見て貰えばいいなら、そもそも映画会社にリスク負って就職するなんてことせずに、
    映研サークルで自主製作すればいいだけですからね。

    大先生を演じて製作会社に入ったのは、文字通り世界中の人に映画を見て貰わなきゃならないからです。
    その上で、そこで描かれたゾーフィアが愛されなきゃいけない。
    そしてその人々からの愛を、ハレヤが感じられなきゃいけない、ということです。







    〇フィクションとしての映画

    作中の映画はあくまで真実と証明できないフィクションとしてしか作れない、というのは九話の時点で語られていますね。

    それでも、彫像のゾーフィアがナイスバディであり、それが人々から崇められているように、
    強力なフィクションは、史実と証明できなかったとしても人々の心の中では真実になりえる、ということが語られています。

    その後もことあるごとに同じ意味のことがくり返し語られます。
    緑風草原の脚本製作パートや、親父との脚本作成パートでも、脚本の内容が史実とは証明できないフィクションにしかならないことが、語られています。

    なので作中の世間一般的には、これからのゾーフィアのイメージを決定してしまうほどの映画ではあるけど、
    彫像と同じように、史実とは証明はできないけど、史実と矛盾もしていない物、という扱いです。

    しかし映画で描かれている物語は紛れもなく真実ではあるんですね。
    そしてハレヤだけはそのことを知っています。

    なので、映画で描かれたゾーフィアが世界中から愛されたことを知って、自分を赦せるようになるわけです。








    〇学者の役回り

    ゴブリンカップルのような一般人とは違った知識人の立場から、この世界で映画がどういう見方がされているのかの例示ですね。
    ナイスバディな彫像のように、史実とは証明できないけれど、史実と矛盾もしておらず、
    人々のゾーフィアのイメージを決定つけた映画であることを演出するのが主な役回りの意図です。

    前述のとおり、ハレヤが自分を赦すためには他者から映画がどう見られたかが、この時点で最重要ポイントです。
    だから観客の感想というのは、メイン中のメイン要素ですね。

    くり返しになりますが、ハレヤが映画を観てどう感じたか、だけでは救われないんです。
    ハレヤが映画を見て、そこで描かれているものがまぎれもなく真実であると認識したうえで、
    他の人々が映画で描かれるゾーフィアを愛してくれたのかどうか、そのリアクションをハレヤが見届けることが必要なのですね。

    なので、前述の『ヒロインの目的』の部分で勘違いをされて、ハレヤが映画を観ればそれで解決、と思われてしまってると
    観客の感想パートは余計なものにしか見えなくなっちゃいますね。

    これもくり返しになりますが、ハレヤに見せればいいだけなら、自主製作映画で十分ですからね。









    〇親父

    前回にご指摘いただいたあとから、自分でいろいろと改稿案を試行錯誤してたんですが、
    いまいちしっくりくるものが作れなくて、着手できてなかったのでありがたいですね。

    ロジオンが親父から「こりゃ映画にできねえ」と最初に言われたパートと、前回頂いた案の役回りがだいぶ被っちゃってるので、
    これ以上なにかやっても蛇足になっちゃうなと。

    なので是非、私も海水さんの例を見てみたいです。
    でも、ご無理はなさらないでください。ご自分の執筆を優先してくださいませ。
    ありがとうございます。










    〇新たな指摘ポイント


    文章表現というのは、あくまで作品の性質に合わせたケースバイケースですね。

    なんでもかんでも迂遠な表現して、読者の読むカロリーを消費させまくっちゃうと、読み疲れちゃってしかたないですからね。
    例えば情報量の多い作品で考えなしにそれやると、読者が情報を消化しきれず、逆効果になっちゃいます。

    大事なのは作品の性質にあわせて、読者に寄り添った加減をすることですよね。
    情報量が多い物語なら、できるだけ誤解が生まれる余地を廃除した平易な表現に撤して、
    情報を消化しやすくすることを心がけています。

    それですら実際に、海水さんにヒロインの目的など、もろもろ最重要な部分を読み違いをされてましたからね。
    ここでさらに私の力量で迂遠な表現なんか多用してたら、読み違いする人の発生確率がもっと増えちゃうかなと。

    まずは正確に伝えること、それが優先順位としては最上位になりますね。
    今作はとくに、物語の核とも言える部分を読み違いされてしまう方も、出てきてしまう事が分かったので、
    なおさら分かりやすさには注力したいと、改めて思ったところです。








    〇これは誰の為の映画でしょうか


    これも前述とお話しが被っちゃいますが。


    大罪を世界中へ告白したい、というのがハレヤの動機の大本です。
    そのためには、真実の勇者=大罪を背負った勇者を描いて貰わねばなりません。

    次ぎにロジオンの目的は、ハレヤを救うことです。
    そのためには、大罪を背負った真実の勇者を世界中の人から愛してもらうしか方法がありません。

    そのためには、映画を世界中で大ヒットさせなければなりません。
    ハレヤだけに映画を見せるのではダメなんですね。

    なので、ここの部分を読み違いされてしまっていたら、確かに海水さんのような感想になってしまいますね。
    物語の根っこの部分が間違った解釈をされてしまったわけなので、同じ文章を読んでもまったく違う物語に感じられてしまうはずです。








    〇どういう感情を持ってもらいたかったか

    これはもうシンプルです。
    笑って、感動できる、ようなお話しですね。
    これも根本の部分で読み違いされてしまうと、そもそも前提から成り立たないですね。






    〇罪と罰

    原作は正義感ゆえに大きな罪を犯した主人公を、恋人が受け容れてくれたことで、救われるお話しなんですね。
    それをファンタジー世界に落としこむことで、現実設定ではできない極端な外連味のあるシチュを描けます。
    そうすることで原作のもつ面白さをより鮮やかに表現する、というコンセプトです。

