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中期?綾波宗水作品という個人的感慨

ご無沙汰しております、アヤナミ シュウスイです。

近況から述べると、
ソフトウェア制作会社「オーガスト」様が、
オンラインイベント「オーガスト20周年祭 -AUGUST Festival Online-」を、
2021年10月1日(金)より開催しているのですが、その企画の一つ、
「オーガストミュージアム in DOOR」という参加型バーチャル企画展に未来感を覚えた事でしょうか(笑)
ちなみに私は『大図書館の羊飼い』から本社コンテンツを知りました。

さて、未来感と申しますと、近頃、私はSFジャンルの小説を執筆することが増えてきました。

現在連載中の『オウムアムアの涙』もその一つです。

当近況ノートをお読みいただいてくださっている方は、普段から少なからず気にかけてくださっていただいている方だと思います。
その上で申し上げると、これまで、そして今もなお、私の小説の多くは「ヤンデレ」を主題とするものです。

しかし、当人としては、そのヤンデレの向き合い方もやや変容しているように感じます。

カクヨムに登録し、処女作かつ初ヤンデレ作である『怠惰はいずれ死をもいざなう』から始まる創作物を、「前期宗水作品」としてみると、
そのヤンデレは主として「ヤンデレラブコメ」なのです。

ですが、現在、SFと並行して執筆している、一話完結・ヤンデレ短編集『ヤンデレ女子は健気に生くる』や、
その他数作の「ヤンデレ評論」などに共通して言えるのは、
<中期(?)宗水作品の特徴は「問題提起」である>でしょう。

(ちなみに、題名も含めて中期の後に「?」を付けている理由は、後期・末期と続いてしまうからです。気休めです)


これは、商業化のみを目標としていた時、あまりよろしい傾向ではないでしょう。
しかし、「今しか書けない」というのは、こういったように、只今現在、私個人が考えている事柄を小説という形式で創作しているということそのものは、むしろ自身にとってしても有益な事に思います。

古代ギリシア人が劇や対話篇を通して哲学(philosophy)を向上させたように、
「綾波宗水」そのものをより洗練(sophisticate)化し、啓蒙(enlightnment)する、
それがSFや人間心理の極論である「ヤンデレ」、そしてその評論・批評を介して行われている問題提起であり、そして「近況」であると感じた、というノートでした。

いつもお読みいただきありがとうございます。
どうぞ今後ともお気軽に、少しでもお付き合いいただけると幸いです。

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