    例えば、原作だと主人公は世界を良い物に変革するための殺人、を実行しますが。
    たった二人殺しただけで、罪悪感で参ってしまいます。

    ファンタジーなら、これの規模を個人で何億人殺害みたいなことにできちゃうわけですね。
    もちろん数が多けりゃいいってもんじゃなく、殺す相手の質が重要です。

    原作だと、殺してしまった相手は、主人公の恋人の友人だと後から判明して、主人公は衝撃を受けるんですね。
    そこで自分がした殺人で生まれた残された人々の痛みを思い知るわけです。

    ところがファンタジー世界だと、恋人の友人どころか、恋人そのものを殺して、
    さらに、その後、殺した恋人から助けられる、ってこともできちゃうんです。

    自分の恋人を殺すことで、これまで数億と重ねてきた、一つ一つの殺人によって生まれた遺族の痛みを自ら思い知る。
    そして、千年後に生まれ変わった恋人に出合い、その助けを借りて救われる。
    みたいなシチュエーションができちゃうわけですね。







    〇作品全体のギャグ

    これも根本の部分で読み違いされてしまうと成り立たない部分ですね。
    キャラクターの解釈自体が本来意図したものとはまったく違ってきてしまいますので。
    そのキャラクターが何をしたら、どう面白いのか、のラインがずれてきちゃいます。







    〇 日本語

    日本語においては、本来は動詞ではない語句でも、動詞として使うことがありますのです。
    この場合、『ようこそアットホームな職場です』は『僕』という主語に対する動詞の扱いになります。




    まいど丁寧なご指摘に感謝申し上げます。
    ありがたいですね。
  • 〇ハレヤが語るところの『真実の勇者』とは誰なのか、について。


    シーンによってもニュアンスや意味が重なったり異ったりますが、ハレヤが言うところの、真実の勇者、とは彼女自身のことを指していたのではありません。

    じゃあ真実の勇者とは誰なのか、というと映画パートの最終話でこのように語られていました。

    『ゾーフィアが勇者としての行動に至ることができたのは、それまで犠牲にしてしまった命あってのこと。救世主を形作ったのは、それらの人々である。このことを世界の記憶として残さねばならない』

    殺人者ゾーフィアとはこの世界の宿業そのものです。
    その宿業が生み出した犠牲者たちこそが、真の意味で世界を変えた、ということです。

    つまり、世界を変えて見せた勇者とは=犠牲者たちのことです。

    彼女の故郷で初めての人殺の犠牲になったドワーフたち。
    暗殺の旅を始めてから死なせた王侯貴族たち。
    戦場で戦うようになってから殺してしまった人間の新郎や、その他兵士たち。
    エルフの都を襲ったときに焼き殺してしまったエルフ親子や、無数の住民たち。

    なのでハレヤの語るところの『真実の勇者』とは、それら彼女が殺してしまった全ての人々を指しています。

    ハレヤの目的とは、それら真の勇者たちがこの世界に居たこと=大罪を、現代の人々(真の勇者の子孫たち)へ伝えることでした。

    それが彼女がしなければならない最後の償いだったのです。


    このあたりを読み取りやすくするために修正しました。
  • クソみたいな時間に失礼いたします。
    早速来てみました笑

    個人的な感想としては、後半がシリアス一色過ぎてギャグを見に来た人が離れていくんじゃないかなと思います。
    自分はああいう話大好きなのでむしろ満点なんですけど、他の方もそうとは限りませんから。

    特にギャグを期待して拝読している方はシリアスが長すぎると大体読まなくなります。なんというか、思ってたんと違う的な感じです。
    シリアスの中にもちょこちょこギャグがあればそういう方も飽きずに読めるかなと思います。

    シリアス展開でやるのは難しいですが、これ上手くハマれば一気にこの作品のコメディとしての完成度が高まると思うんです。もとから高いのは言わずもがなですけどね!

    滅茶苦茶いい例が銀魂です。あれくらいぶっこむ必要はないですけど、ドシリアスでギャグをぶち込む勇気もコメディにはいるのかなぁと自分は思います。

  • 金剛ハヤト様

    ようこそでございます。
    こちらにまでお越し頂けるとはありがたいですね。


    後半のジャンルが変わってしまうことによる弊害は仰るとおりですね。
    前半がコメディ寄りなので、やはり金剛さんが懸念するように、コメディ要素だけに期待してそこまで読んで下さった方も一定数いるはずですね。
    それらの方を悪い意味で裏切る構成になってしまっているのは、その通りだと思います。

    そういう方々も取り込めるようにできれば最高ですよね。

    銀魂はまさにそんな作品なので、私も憧れるところです。
    シリアスベースのストーリーの回でぶっこんでくるギャグでも、雰囲気を悪い方向性で壊さないってのがすごいんですよね。
    ここの塩梅が本当に難しい。あのセンスはまさに天才的です。


    栄養になるご意見をどうもありがとうございます。
  • 大変申し訳ございません。遅くなりましたが
    前回の指摘、その意図が正しく伝えられていなかった点がありましたので訂正させて頂きます。

    〇作品全体通してヒロインの目的に矛盾を感じる
    〇これは誰の為の映画でしょうかの意図

    ここで私が言いたかった事、問題だと思ったのは
    その彼女の自体が間違えているのではないかという点です。

    正確的には
    彼女の願いが「罪を告白して、裁かれ、償うため」で
    物語の目的が『本物の勇者ゾーフィアが世界中で愛されなきゃいけない』になってしまっている点です。

    確認ですが、そもそもの動機が
    「自分が殺してしまった犠牲者を無かったことにしてはいけない。そのために大罪を自ら世に知らしめなければ」という犠牲者の為の史実である点と
    彼女自身の願い
    『多くの人に罪を知って貰い、正しく裁かれたい、罪を償いたい』という点ですよね。

    自分が殺してしまった犠牲者、彼らこそが世界を平和にした真の存在というのは分かるのですが
    この物語の現代に生きる人々は、勇者をGカップアーマー勇者のような勝手なイメージ像を作っており、それこそテーマパークになる程まで大衆化されている。それは千年の時で真実が風化してしまったという設定があるかと思います。
    これを物語の世間一般の視点、平和になった世界の人々から見れば、
    真実はどうでもいいように見えてしまうと思います。

    そこにヒロインの願いとその物語の世間一般の視点に、埋められない乖離があると私は思っています。

    また、犠牲者の為の史実。
    この言葉が入る以上、『戦争』という重い題材に触れる必要性があると私は思います。
    この物語のジャンルはラブコメであり、そこの部分も物語の主目的である、という意図があるのならば
    本来、この物語で戦争を扱う意義。『戦争とは何か?』
    答えのない問題に対しての、作者なりの答え出さなければならない題材だと思いました。
    それが前に指摘したこの物語の”核”となるという発言の真意です。

    故に創作の観点から考えると物語の目的と繋がっていない、目的がブレていると感じました。

    また、世界は平和になっているがヒロインの願いは「罪を告白して、裁かれ、償いたい」と思っている。

    これを一読者の目線から見ると
    『彼女だけが大罪を一人背負い、自分を自分で呪っている』
    『一人だけ、まだ戦争に捉われている』という風にも視えました。

    つまり彼女自身が自分を救われる対象に入っていないのです。

    この部分が原因で彼女の願いではないように感じます。
    故に『本物の勇者ゾーフィアが世界中で愛されなきゃいけない』という物語の目的自体がおかしいと私は思いました。

    ・彼女の抱えている問題、呪いをわかりやすく例にすると
    現代の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に似ているかと思います。

    PTSDについてこんな話があります。
    戦争から帰ってきた息子が、食事にも手が付けられないほど憔悴していて部屋から閉じこもって出てこなくなった。
    このままでは息子は自殺してしまう。
    この時、父親がとった行動は、窓を壊して暴れる息子を外に連れ出し、落ち着くまで抱きしめ、「何も考えるな」「俺の顔を見ろ」と声をかけ続けたという話です。

    ここで勘違いしてもらいたくないのは、この精神病は死ぬまで治らない病気であり、ここから父親と子の闘病生活が始まるという実話です。

    ここで焦点は
    父親がとった行動が、戦争させてしまった国家や社会に対しての社会活動とかではなく
    息子と一対一、生身で向き合い続けたという点です。
    私はそこが、父と子、親子の物語を決定づけていると思います。

    この例ように、この物語の焦点、主軸はどこにあるのかが、大切だと感じます。

    ラブコメの終着点は必ずラブストーリーです。
    主人公とヒロインで物語を終わらなければなりません。

    ですので前述の質問
    『これは誰の為の映画製作なのか?』という問いかけさせて頂きました。
    これは決して
    『ハレヤに見せればいいだけの話』ということではないです。まったく別の意図です。

    〇大罪を世界中へ告白したい、というのがハレヤの動機の大本。

    キリスト教の観点から説明すると
    罪の告白と赦し”告解”は本来、人に求めるべきものではありません。
    神が聞き、神が赦すものであり、その為に神の代理者、神父がいるというのが通説です。

    そもそも彼女が犯した罪も法で裁くことのできない罪なので、人々に赦しを請うべきものではないと感じます。

    なので、私には彼女の願いが間違えているように感じました。
     
    物語を描く上で、たまに脳内のキャラが不可解な動きをする時あるかと思います。
    この時作者は、このキャラの動きが元のキャラ設定から逸脱していないか
    それとも物語の中で生まれたものなのか、
    判断をしなければならない現象がよく起きるかと思います。

    私からは元のヒロインのキャラクター設定資料がどこまであるか、分かりませんが
    そういったことから生まれた思考だと勝手に推測しました。

    よって、良いか悪いかではなく、よく判断するべき事案だと思いました。

    その上で、私はこのヒロインの勘違いを活かすべきだと思います。
    具体的には
    彼女の勘違いをそのまま間違いとして描き
    それに『待った』をかける役目を主人公に負わせるべきだと考えています。

    なので
    彼女の願い「罪を告白して、裁かれ、償うため」に同調せず、
    むしろ、主人公がそれを止める事が
    この物語の主人公”ラス”コーリニコフ(ロシア語で反対)としてのムーブ、役目だと私は思いました。

    ですので、主人公がやるべき事、その焦点が本当に
    『真実の勇者の大罪を世界中へ知らしめた上で、そのゾーフィアが人々から愛されること』かな?
    と、疑問を思った次第です。

    また、主人公の最終目的は、彼女自身の内面に落としどころを見出すのが重要だと思いました。

    そして、
    ラストを見て感情を揺さぶれなかった一番の原因は
    『たとえ世界中を敵にまわしても、今度は君の味方でいる』といったような
    主人公の強いメッセージ性が強調されなかったところだと思います。

    このクライマックスでは
    それよりも先に『全世界から本物の勇者ゾーフィアが愛されなきゃいけない』と
    ラストのコメディ要素が強調されていて
    やはり、ご都合主義に感じてしまう、そこが一番勿体なく感じた点でした。

    個人的にこの物語は
    主人公の強いメッセージ性がそのままテーマであってほしいな、と思いました。


    〇フィクションとしての映画

    ここでのお話は
    『作中の映画はあくまで真実と証明できないから、観客側はフィクション作品としてしか観られない』という事ですよね。

    しかし、話は元に戻ってしまいますが
    既存の勇者像と真実の勇者像の乖離は明確にあり
    時系列に矛盾が無くても、果たしてそう素直に受け入れられるものではないのが人間の性だと思います。

    人は思い出を勝手に美化する習性があります。
    神話の神様しかり、畏怖の対象からいつの間にか人間にとって都合の良い神様へとすり替わっていきます。

    勇者が世界を救うためには、多くの種族を殺さねばならなかった。

    ここは誰もが触れたくない、見たくない部分。この罪の部分(真実)を押し出して表現する映画である以上、そこにどんな理由があれ、その違いに違和感を覚える観客もいる、というのがリアルな反応ではないかと思います。

    なので、『映画で描かれたゾーフィアが世界中から愛される』という部分に違和感を覚えてしまいました。


    〇お父さんのシーン

    推敲は、普段の自分の作品同様、『誰よりもアンチの視点』で
    指摘を書かせていただきます。

    添削は、あくまでも私なりの正解なので参考程度に見て頂けると助かります。

    添付先はどちらにしましょうか?
    支障なければ、こちらの近況コメに書く形にしたいと思うのですが
    いかがでしょうか?

  • 〇新たな指摘ポイント

    文章表現に正解は無く、確かにケースバイケースです。
    故に加筆と減らす作業を何十回も推敲で重ねるので。

    ただ印象深いシーンを読者に見せるためにはその努力は忘れていけないものだと思います。

    『好き』という表現をどう表現するべきか?
    作者である以上、ずっと悩まされるべき問題かと思っています。

    確かにきちんと伝えられる簡潔な文は美徳ですが、小説特有の伝え方、そこに作者としての個性、顔(ビジュアル)があると思います。

    また、読み方は一人一人自由なので、どう思ったかは読者次第。千差万別かと。
    故の『作品は作者のもの』だと思っています。

    〇どういう感情を持ってもらいたかったか。
    〇罪と罰

    笑って感動できるという回答なら
    戦争や『罪と罰』という重いテーマを取り入れる意図はなんでしょうか?

    私は『罪と罰』を、ただシュチュエーションやコンセプトだけで物語に組み込むのは良くない気がしました。

    むしろ
    物語の核となるような作者なりの解釈で踏襲すべきだったと思っています。

    また、このラブコメ作品において
    シリアスはどの程度、またどこを反映させるべきですか?
    戦争はどういう位置づけで物語に組み込んでいますか?

    人を感動させるには、そこまで考える必要性があると私は考えます。

    個人的に戦争という題材は、ラブコメをやる上でかなり重い印象があります。
    ここも繰り返しにはなりますが、この辺がもったいないと感じる点です。

    〇ハレヤが語るところの『真実の勇者』とは誰なのか、について。

    世界を変えて見せた功労者は犠牲者たちである。
    真の勇者たちがこの世界に居たこと=大罪を、現代の人々(真の勇者の子孫たち)へ伝える

    まさに戦争とは何かを考えさせられる内容ですが
    個人的には戦争を美化し過ぎている気もしています。

    これはだいぶ穿った個人の見方ですが
    よく戦争作品で語られる
    『戦争に英雄はいない』(クリント・イーストウッド監督だったでしょうか)
    の言葉通り
    これは戦争を知らない人が発言している、そんな風に見えてしまいました。

    もし、私が改訂するのなら

    ハレヤの目的を
    『平和の礎となった者がこの世界に居たこと
    そして、このようなことが二度と起きないように一人でもいいから真実を知って欲しい』

    さらにその上で

    ヒロインに『罪は私だけが背負うべき』という自己犠牲
    間違いを持たせたまま
    ラストは主人公と罪を二人で分け合い、共に歩む道を示す。
    そんな過去の回想にはなかった結末を入れます。


    〇最後に

    以上を踏まえ、私が勝手にこの作品を創り変えるなら

    ・物語の目的を『本物の勇者ゾーフィアが世界中で愛されなきゃいけない』
    から『たとえ世界中が敵にまわってしまっても、今度こそ君の味方でいる』変更し
    千年前の過去になかったifルートを示す。

    ・彼女の願いが「罪を告白して、裁かれ、償うため」に対して、主人公がそれを止めるムーブをする。

    ・映画での戦争は何か?の部分は
    『罪と罰』の(私なりの解釈)『社会の規範それに伴う歪み。その狭間で個人の尊厳に悩む男の葛藤』を踏襲し、クライマックスの映画の内容は
    『あの戦争は避けられないことだった。でも、彼女も僕(主人公)も、やり方を間違えていたんだ』
    という、彼女の罪をヒロインにだけに背負わせないメッセージを強調させ
    映画自体を『歴史の過ちを真実として世界に問いかける』という位置づけで世界に配信する。

    ・インタビューシーンは歴史評論家の場合、物語の特性上を考え
    映画を批判する立場のキャラとしてキャラデザし
    カップルの彼女だけに、賛成寄りの意見を出して
    『映画を観て、少数でも真実を伝えることが出来た』という、リアリティを演出させる。

    ・ラストの登壇シーンは全カット。

    ・前述と同じにはなりますが
    結果、映画は賛否両論となり、炎上。
    しかし、DVDとサブスクの収益がそこそこあり、ファンの中では言わずと知れた迷作として揶揄される。
    そして僕は………と言うと。
    嘘の脚本家バレ、大問題になるも幸いにも制作費にマイナスが出なかったおかげで大事にならず
    僕はまた一から映画制作の見習いとして出戻りすることになったのだった。

    そして、月日は流れ……。

    変わらない日常、くだらない日々。←コメディ要素OK!
    しかし、一つだけ変わったものと云えば……。

    で、彼女との関係が変わった描写があり。

    戦没者慰霊碑に二人で墓参りして、帰り道に手を繋ぐシーンを入れ
    ←呪いがどうなったかは描かず、読者の想像に任せ、二人で歩んでいるという事を印象づける。

    最後に
    『映画の次回作はラブコメにしようと思っているんだけど……どうかな?』

    で締めるといった感じです。


    最後になりますが
    何度も繰り返し質問させて頂いた内容は、個人的に私が疑問と思った点で
    もう一度、考え直して頂きたい点でもあります。

    そういう意味で
    事物の善悪・優劣・是非などについて改めて考えて貰う、ような評価する批評となっています。

    また
    この指摘はクライマックスを批評している以上
    作品の根本、テーマから掘り返すものになっています。

    まさに作品を創る設計から創り直すような
    言わなくてもよい踏み込んだの内容です。

    ですので、参考にするのか、書き直すかは作者の自由です。
    その上で軽い参考程度と思って頂ければ幸いです。
  • こんばんは。
    毎度、美味しい栄養をありがとうございます。




    〇主人公たちの目的

    やっぱりこのへんの根本的な部分を読み違いされちゃってますね。
    こういうご指摘は参考になります。

    どこでどういう風に読み違えをする人がいるのか、っていうのは作者からは分からない部分ですので。
    ありがとうございます。


    読み違いられてしまったポイントとしては。

    なぜ「罪を告白して、裁かれ、償うため」という願いが、
    最終的に愛されることの目的に繋がるのか、という部分と見受けました。


    まず九話で映画作りに二人が同意した時点では。

    ハレヤの目的も
    「罪を告白して、裁かれ、償うため」でしかありません。

    愛されることは考えていません。
    ハレヤ自身もそんなわけがないと考えてますからね。

    一方のロジオンの目的は。
    「真実の勇者が愛されるような映画を作ってハレヤを救うこと」

    と、二人の映画を作るという目標はおなじでも、目的が最初から違うんですね。


    でも、ハレヤからすれば真実の勇者映画が作られて、
    それが既存のゾーフィアのイメージを大罪人へ塗り替えるほど影響力を持つのであれば、
    それは彼女の「罪を告白して、裁かれ、償うため」も達せられることになります。

    だから、九話で映画を作ることをロジオンに説得され、承諾したわけです。


    この目的のズレは九話以降も、くり返し何度も描かれています。
    例えば、緑風草原シーンの試写が成功し、自分達の勇者映画を作れることが決まったあとも、
    ハレヤは「これで心残りなく死ねるかもしれない。なぜなら真実の私が赦されることはないからだ」的な発言しています。

    真実の自分が愛されることはないと確信してるんですね。
    あくまで最後の宿題を終えて死ぬことを願うハレヤと、それを救いたいロジオンという構図になってるんです。

    なので、この時点になっても、ハレヤの目的は
    「罪を告白して、裁かれ、償うため」で変わりません。


    ところが再びロジオンを愛してしまうようになっていった結果として、
    42話になってから、死を目前にして願ってしまうわけですね。

    「罪の炎が消えて、新たな人生を手に入れることができるのなら。どんな未来を思い描けるだろう?
     もう一度だけでも彼に会う、だけではない。その後も共に生きれるかも知れない。
     もしそんな奇跡が起きるのならば」と。

    ここでハレヤの願いに「罪を告白して、裁かれ、償うため」にプラスして、未来への希望が初めて芽生えます。
    なので最初から最後まで「罪を告白して、裁かれ、償うため」という点は一貫してますが。
    同時に、ハレヤが救われることも、ハレヤの願いの一つになるんです。

    臭い言い方をすれば、それまでは死ぬことしか考えてなかった救世主が、
    愛によって救われて再び生きる希望を得たのです。


    この部分を読み違えられてしまうと、メインキャラの行動が意味わからなくなっちゃうので、
    おっしゃるとおり、ブレて見えるはずです。
    物語が根本から楽しめなくなっちゃうと思いますね。






    〇世界との乖離

    そうなんです。
    絶望的なほどに、世界とハレヤの願いが乖離している孤独ですね。
    それが彼女の置かれてる状況です。

    ハレヤの台詞でも「もうこの世界は救世主を必要としていない」というように。
    あるいは、「自分だけ世界から切り離されて、世界は回り続け、誰からも知られずに消え去る」というように。

    幻想の英雄が作った世界が真実になってしまっている世界なんですね。
    彼女が願って戦っていたことの99.999%が叶った世界です。

    ただ一つだけ、世界を変えた者は本当は誰だったのか、それを記憶として世界に残すだけが叶えられていません。

    ロジオンがもし出合った夜に、ハレヤを放っておいて、死なせてしまったとしても、世は事も無しに回り続ける世界です。
    言ってみれば、ハレヤ以外の全ての人々が救われた世界なんですね。

    そんな世界の中で、たった一人だけ、救われない救世主が、最期の願いを叶えられず絶望している、という世界観です。
    そして、そんなヒロインを救えるのは主人公だけ、というシチュエーションですね。

    もしハレヤが本物であると証明できるなら、この世界の人々にとっても、けしてどうでもいいことではなくなるのですが。
    それができないという絶望です。

    そんな風に世界から忘れ去られ、必要とされなくなった救世主を救う物語です。





    〇赦しを請う対象

    法で裁けないし、他人からも裁かれることはできないのは、
    本人証明すらできない勇者本人が一番わかってることですね。

    じゃあ、大罪を告白できたとして、ハレヤが言う、裁きを受ける、ってどういうことなのか?っていえば、それはつまり。
    九話の時点のロジオンがまさに諭して言う台詞ですが。

    「そうして僕の描いたゾーフィアが、次の時代のスタンダードなゾーフィアのキャラになれば『真実のゾーフィア』にすげ変わる。そうして本物のゾーフィアが世界に浸透したとき、どう慕われるのか、どう嫌われるのか、憎まれるのか、愛されるのか。それをハレヤさんが見とどけて、自分を赦せるかどうか、裁けばいい」

    こういうことなんですね。
    世界から真実の勇者がどう受け止められたかを見届けた上で、自分で自分を裁くしかないってことです。


    キリスト教の話題は私も大好きなので、お付き合いしたいところですが。
    脇道にそれるのでほどほどにしておきます。

    一言だけ言えば、この世界にキリスト教や、その前身たるユダヤ教も存在しないので、
    キリスト教の教義における赦しの概念は、この世界にまったく関係ないことですね。

    そのような信仰がない世界で、赦しを与えるのは本人含む、人の心でしかありません。
    なぜ、このあたりの価値観に宗教を絡ませないかと言えば、単純に一神教の赦しの概念って日本人には共感しにくいからですね。

    なんせキリスト教徒すら1%前後で、ユダヤとイスラムくわえても2%いかないっていう世界が日本ですから。

    神が赦すってなんやねん、そんなん知らんわwwwってなっちゃいます。
    なので日本人の感覚で理解しやすい人による赦しの概念を採用しています。





    〇戦争の掘り下げ。

    戦争を一風変わった形で扱う作品なら、掘り下げはマストですが。
    この作品においては、人類が克服すべき宿業、というごく一般的な解釈で扱っています。
    なのでそこをわざわざ掘り下げる必要ってないんですね。

    だって、「人類が克服すべき宿業ですよね」って言えば、だいたいの人は否定はしませんから。
    当たり前に思われてることを、長々と掘り下げても、ただの冗長なノイズになっちゃいます。

    それよりも、世界でもっとも力をもってしまった者がどう振る舞うべきなのか、
    という部分について掘り下げなきゃいけないので、そちらにフォーカスしております。





    〇映画がどう世界から受け止められたかのリアリティ


    これはいわゆるリアリティラインの問題ですね。
    作品世界にとって、何がリアルで何がリアルでないのかの線引きの話しになってきます。

    おっしゃるとおり、現実であれば賛否両論あるのが普通ですね。
    でも創作ってそこをリアリティラインにしちゃダメなんですよ。
    現実のリアルをそのまま持ち込んでも上手くいかないんです。

    リアリティラインを引くべき場所って、『その時点で読者にとって最大限の面白さになる場所』なんです。
    『その時点で』というのが重要でして、作品の序盤や中盤、終盤、と段階によって、このリアルさを定義するラインは変動します。

    なぜ変動するのか?といいますと。
    作品世界って読者の感覚が、その世界のリアリティの基準、だからです。

    つまり、読者が映画パートを読んで面白かったと感じたら、
    その映画は作品世界内の基準でも面白い映画になっちゃうんですね。
    映画の面白さなんて、明確な基準があるわけでもないので、結局は読者の感覚が全てなんです。

    これを前提にしているので、そもそもこの作品を楽しめなかった方が、
    映画のあとの絶賛パートを読んだら、御都合主義に見えるのは当たり前なんですね。
    その方にとって面白くない映画が絶賛されてるわけですから、そりゃあもう違和感でまくりんぐです。



    ではなぜ、そこを前提にしてるのかと言えばですが。

    そもそも、このパートって終盤も終盤なんですよ。
    しかも物語が変調する長いシリアスパートを超えた先です。

    ほんとにこの作品を楽しんでくれてる方しか、ここまで読まない部分なんですね。
    なのでこのパートのリアリティラインは、『ここまで楽しんでくれた方の感覚』を基準に引いてます。

    海水さんは批評企画のために義務的に読んでくださいましたが、
    一般読者だったら、海水さんのように、最序盤でヒロインに魅力を感じなかったり、
    核心的な部分を読み違えた方だと、物語が楽しめませんので序盤で読むの止めますからね。

    そこを無理に読んでくださったら、作品全体が楽しめるわけないですから、
    このリアリティラインに触れたら違和感を感じてしまって、感動もなにもないってのは、当然のことですね。






    〇お父さんのシーン

    ありがとうございます。
    ほんとお世話になりまくりんで、頭があがらないですね。

    こちらの近況ノートに投稿という形でお願いします。
    その場合、頂いた原稿を本編に使わせていただいてもよろしいでしょうか?
    その際に、加筆や修正なども加えてもよろしいですか?

    だた、重ね重ねですが、海水さんのご負担になるのは本意ではありませんので、
    ほんとに暇で暇でしょうがねえやって時で結構です。

    どうかご自身の執筆を最優先していただけることを、一ファンとしても願っております。





    〇作品は読者のもの


    私も同じ意見ですね。
    だからこそ、ちゃんと楽しんでもらいたい、ということですね。

    読み違いによって、読者の方の作品を面白くなくしちゃったら、申し訳ないですからね。
    だからまずは、面白さを正確に伝えることに撤するのが、私の目指すところですね。

    文章表現ってどんなに極めたところで、絶対に読み違いって無くならないですからね。
    国語の教科書に作品が載ってるような、レジェンド文豪の作品ですら、
    テストの読解問題では必ず間違える人がでてくるのが、小説というものですから。

    どんなに文章力を極めたところで、人間の読解力には限界があるってことですね。
    なのでもう、正確に伝えるためには、誰でも理解できるレベルの落として書かなきゃいけないんです。

    福沢諭吉が文筆家の到達点として目指したところの『猿でもわかる文章』が、私も理想とするものです。


    逆に読者の立場として私が好きな文体は、その真逆の村上春樹やらだったりするんですね。
    やっぱり氏の文章はいっぱつで記憶に残るくらい魅力的ですからね。
    今でも、風の歌を聴けから、ダンスダンスダンスまでの作品は毎年読み返します。

    いわゆるハルキストと呼ばれるような、村上春樹が好きな書き手なら、誰しもやる真似っこ中二病みたいなことですが。
    昔は私の文体は一人称メインで、村上春樹に寄せてたのは、若き日のほろ苦い内緒ですw

    黒歴史ですね。








    〇罪と罰

    罪と罰には、作品内で主人公がたどることになる一連の事件の総括にあたる、有名な悪夢パートが最後にあるんですね。
    そこが、まさに作品全体の要約、ともいえる核心部分になってます。

    私の作の映画パートは、この悪夢パートを、私なりの解釈で踏襲して、
    ファンタジー物語として膨らませたオマージュになってます。

    そこから始まる千年後の再会の物語は、やはり
    罪と罰の主人公ラスコーリンが、ヒロインのソーニャと出合うことで、
    罪の意識で自分を責めまくって病気になってしまうくらい悩んでいたところを、
    彼が罪を償うことができるようになるまで、というストーリーの主軸を、
    私なりの解釈で踏襲して、ファンタジー物語として膨らませたオマージュになってます。

    特定のシチュエーションだけではなく、最初から最後まで、罪と罰の核心部分のファンタジーアレンジになってます。






    〇戦争を美化

    これは真逆じゃないですか?

    『このようなことが二度と起きないように』
    ていうのは、まさにゾーフィアが戦ってきた行動原理そのものですよね。
    そのものが一貫して描かれてると思うのですが、違いますかね。

    それと犠牲者を肯定するような部分はなかったと認識してるんですが、どうでしょう。
    むしろ、ゾーフィアは徹底的に一貫して犠牲者をなくすことを目指して行動してます。

    殺人者時代ですらそうですし、勇者として行動を始めてからは
    目的を達成するための最小限の犠牲という、殺人者時代には肯定していた概念すら拒否するようになって、全てを救いたいと願うようになってます。

    なのでハレヤが語るところの真の勇者というのは、戦争プロパガンダみたいな『お国のための尊い犠牲』みたいなニュアンスとは真逆です。
    負の歴史の積み重ねによって、ようやくたどり着いたゾーフィアという象徴に導かれた、全種族共存という未来。
    その道程にはけして忘れてはならない、種属戦乱期の四千年で積み重ねられた犠牲があった、というニュアンスです。

    つまりは。
    『平和の礎となった者がこの世界に居たこと
    そして、このようなことが二度と起きないように一人でもいいから真実を知って欲しい』そのものってことですね。






    〇『たとえ世界中が敵にまわってしまっても、今度こそ君の味方でいる』

    これも今のコンセプトそのものですね。
    このコンセプトから最適化させたものが、今のストーリーとなっております。

    何があっても君の味方でいる、っていうのを演出しようとすると、主人公がヒロインのために何をどこまでやっちまうか、っていう
    『何があっても』の部分がストーリーの要点になってきます。

    つまり『何があっても』の『何が』っていうのは、デカくて難しい課題であればあるほど、主人公の気持ちの深さを演出できるんです。

    その演出効果を最大化させようとすると、救いたいヒロインのために、魔王やら世界を塗り替える大先生にまでなって、
    それをやり遂げてしまう主人公、を描いたほうがよくなっちゃうんですよ。

    誰もゾーフィアを信じてくれない世界で、たった一人だけ信じてくれて、大先生になって、ほんとに無謀な挑戦を成し遂げてしまう。
    そこまでするっていうのは、『たとえ世界中が敵にまわってしまっても、今度こそ君の味方でいる』ってことの最大限の行動ですからね。


    もう一つの要点は、ヒロインが置かれた苦境の絶望度です。
    これもやはり、絶望が深ければ深いほどいいんですね。

    世界とハレヤの願いが絶望的に乖離してしまっていて、もはやどうすることもできない。
    この絶望的な乖離を主人公がどうにしようとすることによって、やはり、
    『たとえ世界中が敵にまわってしまっても、今度こそ君の味方でいる』が最大化されます。




    〇いつもご指摘ありがとうございます。

    特に参考になるのは、どこでどういった読み違いがされてしまうのか、というのが凄くためになります。
    この辺りをもっともっと分かりやすくしたいですね。
    ほんとありがとうございます。

    今回もとっても栄養になりました。
  • 菅野事案様
    毎度お世話になっております。金剛ハヤトです。
    この度、菅野事案様へ改めてお礼を伝えたいことがあるので、この場をお借りして言わせてもらいます。

    まずは拙作に対する非常に有意義なアドバイスをありがとうございました。自分の近況ノートでもお伝えしましたが、重ねてお礼申し上げます。

    つい先ほど拙作の二章が完結したので改めて読み返していたのですが、菅野事案様からアドバイスを受けた日以降からの完成度が目に見えて上がっているように感じました。実際、菅野事案様のご指摘が無ければ改善できなかっただろうなと思う部分も多かったです。

    戦闘描写については特にお世話になりました!
    ここで詳細にいうとアレなので伏せますが、格闘シーンにおけるアドバイスは自分では絶対に気付けない観点でした!
    それ以外にも魔法少女の件だったり、毎回コメントして頂いたりと、本当にどれだけ感謝してもしきれません……!
    改めて、ありがとうございました!!
    今後とも仲良くしてもらえれば幸いです!

    あと、魔法少女の件について。まだ登場は先になるかと思いますが、プロットは完成しております。
    なので本編で登場させたときはまた連絡させてもらいますね笑
  • 〇海水さん版シナリオも形にしてみたい

    私自身も別パターンの物語として、海水さんが提示していただいたものを、自分で形にしてみたいと感じました。

    具体的に提示していただいたおかげて、イメージかなり湧いてきてます。
    ありがとうございます。
  • 金剛ハヤト様

    それは何よりでございます。お力になれたようで嬉しいですね。
    私は創作の話しが何より大好きなオタクですので、いつでも喜んでその手の話しに乗りますので、お気軽にお声かけくださいな。
    このノートに書き込んでもらっても結構です。


    戦闘描写はほんとに読みやすくなりましたね。
    でもね。

    そのアドバイス以前でも、VS八百屋の格闘シーンなんかは、作中のコメントでも称賛させていただいた記憶があるんですよね。

    あそこのシーンって、アクションのイメージしやすさがめちゃくちゃいいんですよ。

    小説におけるアクションって、細かく書きすぎても逆にイメージできないけど、大雑把すぎてもやっぱりキャラの動きを想像しにくくなっちゃって、この塩加減がとっても難しいんですよね。

    そこをわりと天然でやれてしまってる感じを受けたんですよね。
    人に言葉で物事を伝えるのが得意な人、とでもいうんですかね。

    言葉だけで人間の動きを描くのって、言葉で絵を描こう、としたらダメなんですよね。
    そのかわり言葉って、イメージを伝えるのは得意ですが、イメージを使ってうまく動きを描いてると、金剛ハヤト様の作品を読んだとき感じたんです。

    それも大雑把ではなく、具体的な動きを想像できるイメージが浮かぶ言葉を選んで適切にならべてる感とでもいうんでしょうか。

    なんていうか普通に『文才』というものを持ってる方なんだろうなと、私は羨ましく思っております。
  • 〇物語において掘り下げるべきところと、掘り下げてはいけないところ


    これは当作品において、戦争という概念をなぜ深掘りしないのか、のより詳細な説明となります。

    まず結論から言えば、『戦争とは克服すべき人類の宿業である』という読者とのごく一般的な共通認識があるので、それをそのまま利用するがもっとも効果的な共感性を生むためです。
    そこをあえて、掘り返す必要がまったくないためです。





    〇なぜそうなるのか

    戦争という概念をどう解釈するのかは、本作のストーリーが成立するための前提条件となる情報となっているのがポイントです。
    戦争という概念を『戦争とは克服すべき人類の宿業である』と読者が認識していないと、主人公たちの行動が成立しません。

    つまり主人公たちの行動の動機そのものなわけですね。
    で、重要なのは『戦争とは克服すべき人類の宿業である』=もっと簡単にいえば『ネガティブな物事』

    もっとくだけた言い方なら、『なんか嫌なもの』という認識を大多数の読者が既にもっていることです。

    これって作劇において物凄く強力な要素なんですね。
    ストーリーを成立させるための大黒柱を、読者が勝手に持ってくれているわけですから。
    たいした説明する必要すらなく、理解しやすく、共感もしやすくなるんです。

    要するに、デフォルトで読者がもってる一般的な認識というのは最強の設定なんです。
    作劇において、これ以上にすぐれた設定は存在しないと言い切ってもいい。

    ならば、その最強の設定を使わない手はないんです。
    この『デフォルト設定』とでも言うべきもので、ストーリーを成立させられるなら、そのデフォルト設定をいじるべきではないんですね。





    〇なぜいじってはいけないのか

    上記のメリットをごっそり捨てることになるからです。
    メリットはつまり。

    たいした説明が不要。
    理解しやすい。
    共感しやすい。

    という小説にとってどれも最重要な要素です。

    もちろん、デフォルト認識では描けない物語なら、そこをいじるしかないですが。
    いじらなくても成立するストーリーならやるメリットがないんですね。

    むしろデメリットが増えます。次のとおりです。





    〇デフォルト認識をいじった場合、発生するデメリット。

    デフォルト認識を深掘り設定した結果として、そこを正確に読者が読解できないと、主人公たちの行動原理が理解できなくなる。

    これはストーリーを成立させるための物語の独自設定のことです。
    小説というのは描くストーリーによっては、独自設定が必須になってきます。

    しかし、その独自設定が正確に読解されないと、主人公たちがなぜ今こういう行動をしているのか、などが理解できなくなる=読者が一定確率で読み違いをして、物語を楽しめなくなるリスクを常に抱えます。
    読み違いというのは必ず発生するものですから、そのリスクが発生する原因を抱えることになるんですね。

    独自設定の数が多ければ多いほど、そのリスクが増殖します。

    これは独自設定がある作品が劣悪だとか、そういう優劣の話しではありません。
    独自設定のない物語なんて、ファンタジーものやSFじゃ見つけるのが難しいくらいですからね。

    重要なのは、独自設定とはリスクでもある、という点です。
    読み違いされるリスクが極端に少ないデフォルト設定で、成立させられるストーリーであれば、わざわざリスクを抱える必要ないってことですね。



    たいした説明が不要。
    理解しやすい。
    共感しやすい。

    こんな最強の設定でやれる物語なら、それをちゃんと活かしましょうよってことですね。






    〇ストーリーと、それを成立させるために必要な情報の関係

    ストーリーを楽しませることを主目的とした物語は、あくまでストーリーを見せることが目的です。
    そのために不必要なノイズやリスクは取り除かねばなりません。

    設定を凝った掘り下げをした結果として、ストーリーを楽しめなくなる人が発生する確率をあげてはいけない、ということですね。
    それでは本末転倒です。




    〇ポイントは、その設定がストーリーに紐付けられているかどうか。

    ストーリーに紐付けられている設定とは、その設定を正確に把握してないとストーリーが理解できなくなるかどうか、とここでは定義しておきます。

    紐付けられた設定を独自のものにすると、上記のようなリスクが発生します。
    このような設定を凝らなきゃならないケースは、設定を凝らなければ作れないストーリーを作るときです。

    そうでなくても作れるストーリーであれば、紐付け設定の独自設定はリスクにしかなりません。


    一方で、紐付けられていない設定を凝るだけなら、このようなリスクは発生しません。
    魅力的な世界を描くファンタジーやSFはこのへんの、紐付けと非紐付けの使い分けが上手いです。

    主人公の行動の動機など、ストーリーのメインとなる要素に紐付けられる設定は最小限かつシンプルで誰でも理解しやすいもので、
    一方で紐付けられてない設定は凝りまくりで、独自の世界に浸らせてくれるんですね。

    紐付けられてないから、その設定を忘れたりしてもストーリーを楽しむことに支障がでない仕組みになってます。
    情報量の洪水が押し寄せても、主人公の行動の動機がシンプルなら、その大事な絶対に忘れちゃいけない設定も忘れにくいです。



    では本作で戦争とはどういう情報にあたるのかといえば。
    もろに主人公たちの行動の動機となる部分です。

    そして戦争という概念に独自の解釈をくわずとも、読者の一般的な認識という最強の設定を使って描けるストーリーでもあります。
    ゆえに、戦争という概念に独自の解釈を加えるようなことはしていないということですね。





    〇当作品の最大の課題として、これ以上、情報量は増やすべきではない

    当作品は紐付けの独自設定が多すぎて、主人公たちの行動を理解するための前提となる情報が多すぎるんです。
    これはさすがに明確に害悪なんですね。
    こんなこと絶対にやってはいけないレベル。

    どれか一つの独自設定を読み違いされてしまったり、読んでる間に忘れられてしまうと、
    とたんに主人公たちがなぜそういう行動をしているのかが理解できなくなり、楽しめなくなってしまいます。
    そういう要素を既に無数に抱えています。

    そのため、デフォルト設定を活用できる部分は極力そうするようにしています。

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